ずっと憑いていきます 第5章

 「ただいま~。」


 「おかえりなさい。」


 「!」




 昨夜泊めた女児が、玄関前の廊下で、三つ指をついていた。




 「ちょ、ちょっと、子供はそんなことしなくていいのよ!」



 「きのうはおせわになりました。きょうもよろしくおねがいします。」



 「はいはい、わかりました。今夜はサバの煮付けとほうれん草のおひたしとワカメのお味噌汁ね。」




 「みどりが作ったごはんがたべれる。うれしい。」




 みどりはニコニコして、女児を見つめた。


 女児も笑顔になった。


◇◇◇




 「みどりが作ったごはん、おいしい。」




 女児は顔をあげて言った。


 ほっぺたにごはんつぶがついていた。


 「あらあら、お弁当つけて・・・。」


 みどりは女児のほっぺたのごはんつぶを取った。


 女児は、少しビックリした顔をしたが、すぐにほうれん草のお浸しに箸をのばした。



 「そう言えば、あなたのお名前、まだ聞いてなかったわね。お名前は?」




 「あ。」




 「・・・ん?お名前は?」




 「あ。」




 「えっと・・・『あ』ちゃん、っていうの?」


 「うん。」



 「『あ』ちゃんか。それじゃあ、おばさん・・・。」




 「みどり。」




 「・・・あ、そうそう、おばさんの名前はみどりっていうの。『あ』ちゃんが偶然、そう呼んでくれたときにはビックリし・・・。」




 「しってた。」




 「あ、あはははははは・・・ど、どうして知ってたのかはわからないけど、ま、いっか。・・・これから『あ』ちゃんのこと、あーちゃんって呼んでもいい?」


 「いーよ。」


 あーちゃんは茶碗を左手に持ち、ご飯をかきこんだ。




 「おかわりぃ!」




 耳が割れんばかりの大きな甲高い声が一瞬裏返り、あーちゃんはおかわりした。


 「まあ!美味しかったのね。良かったわ。よそってくるから待っててね。」



 「うんっ!」




 スタスタスタ・・・


 みどりは、あーちゃんのおかわりをよそいに行った。




 「さばもおいしいよ!」




 食卓から聞こえるあーちゃんの甲高い声が、キッチンまで響いた。


 「そう。良かったわ。」



 みどりがダイニングキッチンで、これほどまでの笑顔を見せたのは何十年ぶりだろうか。


 (あーちゃんは、自分が作った食事を、こんなに大きく表現をして喜んでくれた。あーちゃんは不思議ちゃんだけど、何者でもいい。出来ることなら、ずっと一緒に暮らしていきたくなってきたわ。・・・だけど、明日は土曜日だし、警察に届け出に行ってみよう。幸せな数日間だったわ・・・。)


 みどりは口角をあげておかわりをよそいながら、そう思った。


 そう思うことによって、心の奥に小さな穴が開いたような気がしたが、気づかないふりをした。


◇◇◇


 翌朝。



 「おなかすいた。」



 ツインテールのあーちゃんが、みどりの腹の上に乗って、朝食をせがんだ。


 「ん・・・あ、あーちゃん、おはよう。ふぁ~あ。ああ、まだ眠いや・・・。」



 「おなかすいた。」



 「んー、おなかすいたの?そうか、そうか。ふぁ~あ。ああ、眠いっ。んー、トイレ行ってから、朝ご飯、作るねー。それまで、待てる?」



 「まてる。」



 「ちょっと、トイレ行ってくるね。」


 「はい。」



 (そう言えば、あのツインテールは、自分でっているんだわ。まだ小さい子供なのに、随分上手に結えるのね・・・。)


