第361話

「九割がたそうだとしても、他を怠ってはいけない。戦いは既に始まっているからな」


 スナイパーを敢えてわかるように入国させて、狙撃以外で狙い警備を緩くさせるつもりかも知れない。裏を読もうとしたらするほど考えが散ってしまう。


「次の街での演説は長時間の露出が」


 顔を曇らせるがそれを差し止めるわけにはいかない。


「プロの条件はクライアントの希望を叶えることだ。雇い主が誰かは知らないが、地方都市の一角で倒すよりも天王山で一撃を、そう望んでいるんじゃないかな」


 ――わざわざ選挙が始まってから入国したんだ、準備時間が無しでは動くまい。やるなら最終日だ。


「閣下、支援者が先乗りをしている可能性があります。もしそうならばすぐにでも実行出来ます」


 エーンがいかにもな内容を指摘する。それらを総合して判断を下すのは少佐である。


「あと四日です、今から総動員態勢を取っては最終日で疲労がたまり注意が鈍ります。通常警備で狙撃対策に偏重させます」


「結構だ。その方針を認める。少佐は私に対してのみ責任を負えば良い」


 しくじっての外部からの責めは島が引き受けると背中を押した。現場がそう判断したのだ、それを信じて預けるしかない。賭博をするつもりはないが、安全圏で座しているつもりもない。


「了解しました、閣下!」


 部屋を出てエーンが少佐に「どうですかうちのボスは」にやりと話し掛けると、「初めて仕事に遣り甲斐を感じたね」笑顔を返していった。


 地方演説中に二人の男が逮捕された。一人は暗くした部屋から双眼鏡で見ていただけで、もう一人も窓際で黒塗りの笛を吹いていただけと言う。肩をすぼめる少佐に気にするなと声をかける。


 ――こちらの反応速度を確かめていた可能性もある。誤認に対する躊躇を強めるなどを含めてだ。


「しかし無関係の市民を拘束し、抗議が」


 とある人権団体からやりすぎを抗議されていた。だがしかし未だに取り調べで拘束中である。


「エーン大尉はどう感じた」


「スナイパーの捨て駒の確率が半分、無関係が半分」


 あまりに怪しい行動に意図を感じているのは確かのようだ。何の確証もない彼の勘がそう示している。期限一杯まで引っ張って取り調べを続けて何も出なければ、失策を問われてしまう。


「二人の拘束を続けろ、金で動いただけとの前提で取り調べを。抗議には調査中で一切コメント不可だと答えるんだ」


 島が舵取りの方向を決める。不当逮捕ならば後に補償を規定に従い出してやれば良いと。


「わかりました」


「今までと同じで良い、決して引き下がるな」


 強気の憲兵隊に対して夫人が抗議を申し入れてきた。候補のイメージに関わると。


「ちょっとあなた、遊説先で誤認逮捕が相次ぐなんて報道されたら印象が悪くなるわ!」


「ただ今取り調べ中です。誤認逮捕ではありません」


 ――面倒な奴がまた出てきたぞ! だからと無視をするわけにもいかない。


「事実がどうでもそんな噂が流れてしまうと迷惑だと言っているんです!」


「噂まで関知は出来ません。報道の仕方についてならば放送局に抗議をしては?」


 正論で突っ返すがそんなことでは引き下がらなかった。


「あなたのそんな態度が憶測を呼ぶんです。即刻謝罪の会見を開きなさい」


「憲兵隊は謝罪すべき行為を一切行っていません。そのお望みには応えることが出来かねます」


 流石に見かねたカルテス候補が夫人を止めた。地元の後援会の代表が夫人の臨席を望んでいると耳打ちされ、怒り肩のまま場を去る。


「准将、本当に済まない。妻は神経質になっていて」


「何と言われようと我々は貴方が無事ならばそれで構いません。それが職務です」


 公務で動いているとの姿勢を崩さず、気持ちを荒げることもなく対応する。カルテスにはそれが実務に長けた人物だと映ったらしい。


「汚職が叫ばれている国にあって、准将のような人物がいて嬉しく思うよ」


「個人はもちろんですが、汚職と言うのは組織にある背景がそうさせるものでもあるでしょう。天秤が清貧に傾けば淘汰されると信じ、そのための促進も自分の役割と心得ております」


