幻魚 第1章
まだ残暑が続いていた九月下旬のある日。
突然、上司の
『ペンギン
諏訪部六郎の葬式は『家族葬』である、と本部から通達があった。
諏訪部の家族が、家族と親戚だけで
なので、森實大樹は、線香をあげることができなかった。
生前、諏訪部は、森實大樹を
そのことは、周知の事実であった。
諏訪部は、森實を倉庫に呼び出しては、派手に暴力を振るっていた。
諏訪部の
森實の身体は長袖の作業服の下で、数多くの
森實は仕事を終えて風呂に入るときに、諏訪部に付けられた痣を
「お疲れ様です!」
「お、お疲れ様です!」
森實がおどおどしながら、美佐男に挨拶を返した。
「今日は諏訪部チーフの告別式だそうですよ。『家族葬』なので、僕たちは行きませんけどね。」
「私も、ご家族のご意思を尊重して、出向くのは止めます。」
「それにしても、森實さん、これからも宜しくお願いします!また明日!お疲れさまでした。」
「こちらこそ、宜しくお願いします。お疲れさまでした。」
配送のアルバイトを終えて、同僚の柿生美佐男に挨拶をすると、森實は、通勤用の軽自動車に乗り込んだ。
この軽自動車は『ペンギン快特便』が所有している車で、従業員の通勤用に貸し出している。
駐車場代とガソリン代は従業員持ちだが、車検やタイヤ交換、オイル交換などのメンテナンスには会社が費用を出す。
森實は、近所の駐車場を借りて、この軽自動車で通勤している。
この軽自動車の中で、今は亡き、諏訪部の自分へのパワハラの様子を思い出していた。
◇◇◇
「森實、ちょっと来い。」
だいたいこの言葉からパワハラが始まる。
他の従業員の目の前で、上司の諏訪部が、自分だけを見て、自分だけを倉庫に呼び出す。
自分だけが、この父親に似たキャラクターの上司に呼び出されるのだ。
諏訪部は、何も言わずに睨みつけてくる。
しかし睨んでいる目の奥に、何故か悲哀のような愛情のようなものを感じてくる。
次に、強い者が弱い者をいたぶる快楽を目の前にした欲情を感じる。
諏訪部が、自分に、欲情しているのだ。
自分の全てを投げ出して、その欲情に応えたい気持ちにさえなる。
瞳の奥に
その輝きが、いつも、見たかった。
頭の中で、誰にも言えない感情が湧きあがって来る。
いっそのこと、諏訪部にめちゃくちゃにされたい。
倉庫で二人きりになっている時には、誰も来ない。
一瞬ニヤついた諏訪部が、次の瞬間、真顔に戻って、胸いっぱいに空気を吸い込む。
バシッ‼
思い切り、左頬を叩かれると、叩かれた音が倉庫内で反響する。
誰も来ないけれど、一部始終、聞かれているだろう。
ボゴッ!
ドスッ!
ドッ‼
いわば、ストーリーテラーによるラジオ番組のようになっているのだろう。
ギリギリギリギリ・・・。
バシーン‼
誰も来ないけれど、聞かれているのだから、諏訪部にめちゃくちゃにされることはないのだろう。
ドスッ!ドスッ!ドスッ!ドスッ!
バシーン‼
なんという、歯がゆさ。
バーン‼
ドンッ‼
ガラガラガラ・・・ガシャーン!
「お前のせいで、大崎支部の売り上げが落ちた。お前なんか、辞めてしまえばいいのに!早く辞めろ!この貧乏神め!」
このまま、この倉庫の中で、私を殺してくれたら良かったのに。
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