ずっと憑いていきます 第3章

 次の研修日。


 銀太とみどりは、違う講義を受講する予定であった。


 しかし、同じ地域の教員研修の会場となる大学や公共施設は限られている。


 講義室が多数ある大学キャンパスで、同じ講義を受講しなくても、大学キャンパス内で、教員同士が偶然遭遇することはある。


 その日みどりは、疑惑を抱くべき状況を目撃した。


 昼食休憩の時間、一人で講義を受講していたみどりは外に出て、カフェで食事をしようとしていた。


 すると、斜め前方に、旦那の銀太、そしてその隣に、ストレートロングヘアのキレイ系の女性が居るではないか!


 (誰?あの人・・・。)


 カフェで食事をするつもりだったが、予定を変更して缶コーヒーで済ませることにして、ベンチに並んで座った二人を尾行することにした。



 コンビニで買ったらしい食べ物を二人で食べている。


 向き合った二人の顔が近づいた。


 そして、キスをした。


 (えーっ!・・・浮気相手・・・⁉)


 愛情が冷め切っていたので、みどりは憤慨ふんがいすることも悲しむこともなく、何も感じなかったが、これは、万が一『離婚』となった場合、有利になる証拠物件を手に入れるチャンスだ、と思った。


 ギラギラした夏の太陽が照りつける大学キャンパスで、みどりは汗を拭いながら慌ててスマホを取り出し、写真を撮ろうと、構えた。


 二人は、お互いの身体に両腕を巻き付けてキスをしていた。


 カシャッ‼・・・カシャッ‼カシャッ‼


 みどりは、浮気現場を押さえることに成功した。


◇◇◇


 みどりは弁護士をたてて協議離婚に持ち込むことが出来た。


 五年で二人の結婚は破綻を迎えた。


 まだ幼い子供のれんは、みどりが引き取ることになった。


◇◇◇


 離婚から十九年後。


 漣が成長して自立して、家にはみどりだけが残された。


 「一人暮らし・・・か・・・。」


 漣は人生の途中から母子家庭で育った息子となった。

 二十歳を前に、経済的にも独立することをみどりに誓った。

 アルバイトのかたわら、友達とソーシャルメディアを利用して収入を得ようと頑張っていた。


 「漣は、素直な子供に育ってくれてよかったわ。」


 教師をしながら、漣を一人で育ててきたみどり。


 一人、取り残されたみどり。



 何があっても、一生ついていくと決めた旦那には、裏切られた。


 結婚生活って、何だったんだろう。



 しかしその前に、男女の愛って、何なんだろう。


 一生を誓い合うって、何なんだろう。


 誓う、って、何なんだろう。



 信じていたものは、嘘だった。


 人間なんて、もう二度と、信じられない。


 男なんて、二度と。


 男なんて、付き合う価値はない。


 職場内で、誰かと親しくなることも、怖い。



 これから私は、一人で、どうするの?


 どうなるの?