 ――パラグアイに限らずにだが、そういった輩が減れば暮らし向きはよくなるはずだ。


「私もそう思うよ。働けど良くならぬ社会は健全とは言えない。格差は無くならないにしても、幅を小さくは出来るはずだ」


 アメリカや日本、中国などに限らず、社会格差は世界中で問題視されている。多数の声が抑圧され資産がある極めて少数の声が光を浴びているのだ。ある種の発言力としては正しくとも、まるごと全てがそうだとは決して言えない。


「保護産業が競争力を強く得るとは思えませんが、中央値に届かないにしても仕事が産み出されるのは望ましい。熱いバイアスだと語る教授が居りました」


「准将は社会心理学まで修めている?」


「受け売りです。自分は無学ですよ、大学も中退でして、しかも二度も」


 大した人間じゃありませんよと肩を竦めた。秘書がカルテスを呼びに来たので話を切り上げる。


 ――アロヨみたいな人物なんだろうな。力のない時代ではあの位の強引さが必要視されるわけか。


 何事もなく時間が過ぎていった。アスンシオンに戻りついに最終日を迎える。つまりは土曜日、朝八時から広場が開放され政策を掲げた支援者が候補に代わって決め細やかに対応した。

 十時を過ぎたところでフランコが会場に到着した。市街地西側、旧区を回ってからやってきたようだ。十一時には新市街地を巡りカルテスが会場入りする。


「凄い熱気だな」


 まだ候補者が演説を始めていないのに観客は異様な盛り上がりをみせていた。あまりの熱に体調を崩し救急車で搬送される人物が十人程出たようだ。


「軍曹、あのビニールはなんだ?」


 島が演壇の前方に複数ある透明の物を指差してオビエトに尋ねる。専属で会場に張り付いていたので、大体のことは彼に聞けば答えが得られた。


「見ての通りただのビニールです。水平は無意味ですが、撃ち下ろしの角度ならばモザイクがかかって目標が捕捉出来ません」


 腹から下は机が完全にストップすると説明を加える。当然胸や腹は防弾ベストなりで被害は小さくなる。


 ――ひさしのようなものだな。安上がりだが効果は間違いない。


「カバー仕切れない狙撃ポイントは?」


 今度はアヤラ少佐に漠然とした質問を投げ掛ける。モールの西側、道路近くに警備本部を置いていて、警察の指揮官もそこにいた。ただし憲兵本部に市警のトップが詰めているので、こちらは現場組の責任者である。


「憲兵を長にして警官を区域ごとに配備しています」


 封鎖が困難なヶ所は人間の目に頼ることにしたらしい。集中を邪魔出来るならば何でも構いはしなかった。


「近隣区域で陽動があった場合、応援との優先順位や指揮権の確認をしておくんだ」


「すぐに指示します」


 その時になってから交通整理しようと考えていたらしいが、事前準備に切り替えたようだ。


 ――直下の予備を少し押さえておくべきだ。指揮権はエーンだな。


「エーン大尉、担当が間に合わない場合に備えて班を二つ使えるように用意するんだ」


「スィン」


 近くの警察指揮官に八人予備を控えさせるように話を持ち掛ける。四人二組で警部補を長に据える。徒歩だったがバイクを追跡用に特別確保させて編成を終える。


 ――人混みに紛れてしまえば追跡は出来ないが、何かしらの予感がするのかね。


 いずれ必要になってから揃えるようでは手遅れなので、黙って様子を見る。手抜かりはないはずだと何度も自身でチェックを繰り返した。


 ――あれは何だ?


「少佐! 会場でのあの作業はなんだ!」


 離れていたが駆け付け指差す方向を見る。足場を増設し競り出すような形を作っているように見える。


「すぐに確認します!」


 言われたら即座に動くのは感心である。部下任せにするのが少ないのも島の信頼を得る機会を増やしていった。

 作業している者を止めて責任者を呼び出すよう命じると、何とあの夫人がやってくるではないか。


 ――少佐では荷が勝ちすぎるだろう、俺が行かねば!


「アサド」


 小さく呼び掛け警備本部を出る。


「閣下」


 アヤラ少佐が渋りきった顔で助けを求めてくる。どうやらより観客の近くで演説をさせようとの考えらしい。


「警備計画にはこのようなものはありませんでしたが」


「これは警備ではなく演説の範疇です。邪魔をしないでいただきたいわ」


 ――こんなことをされたら狙ってくれと言っているようなものだぞ!

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