 ジャー・・・。


 「さて、朝食朝食っと、・・・うわっ‼」




 「おなかすいた。」




 あーちゃんは、トイレの前でみどりを待っていた。




 「あはははははは・・・、あーちゃん、お腹すいちゃったね。ちょっと待っててね。・・・牛乳と焼いた食パンとイチゴジャムでもいいかな?」


 みどりはしゃがんで、あーちゃんと同じ高さの目線で言った。




 「みどりが作ったごはんなら、なんでもいい。」


◇◇◇


 朝食を済ませた土曜日の午前中。


 れんが子供の頃に読んだ絵本を、あーちゃんに手渡した。


 読み聞かせしてほしいかと尋ねると、首を左右に振ったので、みどりはテレビの前のソファに座り、朝のワイドショー番組を見ていた。



 横に、気配がした。


 「ヒィッ‼」




 あーちゃんが隣に座っていた。




 「あれっ?あーちゃん、絵本読んでいたんじゃなかったの?」



 「ぜんぶよんじゃった。みどりといる。」



 「あ・・・あはははは、全部読んじゃったんだねぇ。そうか。それじゃ、一緒にテレビ見よっか。えーっと、アニメアニメ、と・・・。」


 土曜日の午前中のアニメ番組を、新聞の番組表を見て調べた。



 「みどりがみてるやつがいい。」



 「・・・おばさんが見てるやつ・・・。」



 「みどり。」



 「あ、ああ・・・、みどりが見てるやつは、大人が見る番組だから、あーちゃんは面白くないかもしれないよ。」



 「みどりがみてるやつがいい。」



 二人はソファに並んでワイドショー番組を見ていた。

 あーちゃんは、膝から下をブラブラさせて、時々下からみどりの横顔を覗き込んで嬉しそうにしていた。


◇◇◇


 「あーちゃん、これからケーキ屋さんにケーキ食べに行かない?」



 「・・・いーよ。」



 みどりは近所のお気に入りのお洒落な洋菓子店へ、あーちゃんを連れて行くことにした。


 テーブルは二脚しかないのだが、ケーキを含めた洋菓子の味は抜群だ。

 ほとんどの客がショーケースの中のケーキやクッキーなどを買いに来ているだけなので、テーブル席は空いていることが多い。



 みどりはあーちゃんと手をつなぎ、洋菓子店『patissrie Luxe(パティスリー

 ルークス)』に向かった。



 すれ違う人たちが、あーちゃんを、びっくりしたような目で見つめる。



 (あーちゃんが、あまりにも、可愛いからだわ・・・。)



 スタ・・・スタ・・・スタ・・・。

 スタタタタタタタタタタタ・・・。



 あーちゃんは七~八歳の女児なのに、歩く速度が成人並みだ。

 みどりは歩幅を、あーちゃんに合わせることなく、マイペースで歩いていた。




 「あーちゃんは、何ケーキが好きなの?」


 「・・・。」


 「苺ショート、チョコレートケーキ、レアチーズケーキ、モンブラン・・・。」


 「・・・。」



 (あーちゃんはケーキを食べたことがないのかもしれない。)


