ずっと憑いていきます 第4章

 女児が初めて泊まった翌朝。



 「おなかすいた。」



 女児は、みどりの顔を真上から見下ろしながら言った。


 そして、仰向けになって布団に入っているみどりの腹の上に乗ると、トランポリンの様に弾み始めた。


 しかし、みどりには何の痛みもない。


 ただただ、胃がスッキリしてくるような爽快感があった。


 「なんか、胃がスーッとして、気持ちいいなあ。」


 みどりが目を開けると、女児が自分の上で飛び跳ねていた。


 みどりはビックリして飛び起きた。



 「お、おはよう。」



 「おなかすいた。」



 「あ、はいはい、もう朝だね。起きなくちゃ。これからご飯作るからね。ちょっと待っててね。」


 時刻は午前六時だった。

 自分と、この女児の食事を作ればよいのだ。


 女児の昼食の分も作らねばならない。



 「焼きそばでいいかな?多めに作って、朝と昼と。」


 「やきそば、だいすきです。おねがいします。」



 今日は、昨日と同じように、女児に留守番してもらって、自分は通常通り学校に通勤しなければならない。

 警察に届け出るのは、まだ時期尚早だろうと思った。


 トントントントン・・・。


 カチッ、ボォー・・・。


 ・・・パチッ・・・パチパチ・・・。


 ジュワッ・・・。


 ジャー、ジャージャージャー・・・。 


 みどりは朝から焼きそばを三食分作っていた。


 「それじゃあ、朝とお昼に、この焼きそばを食べてね。夜には帰ってくるからね。冷蔵庫の麦茶とか、飲み物と一緒に食べてね。」


 「わかりました。ありがとうございます。」


◇◇◇


 「おはようございます。」

 「おはようございます。」


 職員玄関で挨拶を交わし、更衣室に向かう。


 通勤だけで汗だくになった着衣を脱いで、自分の名前が書いてあるロッカーに入れ、ジャージとTシャツに着替えた。


 ロッカーの内部に違和感があった。


 鏡はピカピカに磨かれ、やや乱雑に畳んで重ねていたTシャツが、店頭に並んでいる商品のように、綺麗に畳みなおされているようだった。


 (誰かが、掃除したのかしら。だけど掃除当番の教員は、床の掃き掃除しかしないはず・・・。)


 更衣室のロッカーの鍵は面倒なのでかけていなかったのだが、誰かが自分のロッカーを開けて掃除した、とは考えづらかった。


 朝の職員室。

 ポストイットを貼りまくっている、乱雑な自分の机に向かう。


 (えーっ‼こっちも綺麗になってる⁉)


 プリントやノートや参考にしていた図書などで、常に乱雑になっていたみどりの机の上が、とても綺麗に片付いていて、何も置いていない机上の面積が広くなっていた。


 「斉藤先生、昨日ようやく掃除したんですか?机の上。」

 

 『斉藤』とは、みどりの旧姓である。


 離婚後、旦那の苗字の『秋山』から『斉藤』に戻していたのだ。


 みどりの机上が乱雑だということは、周囲の教員も共通認識だった。

 周囲の教員たちは、みな顔を見合わせて笑った。


 「あははははは・・・。」


 何故、綺麗に片付いているのか、知りたいのは私の方だよ、と思いながらも、同僚の温かい心配りに癒され、いい職場で良かった、と心が温かくなりもした。



 兎にも角にも、怪奇現象が続いている。


◇◇◇


 夏休み中の学校には、時々、強制ではない自由登校日がある。


 学校が、保護者の育児疲れを増幅させぬよう『託児所』のようになる日がある。


 教員の他に『見守りボランティア』や『講師ボランティア』などが学校に来て、

プールの監視や学習指導などを、学校内で行っているのだ。


 夏休み前の職員会議で、プール指導の日程と人員だけは前もって決めておく。

 割り当てられたプール指導員は休むことができない。

 休む場合、他の教員に代替を依頼しなければならない。

 基本的に必ず出勤する日だ。

  

 水着を着て指導にあたるので、若い女性教員は生理になると指導が難しい。


 中高年であっても、生理があがってしまったみどりには、プール指導のオファーが殺到していた。


 みどりは、自分の研修だけでなく、プール指導にも引っ張りだこで、夏休みも学校で大忙しだった。



 みどりにはこの日、午前十時から十一時半のプール指導が割り当てられていた。


 学校のプールは屋内にあった。


 子供たちはプール内にざっと二十人。

 指導員はみどりを含めて十五人ほどだ。

 そのうち二人は、ボランティアの初老男性だ。


 子供たちは、友達と約束して一緒に登校したり、保護者に一時預かりのような形で預けられて一人で泳ぎに来た、などまちまちの事情でプールで過ごしていた。


 「現在、参加している子供たちです。」


 現在プールで泳いでいる、二十人ほどの子供たちの顔写真と全身写真と学年と名前が載ったプリントが、プール指導員たちに配られた。

 

