幻魚 第6章

 ピンポン!


 「は~い。」


 ガチャッ。


 「こんばんは。」


 「あっ、『ペンギン』さん。ご苦労様です。」


 「昼間は集配の手続きを手伝ってくださって、ありがとうございました。ご依頼されたお荷物です。」


 「ありがとうございます、『ペンギン』さん。・・・ん?・・・森實もりざねさん。」


 青島瑞樹あおしまみずきが、ネームプレートを見て、森實を名前で呼んだ。




 「ところで森實さん、まだお仕事中ですか?それとも、もうあがり?」


 森實にとっては、青島の不躾ぶしつけな感じが、また、良かった。


 「あ、青島さん宅への配送で最後で、後は直帰・・・なんですけど。」


 「直帰ってことは、『ペンギン』さんとこに戻るんじゃなくて、森實さんのご自宅に、そのまま帰れるってこと?それじゃ、もしよかったら、少し上がっていきません?」


 「え?上がる、と申しますと・・・。」


 「ちょっとでいいから、麦茶でも一杯。」


 そう言うと、青島のたくましい腕が森實の上腕に伸びて、掴んだ。


 

 グイッ!


 (い、痛い・・・。)



 相当な握力で掴まれた上腕が痛かったので、森實は眉間にシワを寄せた。


 「は、はあ・・・。」


 色白優男の森實は、やや赤くなって、曖昧に返事をした。


 「森實さん。なにもお酒じゃあないんですから。麦茶、飲んでいきましょうよ!」


 「は、はい。お言葉に甘えて。ありがとうございます。」


◇◇◇


 「今日も一日、お疲れ様でした~。どうぞ。」


 青島瑞樹は、テーブルに、冷たい麦茶を淹れたグラスを置いた。


 「あ、ありがとうございます。正直、この仕事していて、お客様にお茶をご馳走になるなんて、初めてです。」


 「そうなんですか?いやあ、内堀うちぼりさん、うちの漁港の責任者なんですけど、内堀さんにね、『ペンギン』さんとは、今後、長い付き合いになるだろうからって言われてね。これから、水揚げした後の配送の度に、お世話になると思うんですけど。ま、そういう、・・・これからもよろしくお願いします、っていうことで。えっへへ。麦茶なんかでご挨拶ってのもなんだけど。」


 声、しゃべり方、仕草、笑顔・・・筋肉隆々のガチムチ色黒で、白いランニング姿の青島瑞樹のキャラクターは、森實大樹の好みであった。




 「いただきます。」


 森實は、美味しそうに麦茶を飲んだ。


 「冷たくて美味しいです。」


 と森實が言った後、青島の後ろに、何かの影のようなものが見えた気がした。



 「はっははっ。そうですか。良かった~。いろんなところに回られて、疲れただろうと思いましてね。お茶ぐらい、ご馳走させてもらいたかったんですよ。いや~、お引き留めして申し訳なかったですが。明日もお願いすると思うんですけど、・・・明日も、森實さんに、魚、持って来てもらえると、ありがたいなあ。なんか、森實さんだと、安心だなあ。」


 「わかりました。もしもご用命であれば、明日も私がこちらへ参ります。」


 「あ、俺んとこ、一番最後でいいよ。時間オーバーしちゃっても全然いい。森實さんが直帰する直前のタイミングで運んでもらえば、一番いいかな。」


◇◇◇


 「森實、さんかぁ。・・・俺が、優男やさおとこがタイプだって知ってるからなのかな、内堀さん、今後も『ペンギン』さんに受注するって言ってくれたな。他の宅配業者よりも、『クール便』が安かったからかもしれないけど。」


 青島瑞樹は、明日も、売り物にならないような魚を自分のところに届けてもらうつもりだ。



 「フラれたらフラれたでいい。また、恋をしてみようかな!」



 森實が麦茶を飲んだコップの唇の跡がついた部分に、自分の唇を押し当てた。





 大食漢で、魚が大好きな青島は、今夜も、配達してもらった大量の魚をさばいたり、焼いたりした。

 

 四匹の魚を刺身に、他の四匹の魚を焼き魚にした。


 ビールを飲みながら、調理した魚を、ガツガツ、ムシャムシャ、食べた。


 魚が多めの、居酒屋のような夕食であった。



 配達してもらった魚は、少し余った。


 余った分は、翌朝に食べようと思った。


 「魚、多いな。一人じゃ、食べきれない。明日は、夕食に誘ってみよう。」



 食事を終えた青島は、シャワーを浴びた。


 風呂を沸かすのは面倒なので、ここ二十年ぐらい、ずっとシャワーである。



 風呂から出た青島は、髪をタオルで拭きながら、『ペンギン快特便』の配達伝票を見つめていた。


 ベリッ!


 配達伝票をがして、自分の枕元に置いた。


 「森實さんに、明日も会いたい!」


 そう言って青島は、ベッドに横たわると、抱き枕をギュッと抱き締めたのだった。



◇◇◇



 『ペンギン快特便』の通勤用の軽自動車に乗って帰宅した森實は、明日の仕事帰りが今から楽しみだった。


 「何かを楽しみに思うことなど、本当に久しぶりだ。青島瑞樹さんのことを、もっと深く知りたい。」


 森實は、見た目や雰囲気がストライクゾーンのど真ん中である青島に抱き締められた瞬間を想像して、ドキドキしていた。


 「だけど、あくまで仕事上の付き合いであることを、忘れてはならないな。」


 

 漁港で初めて会った時の彼。


 バットを持ち上げた時の、赤ん坊の頭ほどになる上腕二頭筋。


 ランニングから覗いた胸毛。


 明るく、健康的で快活な笑顔。



 「あの人が、私の恋人だったなら。奥さんは居ないような部屋だったけど、きっと彼女が居るに違いない。誰かと付き合っているようなら、諦めなくては。」

 

 森實は、走り出したら止まらない感情にブレーキをかけていた。




 『・・・アノオトコガスキナノカ。』


 「はっ・・・また、何処かからか声が・・・。」


 『アノオトコガスキナノカ。』


 「・・・。」


 『カクサナクテヨイ。オマエノホントウノネガイナラ、カナウハズダ。』

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