 「どれもみーんな、美味しいからね!楽しみだなぁ。」


 「たのしみ。」


 あーちゃんは口ではそう言ったが、嬉しそうな表情はしていなかった。




 二人は『patissrie Luxe(パティスリー ルークス)』に着いた。


 「いらっしゃいませ!」

 バイトの女子大生が今はいないようだ。

 店長自ら、厨房から出て来て接客した。




 店長は、あーちゃんを見るなり、顔面蒼白になった。




 「ご、ご注文が決まりましたらお声掛けください。」


 「あーちゃん、何にしようか。」


 「みどりとおなじの。」


 「わかったわ。それじゃあ、『生チョコモンブラン』にしよっか。」


 「うん。」


 「すいませーん。」


 男性店長が、厨房から出てきた。

 「ご注文はお決まりですか?」


 「『生チョコモンブラン』二つと、アイスミルクとダージリンティを。」

 「かしこまりました。」




 店長は、みどりだけを見て対応し、あーちゃんのことは見ないようにしていた。




 あーちゃんの汚れていた服は洗濯して綺麗にしたし、汚れていたピンクの靴も洗って綺麗になった。

 髪の毛も、シャンプーした綺麗な髪である。

 自分で結っているツインテールが、とても可愛らしい。

 なのに、店長は、あーちゃんを見て、引いた。

 あーちゃんは、こんなに可愛らしいのに、見ようともしないのは何故なのだろうか。



 「お待たせいたしました。」


 生チョコモンブランと飲み物がテーブルに置かれた。


 「ごゆっくりどうぞ。」

 「ありがとうございます。」


 「いただきます!」

 あーちゃんが胸の前で合掌して言った。


 「いただきます。」

 ティーカップに手を伸ばしながら、みどりも言った。


 あーちゃんは、アイスミルクの入ったガラスのコップを両手で持って飲んでいた。


 とても、可愛い。



 「ぎゅうにゅうおいしい。」



 牛乳のひげをつけて、あーちゃんが言った。


 本当に可愛らしい。癒される。


 「そう、良かったわ。」


 みどりは笑顔であーちゃんに言った。


 二人は笑顔で、生チョコモンブランを食べ始めた。



 「おいひい!」



 あーちゃんが大きな声で言った。


 「美味しいね。」


 あーちゃんが喜んでくれたので、みどりは嬉しかったが、警察に届け出るために、半ば騙すようにして連れ出しているのだ。

 あーちゃんに屈託のない笑顔を向けられると、みどりは胸をえぐられるような辛い気持ちになるのだった。


◇◇◇


 『patissrie Luxe(パティスリー ルークス)』を後にして、二人は手をつないだ。


 「もう少し、お散歩して帰ろうか。」


 「・・・。」


 あーちゃんは、元気がなくなってしまい、下を向いて歩いている。




 みどりとあーちゃんは、派出所の方向に向かって歩いていた。




 二人は派出所のガラスの引き戸の前まで来た。


 手をつないだあーちゃんは、下を向いて、まだ自分の隣に居る。




 (今度こそ大丈夫だ。あーちゃん、可愛かったなあ。可愛かったけど、お別れだ・・・。)




 みどりの両目が潤んで、視界がかすんだが、法を順守しなければならない。


 みどりの、あーちゃんと繋いだ手が、震え始めた。



 「みどり、どうしたの?」



 あーちゃんがみどりの顔を、下から見上げて言った。


 派出所のデスクに座っていた警察官が、うつむいて泣きだしそうになっているみどりに気づいた。



 ガラッ!


 「どうかされましたか?」


 警察官がみどりに聞いた。


 「・・・迷子の・・・。」


 「迷子、ですか。あなたのお子さんか、お孫さんが?」


 「いえ、この子が・・・。・・・‼」


 手をつないでいたはずのあーちゃんが、消えていた。


 「はっはっは、奥さん、今日も暑いですね。熱中症には十分お気を付けください。」


 ガラッ!ピシャッ‼


 クーラーの効いた派出所の中の涼しい風を少しだけ感じたが、警察官はガラスの引き戸を勢いよく閉めた。


 (あーちゃん、また、消えた・・・。)


 


 みどりは、自分が『誘拐犯』として警察に捕まることを懸念しているが、今回は正直、あーちゃんと別れたくない気持ちの方が勝っていた。


 なので、一度目の時と同じ様に、あーちゃんが警察官の前では消えたことで、内心ホッとしていた。



 派出所から三分ほど歩いたところで、後ろに気配を感じた。



 振り返ると、すぐ後ろにあーちゃんが立っていて、みどりの顔を見上げていた。




 「みどりが作ったごはんがたべたい。」




 いつもの、あーちゃんだ。


 いつもの。


 いつも?


 いつのまにか、あーちゃんとのこの会話は、みどりにとって『いつも』の日常会話の仲間入りをしていた。


 みどりは心の中で、『誘拐犯』として逮捕されてもいい、と思い始めていた。


 逮捕されるその日まで、『あーちゃん』と温かな日々を過ごそう、心が温かくなる思い出をたくさん作ろう、そして、旦那と味わうはずだった幸せな日常を、この『あーちゃん』と一緒に味わう日々を過ごそう・・・そう思い始めていた。



 「お買い物して帰ろっか?」



 「おかいもののときは、そとでまってる。」



 「わかったよ。それじゃあ、これからスーパーに行くから、スーパーの外で待っててね。」


 「うん!」


◇◇◇


 「今日は暑かったから、ひやむぎとワカメとキュウリの酢の物とアジの開きとお豆腐のお味噌汁ね。」

 買い物を終えてスーパーから出てきたみどりが、あーちゃんに話しかけた。



 「みどりが作ったりょうり、たのしみ!」



 スーパーの外で待っていたあーちゃんは、ニコニコして言った。

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