第322話


「好きな通貨を現金払いしてやる」


「時間をいただければ、やります」


 やれますではなく、やります。意志の度合いが違う答えが返ってきた。CIAがこの先にピョートルを動かすつもりならば、こいつを引き合わせてやろうと画策する。


 ――上出来だ。河南の貯蔵所は通らなくてもなんとかなるかも知れんな。


 十平方キロあたりに一人以下の人口密度である、偶然どころか奇跡が起きない限り場所が見付かることはない。仮に見付かったとしても、持ち出そうとすると通知がもたらされる仕組みになっているはずだ。受け取りを翌日午後にし、砂糖を渡して引き払う。取引の証拠を残すために。



第六十七章 ターリバーンの襲撃



 滞在四日目の朝一番で、宿に現地人がやってきた。カールマルに呼ばれ彼の部屋で対面する。抜け目なさそうな顔つきをした中年であった。体格も貧相で、ポイントを節目節目で稼いでいくようなタイプに見える。


「彼等にも、もう一度同じ話を」


 指示されれば何度でも繰り返すとばかりに、嫌な顔をせずに話始めた。


「ここから北東に十キロあたり、ターリバーン・ザランジ地区拠点から、ウズベク人が北部に護送されます」

「ウズベク人とは誰だ」ロマノフスキーが曖昧な箇所を指摘する。

「ウズベク国民運動戦線のロマノフスキー」

「北部とは」

「不明です。首都方面ではないので、東でないなら北しかありません」

 西はイラン、南はパキスタンなので、確かにカーブルでないならばそうなる。

「首都ではないのは何故だ」

「首都には輸送車が別に向かいました。ハシシュなどの不定期便で一昨日出ています」


 ――麻薬の水際阻止はこいつがソースか? だとしたら確度は高いな。


「出発はいつだ」

「今日これから。直前になって知らされた」


 ――何か状況に変化があったんだ!


「ロシア語でも説明出来るか?」

「それは無理です」


 説明させたいわけではなく、理解しているかを問いたかっただけである。だがしかしロマノフスキーは虚偽を警戒して、昔のようにロシア語とドイツ語をまぜこぜにして島に話し掛ける。


「やりましょう。拠点から離れた場所で宿営中を」

「集落に入るかも知れんが、存在を確認したら仕掛けよう」

「パシュトゥーン人の三人も使える?」

「ああ、戦闘要員だ。能力は未知数だがね」

「では臨機応変に」


 素早く要点を固めて、目の前の男に向き直る。


「案内出来るな」

「もちろんです」

「すぐに出よう」


 カールマルに主導権を戻して、追跡の準備に取りかかる。何キロと離れていても視界に入るため、かなり距離を隔てて追いかけることになる。見付けやすい、即ち守り側が極めて不利になってしまう。これは全てのことに言えた。警備など一年のうち殆んどが完璧でも、たったの十分隙をつかれたら失敗なのだ。


 ――奇襲して保護するのは、不運がなければ問題ない。脱出は容易ではないぞ!


 先進国の道路とは違い整備がされていない地域は、どこに行くにしても道が少ない。ましてや砂漠や荒れ地では、根本的に設置が不可能な部分が多い。風が強ければ五分で轍など無くなってしまう。ところが雨が降らない乾燥地帯では、黙っていたら何年でもそのままなのだ。

 カールマルがそれらしい轍を睨み跡を注意しながら車を走らせる。砂塵が立ちづらいように、二台は距離を空けていた。


 大きな集落は政府が押えているため、野営にポイントを絞る。島は敵が襲撃を受けた際に、どうしてくるかを想像してみた。


 ――護送するわけだから奪還するか、さもなくばもろとも消しに来るはずだ。通信手段はなんだろうか? 一般携帯電話や無線は使えない、伝令かアメリカの傍受を承知で通信衛星携帯を使うしかない。前者ならば馬鹿正直にザランジに戻らず、近くの拠点に駆け込むはずだ。タイミング次第で待ち伏せされてしまう。確実に足を奪わねば! 逆に言うならば、多少派手にやったところで心配はない。渡河が鍵になる。橋を通らねばならない、残りが徒歩というわけにはいかん。