◇◇◇


 子供が自立して、五十歳代の女性となったみどりは、相変わらず教師生活をしていた。


 公務員としての給与は毎月決まっているし、夏と冬にはボーナスも出る。


 慎ましい生活を好むみどりは、経済的に苦労することはなかった。



 「今日の夕食は、何にしようかな。」



 家庭科教師であるみどりは、離婚後も夕食は、スーパーの総菜に頼ることなく、ほとんど自分で作っていた。


 料理を作ることはもともと好きだったので家政を専攻したのだが、自分の料理を他人に振舞うことは、離婚以来、出来なくなっていた。


 元旦那の銀太に、料理が口に合わないと言われて以降、みどりはすっかり料理の腕に自信を無くしてしまった。



 「美味しいと思うんだけどな。」

 今日は、一人分の肉じゃがを作って食べていた。


 「お味噌、切らしちゃったわ。まだスーパー開いてるわね。」


 時計を見ると、午後八時だった。

 近所のスーパーは、午後九時に閉店となる。

 夕食を食べ終わると、サンダルを履いて、みどりは味噌を買いに行った。



 味噌と、賞味期限ギリギリで値引きシールが貼ってある野菜の袋をいくつか買って、みどりはスーパーを出た。




 すると、七~八歳ぐらいの、ツインテールの女児が出口付近に立っていた。



 みどりを、みどりだけをジーっと見ている。



 女児が、みどりの目を見つめたまま近づいてきた。




 「おなかすいた。」




 女児はみどりに、真っ直ぐに、そう言った。


 みどりは、思わず、周りをキョロキョロ見渡した。


 女児の保護者らしき人物は、近くに居ないようだ。


 「誰かと一緒に、スーパーに来たの?」



 女児は三秒ぐらい固まったが、首を左右に振った。




 「おなかすいた。」




 女児は、またそう言った。




 「おうちはどこ?」


 みどりは女児に聞いてみた。



 女児はしばらく固まったが、首を左右に振った。




 「おなかすいた。」




 みどりは、弱ったな、と思ったが、迷子の届け出をしようとスーパーの中に入り、店員に事情を説明して、出口付近に来てもらった。



 女児は、居なくなっていた。



 「忙しいんですから。変ないたずらしないでくださいよ。」


 みどりは男性店員に、怒られてしまった。




 みどりが歩いて二十分の家路を急いでいると、



・・・・・・ヒタヒタヒタヒタヒタヒタ・・・・・・



 みどりは背後に気配を感じた。



 みどりが振り返ると、さっきのツインテールの女児がついてきていた。



 「おなかすいた。」



 「もう夜だから、おうちに帰ろう。」

 

 「・・・おうち・・・ない・・・。」


◇◇◇


 みどりは、警察に届けることにした。

 一番近くの派出所の方向にみどりが歩けば、あとから女児は黙ってついて来ていた。


 派出所のガラス戸を開けるや否や、みどりは警察官に状況を伝えた。

 

 「すみません、迷子の女の子が私について来てるんですけど・・・。」



 「え?女の子?・・・どこに居るんですか?」



 みどりが振り返ると、女児は、居なくなっている。



 「あ、あれっ?おかしいな。ずっと私の後ろをついて歩いて来ていたんですけど。」


 「また何かありましたら、いつでもお声掛けください。」




 (警察にも、変な人だと思われたかな・・・。あの子が後ろに来ないうちに、早く家に帰らなければ!)


 みどりは、買い物した味噌と野菜の入ったエコバッグを小脇に抱えて、ラグビー選手がラグビーボールを抱えてゴールを目指すように、一目散に走った。




 ・・・タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ・・・・・・・・・。




 後ろから、何か聞こえる気はする。


 いや、七~八歳の女児よりも、五十歳代の全力疾走の方が速いだろう。


 女児が自分に追い付くはずがない、と思いながら、息を切らして走った。




 ・・・タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ・・・・・・・・・。




 やっぱり、何か聞こえる。


 みどりは思い切って、後ろを振り返った。



 すると、一メートルも離れていない位置に、女児は息も乱れず、立っていた。




 「おなかすいた。」




 みどりは恐怖のあまり、身の毛がよだった。



 観念したみどりは、トボトボと家路を歩き出した。



 テクテクテクテクテクテク・・・。



 女児もついてきている。




 ついに、玄関前に着いてしまった。


 (『誘拐犯』になる時が来たのかしら。だけど、保護者も近くに居ないし、家もないって・・・。警察にだって、一応、行ったわよ。だけど、この子が、消えていたんだもの。仕方ないわよね。事情聴取されても、わかってくれるわよね・・・。)




 「みどり。」




 女児がいきなり、自分の名前を呼んだ。


 みどりは目を見開いて、何も言えなかった。


 玄関の鍵を持つ右手が、震えていた。




 「みどりが作ったごはんがたべたい。」




 得体の知れない女児の言動が恐ろしくて、震えが止まらなかったが、女児の言葉が、みどりの胸を打った。


 みどりの右手の震えが、止まった。


 (今、この子、私が作ったご飯が食べたい、って言ったように聞こえたけど。)



 みどりが玄関の鍵を開けると、女児は汚れたピンクの靴を脱いで、泥だらけの裸足で家に上がり込んだ。


 (暗いからわからなかったけど、この子裸足で靴を履いていたのね・・・。)




 「ごはん。」




 みどりの後ろから声がした。


 振り返ると、女児である。


 (今さっき、私より先に玄関から家に上がって、私より先に廊下を歩いていたはずなのに、何故私の後ろに居るんだろう・・・。)