 「プールサイドに居る先生たちは、全員の児童が安全かどうか、常に監視してください。特定の児童を割り当てられた先生は、その児童から目を離さないように。状況によってはそばを離れないようにしてください。」


 プールサイドに居る先生、とは、プール内には入らず、指導時間中ずっとプールサイドに居ることを割り当てられた教員のことである。


 一人にしておいても安全であると予想される児童には教員は張りつかないが、発作が起きる可能性がある児童や、機能障碍きのうしょうがいのある児童には、時間中ずっと教員がマンツーマンでつくことになっている。



 ボソボソ・・・。


 監視塔付近に、数名の指導員たちが集まって耳打ちしている。


 プールサイドの中央に居るプール総監督の周りに、複数の教員が集まりだして、何やらボソボソと話してプール館内をキョロキョロしたり、プール内の何かを探すような動きをしている。


 みどりはプール総監督とはやや離れたプールサイドに居たので、総監督のところへ行き、何かあったのかと尋ねた。


 「菅原武史すがわらたけしくんの姿が見当たらない。三分くらい前に田中先生が気づいたんだけど。」

 「わかりました。」


 みどりも顔写真を見ながら、プール館内を捜索し始めた。


 「武史くーん!」

 

 「武史ー!どこにいるんだー!」


 「たーけーしーくーん!」


 

 「キャーッ!」


 プールに入っていた門倉かどくら先生が悲鳴をあげた。


 「誰かが、プールの底に沈んでる!」


 「キャー!」

 「キャーッ‼」


 事情を把握できる児童は、あわててプールサイドにあがった。

 事情を飲み込めない児童は、教員と共にゆっくりとプールサイドにあがった。


 「門倉先生以外、全員あがったな!」


 プール総監督は、門倉先生以外の児童と教員がプールサイドにあがったことを確認すると、Tシャツを手早く脱いで、監視塔からプールに飛び込もうとした。




 すると、プール内の水が、突然、消えた。




 「え・・・えええ⁉」


 プール総監督は、飛び込む寸前だったので助かったが、もしも飛び込んでいたら大変なことになっていただろう。


 監視塔から、一目瞭然であった。




 唇が紫色になった菅原武史くんが、プール底で横たわっていたのだ。




 「待ってろ!今降りていくから!」



 プール総監督は、プールの水が消えた不思議について考えることなどなかった。


 菅原武史くんの命を救うことが最優先だ。


 急いでプール底に降りて、菅原武史くんを抱きかかえた。


 プールサイドに居た複数の男性教員に菅原武史くんの身体を預け、プールサイドに安全に身を横たえるよう指示した。



 「武史くん!武史くん!たーけーしーくんっ‼」


 返事がない。菅原武史くんは微動だにしない。


 ペチペチペチ・・・。


 菅原武史くんの頬を軽く叩いたが無反応だ。


 かなり水を飲んでいるようだ。



 プール総監督が人工呼吸をしようとした。すると、




 ブワーッ‼




 顎をあげた菅原武史くんが、鯨の潮吹きの様に、勢いよく飲んでいた水を吐き出した。



 ゲホッゲホッ・・・ゲホッ・・・・・・。



 「横臥位おうがいにしてっ!」

 「オウガイって?」

 「身体を横向きにしてっ!」


 ・・・ハァッ・・・ハァッ・・・。


 「自発呼吸ありッ!」



 ・・・ゲホッ・・・・・・ゲーッ・・・。



 「残渣物ざんさぶつ、片付けてください。それとバスタオルと水と洗面器を。他の児童たちも、教室に戻って。児童の親御さんには、今日のプール指導は中止する、と連絡してください。」


 「はいっ!」



 プール総監督は、テキパキと指示を出し、心肺蘇生後の菅原武史くんの体調を気遣いながら介抱していた。


 みどりは、菅原武史くんの身の安全はプール総監督に任せられる、という段階で、プールの水が一瞬で消えた謎について反芻はんすうし始めた。


 プール指導は中止となったので、後片付けやボイラー室での業務を手伝った。




 (あの、まだ家にいるかしら。一応、二人分の食事の材料を買って帰ろう。)


 プール指導の仕事が終わったみどりは、夏の職員室内で校務分掌こうむぶんしょうの資料などを作りながら、夕飯の事を考えていた。

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