 腕にさしてある鉛筆をチラリと見る。先っぽに重心があり、芯が本当に鉛で出来ているフェイクだ。持てば重いのがわかるが、普通に書けるためにそれ以上疑問を持たれることもない。


 ――橋を渡ってから武器を拾いに行くか、真っ先にパキスタンに向かうかはその時に判断しよう。


 どちらが良いとは解らない部分を先送りにしてしまう。その行動に固執する必要はない。

 暗くなってからも、無灯火で運転が続けられた。速度はかなり落としている。ちょっとした丘に登る度に双眼鏡で辺りを見回した。カールマルが光を発見する。


「揺らめいています。火を焚いているのでしょう」


 自分達の影響下にあるためだろう、無警戒に火を使っているのが島にも確認できた。


 ――車なら一時間の距離か。多少風が出てきたが無風に近いな。


「エンジン音はどのくらいまで届くだろうか?」


 密林ならば数百メートルだが、開放されていて音がない世界ではどれほどだろうか。耳が良い現地人と鼓膜を痛め付ける軍人の差もある。


「三キロメートル程、あの手前の丘の麓までならば心配ありません」


 返答を聞いて、そこまで進出することを決める。軽い食事をして、交代でそれぞれが二時間弱仮眠をとった。完全な闇に焚き火が揺らめいている。野獣が襲ってくるのを遠ざける為だろう。

 闇に目をならしておく、先頭を歩く者以外は光を直視させない。焚き木がはぜる音すら聞こえてくる、二百メートル程にまで近寄ってきた。警戒しているのは二人いた、他は全て寝入っているようだ。


 ――車両が四台か、十人やそこらは居るだろうな!


 ピョートルが居るのはどこかを目で探してみる。火にあたっている男達の視界には入っているはずだ。幾つか毛布にくるまっている、それらの塊とは別だろう。視線を流すとやや離れて一つだけミノムシのようなのがあり、また離れて塊が幾つかあった。


 ――あの単独のだ。


 ロマノフスキーに指さしをして場所を確認させる。ゆっくりと頷いてどこに居るかを意識の中に刷り込む。次いで後ろにいる四人にも合図を送る、いざ始まるまでは伏せているようにと。車両を真っ先にロケットで狙うよう指示してあった。


 ロマノフスキーに目配せをして、島が左、彼が右の不寝番を処理するのを決める。ナイフを手にしてゆっくりとにじりよる。音をたてずに背後にまでくると筋力にものを言わせて一瞬で起き上がり、後ろから片手で口を塞いで腎臓に刃先をめり込ませた。あまりの激痛に声も出せないまま即死する。

 ロマノフスキーがいち早く単独転がっているところに近付く。チラリと顔を覗くと老けはしたが共に育った兄がそこにいた。


「兄さん」


 口を押さえてからウズベク語を小さく囁く。何かと目をさましたピョートルが驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻した。言葉は発しない、体だけを覚醒させるためにところどころに力を入れたり抜いたりを繰り返す。

 島は寝ているやつらの口にナイフを押し込み、一人、また一人と処理して行く。誰も目を醒まさないまま永遠の眠りについた。


 思いがけず完全奇襲に成功したため、パシュトゥーン人二人にトラックを取りに行かせた。その間に死体を砂地に埋めてしまい、使えそうな装備を剥ぎ取る。


 ――車を破壊すべきだろうか?


 一瞬考えたがやはり破壊することにした、修理されて使われてはたまらない。ガソリンを抜いて車体にかけてやり、少し離れてから射撃すると火花で以て着火した。これでロケットが節約できたと微笑する。

 ニコライに抱えられてトラックに乗ると、ピョートルがようやく口を開いた。用心深いのか周囲に彼しか居なくなりやっとだ。


「ニコライか」

「はい、兄さん」

「彼らは?」

「仲間です」

「どこへ?」

「パキスタン、そこから脱出します」

「家族は?」

「無事です。国を離れますが」

「俺がやるべきことは?」

「怪我はありませんか?」

「問題ない」

「では、道すがら説明を聞いてください――」

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