 信じられない現実が、いちいち怖いけれども、お腹を空かせた幼い女の子の空腹を満たす方が先であるような気もしていた。



 「さっき作った肉じゃがが、鍋に少し余っているから、温めなおしたら、食べてみる?」



 「うんっ!」



 女児が初めて、嬉しそうに、笑った。


◇◇◇


 みどりは、肉じゃがを温めて煮物用の器によそい、ご飯茶碗にご飯をよそって、冷蔵庫から麦茶を取り出して、ガラスのコップに注いで、食卓に座った女児の前に並べた。


 「お味噌汁、これから作るから、先に肉じゃがとご飯を食べててね。お腹すいたんでしょ?」



 「ありがとうございます。」


 女児は、胸の前で手を合わせて合掌した。



 「いただきます!」


 女児はお辞儀をしながら言った。




 「あらっ、とってもお行儀がいいのね。どうぞ、召し上がれ!」


 みどりは学校で給食の指導をしているような気分になった。

 


 学校の教師というのは、他人の子供の一時預かり所としての責任を果たし、ついでに勉強も教えたりしているようなものだ。


 そうやって三十年も生きてきたのである。


 みどりにとって、得体の知れない子供が一人、家の中に居て、自分が作った食事を食べている、という状況となったとして、何の違和感があろうか。


 豆腐の味噌汁を作ろうと、鍋に湯を沸かし、左手の平に豆腐を一丁乗せ、包丁で切っていると、後ろに気配を感じた。




 みどりが振り返ると、すぐ後ろに女児が立っていた。




 「わっ!」



 座って食べていると思っていたので、みどりはビックリして、包丁で左手の平を少し切ってしまった。



 「イテッ!」


 「どうしたの?みどり。」



 豆腐と包丁をまな板に置いて、左手の平の様子を見ると、だんだん血が滲んできた。

 みどりは急いで手を洗った。



 「このお豆腐は、仕方ないね。ワカメのお味噌汁、作るからね。」

 


 「治してあげる。」



 「えっ?」



 女児は、水洗いしたみどりの左手を、自分の両手に乗せるようにして、目をつむった。



 すると、流血が止まり、みるみるうちに傷口が塞がり、皮膚は完全に元通りに治った。



 「・・・一分いっぷん・・・かかったかな・・・かかってないのかな・・・」


 あまりの短時間に完全治癒したので、みどりは驚いて混乱していた。


 よく見ると、豆腐にも切れ目はなく、元通りの状態でまな板に乗っていた。




 「おとうふのおみそしる、のみたい。」




 「あ、あはははは・・・そ、それじゃあ、今から作るわね。」


 みどりは混乱しながらも、少し震える右手で慎重に豆腐を切って鍋に入れた。



 みどりは夕食を終えたので、あとは味噌汁だけが飲みたかった。


 「はい、どうぞ。」

 豆腐の味噌汁のお椀を、女児の前に置いた。


 女児は下を向いて、漣が子供の頃に使っていた子供用の箸を器用に使って、落ち着いた表情でモグモグ食べている。

 



 「みどりが作った、にくじゃが、おいひい。ごはんも。」




 女児は食事の美味しさを、みどりに伝えてきた。



 意図せず、涙が溢れてきた。

 喉が熱くて、痛い。

 みどりは、涙が溢れ出ていることに気づいて、慌てて手で拭った。



 みどりが結婚生活で旦那から欲しかったものは、自分が作った食事への

『おいしい』

という評価、この一言だけだった。



 みどりが一番欲しかった、そして、得られなかったものを、この得体の知れない女児が、思いがけないタイミングで与えてくれたのである。




 「みどりが作った、おとうふのおみそしる、おいしい。」




 「そう、それは良かったわ。」




 みどりは、涙を隠さなかった。


 泣きながら笑顔で、女児が美味しそうに食べるのを見ていた。




 「おなかいっぱい。おいしかった。ごちそうさまでした。」


 女児は胸の前で合掌し、お辞儀をしながらそう言った。


 

◇◇◇


 女児には家がない、という。


 夜中に外に追い出すわけにもいかない。


 警察に、『誘拐』を疑われた時には、釈明すればいい。


 みどりは、勇気を出して、この女児をしばらく預かることに決めた。

 



 「トイレ。」


 「トイレはこっちだよ。」



 みどりは手を引いて、トイレの前まで廊下を一緒に歩いて示した。



 女児は、身体が匂った。


 もう何日も風呂に入っていないのだろう。


 足も泥だらけだ。


 部屋の床掃除なんて、後でゆっくりやればよい。


 この女児の衛生状態を改善しよう。


 


 女児がトイレから出てきた。


 「お風呂も入って、キレイキレイしようか?」

 

 「うん!」


 知らないおばさんと風呂に入ることに、何の物怖じもしないのだろうか。



 みどりは、風呂を沸かすためのスイッチを押した。


 「お風呂が沸いたら、一緒に入ろうね。」

 


 「うん!」



 「お風呂が沸くまではテレビでも見・・・」



 女児は、着衣を全て脱いでしまっていた。



 「おふろはいる。」



 みどりは苦笑いした。


 夏だし、寒くはないし、男性もここにはいない。

 女児はみどりを信頼しているのだ、とみどりは解釈した。



 「はやく、おふろはいる。」



 「あはは・・・お風呂、沸くまでもうしばらくかかるけど、先に身体を洗っちゃおうか。」



 「うん!」



 みどりはタオルやバスタオルなどを持って来た。

 風呂が沸く前にシャワーで汚れを落とすことにした。


 女児の手を引いて、バスマットを敷いて、女児と風呂場に入った。

 女児を椅子に座らせ、シャワーの湯の温度を調節して確認した。


 (この位の温度なら、大丈夫ね)


 女児の手を取って、シャワーを少しかけた。


 「熱くない?」


 「あつくない。」


 「じゃあ、身体にかけるね。」


 「うん。おねがいします。」



 みどりは女児の身体を撫でながらシャワーをかけることから始めた。


 「その石鹸使っていいから、自分で洗えるところは自分で洗ってね。私は背中を洗うから。」



 「はい。ありがとうございます。」



 タオルに石鹸をつけて女児の背中を流した。


 身体は普通の七~八歳の女児のようだ。


 しかし、瞬間移動能力や、治癒能力のような、超能力を持っている子供であることは間違いないだろう。


 「シャンプーもしようね。シャンプーハットはないけど。お目目つぶっててね。」



 「はい。ありがとうございます。」




 どうにかこうにか、女児の洗髪も済んだ。

 髪が長いので、ツインテールをしていたヘアゴムで後ろの上の方で一つに結び、おだんごにした。

 

 ピピピピピピピピ・・・


 風呂が沸いた。


 みどりは風呂をかき混ぜ、温度を確かめると、熱いといけないので、女児の身体にかけ湯をして少し温度に慣れてもらった。



 「あつくない。おふろはいる。」



 こちらの意図は、しっかりと伝わっているようだ。



 女児は勢いよく、風呂に飛び込んだ。



 ザブーン‼



 激しい水しぶきが、風呂場いっぱいに飛び散った。

 「あっはっは!こんなに元気よくお風呂に入った子、始めて見たわ!」

 みどりは少し、元気になった。



 「あったかくて、きもちいいです。」



 「そう?じゃあ、おばさんも入ろうかな。」


 二人は仲良く風呂に浸かり、一日の疲れを癒した。



 風呂から出た女児は、とてもいい匂いがした。


 「髪の毛、長いねえ。」


 「はい。」



 タオルで女児の長い髪の水分を取って、櫛で梳かした。

 少女の美しいロングヘアだ。

 

 「髪の毛、キレイねえ。」


 「ありがとうございます。」 




 すると急に、女児のロングヘアが一気に逆立った。




 「ヒィッ!」

 みどりは声を出して、引いてしまった。



 勢いよく逆立った女児のロングヘアは一気に乾燥したようだ。




 フワァ・・・




 重力に従って長い髪は肩にかかり、元に戻った。




 「ド、ドライヤー、無くても、乾くんだねぇ。」


 「はい。すぐにかわきます。」





 みどりは、今日一日で、かなり寿命が縮まったんじゃないかと思った。


 不思議ちゃんの未知の刺激が強過ぎる一日であった。


 「おばさんも髪を乾かし・・・」



 女児を見ると、床の上で眠ってしまっていた。



 みどりは女児を抱きかかえ、取り急ぎ、寝室に運んだ。


 離婚後、二十年近く経つのだが、片付けが面倒で、元旦那のベッドはみどりのベッドの隣でそのままになっていた。


 「元旦那のベッドで寝てもらうわね。おやすみなさい。」


 女児はみどりの隣で、気持ちよさそうにすやすやと眠った。

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