第250話
何ならまた住んでみませんかと誘いを受ける。
「ありがとうございます補佐官、まだまだ行ってみたい土地が沢山あるので、少しばかり先になりそうです」
如才なく受け流す、共通語はフランス語と言うことで、それを使うことにする。
「レバノンの重く暗い過去は年寄りが一手に引き受ける、若者は未来を明るくするのに全力を注いでもらいたいものだ」
食前酒を口にして誇れない歴史を思い起こす。
「私も軍では老兵の側です、これからは島大佐の時代ですな」
口数少ないハウプトマンではあるが、機をみて言葉を挟む。
「そんな自分も気付けば平均を吊り上げる側に仲間入りです」
総司令部や軍務省ならばぎりぎりかも、と笑いを誘う。
「このような席に場違いな私が、申し訳ありません」
アーメドが居心地悪そうにする。
「アーメドさん、あなたはレバノンの外国人観光客を国内で一番多く扱っているでしょう。国のためにこれからもお願いするよ」
軍事ツアーのついでだが、違いはあるまいとハラウィが気を回した。説明を聞いてスライマーンも理由を広く悟った、頭の回転はお世辞抜きで早い。
「世界にレバノンと言う国を発信するには人が重要です。タクシー会社とは、大佐は良いところに目をつけられました。アーメド社長、長らく続けていただけたら私も嬉しく思います」
レティシアがタラシと評価した彼は、初対面の人物を快く受け入れてくれた。
「私はキリスト教徒ではありませんが、今日ばかりはあらゆる神に感謝をしたいと思います」
場が落ち着き料理が並べられて雑談が始まる。立場上面々が口にするのはスケールが大きいものばかりであったが。
「ところで島さん、ロマノフスキーさんは現在はいかがされていますか?」
ふと思い出したのだろう、ベイルートの空港でも一緒だったあの男を。
「彼は某地で自分の身代わりをしてくれています。頼れる男ですよ」
細部には触れない、しかし長いこと共に働いているのを嬉しそうに聞いていた。反面でレティシアは不満顔である。何せ敵対どころか命を奪いにきた奴なのだ、彼女の中では未だにそれは許されていない。
「世界は広い、レバノンより辛く苦しい生活を強いられている国はたくさんある、な」
今更方向を変えるつもりはないが、島の話を聞くたびに考えさせられるハラウィが呟く。
「皆が皆すべて幸せになんかなれっこないさ、あたしは身近な者のそれだけで充分だ」
それはまたそれで一つの答えだと皆が頷いた。女は現実をよりよく見ることができる、男は虚像をよく見ることができる。社会に限らず精神面でもそうなのだ、空間把握能力は性による差が大きいと証明されているが、原因までは特定されていない。
――この機会にアレを聞いておかねばならんな。
食事が一段落して時計を眺める、お開きにするような時間になっていた。島が集まってくれたことに感謝を表して解散となる。席を立った者達を見送りつつ「大佐、少しよろしいでしょうか」ハウプトマンを呼び止める。
「レティア、先に部屋で待っていてくれ」
「わかったよ」
二人でラウンジバーにと行く。腹が満たされているために、ブランデーをオーダーし唇を濡らす。
「呼び止めてしまい申し訳ありません」
「なに構わんよ、宿舎に戻っても誰が待っているわけでもない」
自身の身の上に軽く触れる。佐官ほどになれば、外国であれ家族を呼び寄せるくらいは簡単なはずだ。
「ご家族はフランスでしょうか?」
ハウプトマンが自ら話題にしてきたので訊ねてみる。
「らしいがもう暫く会ってもいないし話もしていない。全て私の責任だよ。して話は何だろうか」
「はい。グロックについてです」
ここでその名前が出てくるとは思っていなかったようで、「グロック……」と呟く。
「現在は名誉陸軍最先任上級曹長として自分の補佐をしております。何度となく将校へ上がるよう話をしたのですが、頑なに拒否して……。大佐ならば何かご存知かと思いまして」
ハウプトマンはブランデーを口に運び目を閉じた。島は黙って反応を待つ。もしこのまま口を開かないならばそれで終いにするつもりで。
「あれとは、私が少尉で部隊に配属された時以来の付き合いでな」
遠くを見詰めたまま過去の記憶をさ迷う。
「フランスはルワンダ内戦に介入し舵取りをしくじった、私達はその戦場に居たよ。あいつはまだ入営したての二等兵で、私も青臭い新任で。戦争のことなど、これっぽっちも理解していなかった」
――そんな頃からの戦友だったのか、グロックは何も言わないからな。
「昨今ようやくフランスは当時の判断を誤りだと認め、ルワンダと和解しましたね」
大統領が認めて正式に謝罪した、そうしてから前に歩みを進め始めた。
「うむ。だが当時はそれが正義だと信じて従った、罪もない者も沢山殺したよ。今になってみれば何故拒否しなかったかわからんね」
三十年前後の経験を積んだものが考えるのと、初任が考えるのとでは全く条件が違うが、彼はそうは言わなかった。
「仕方のないことでは? 新人に何が出来ます」
特に答えるわけでなく、また少し昔を振り返る。
「そうなのかも知れんが、少なくとも目の前で起きたことだけは何とか出来たはずだ。内戦から引き揚げてきて二人は別々の部隊に配属され、数年の後に再会した」
それがレジオンだったと明かす。将校はフランス国籍が必要で兵士は逆である、不意に顔を合わせた二人はばつがわるかったと語る。
「グロックはドイツ国籍でしたね。今はニカラグア国籍も併せ持っています、フランスのはどうでしょうか」
二重国籍は多々あり得るものなので、扱いがどうなるかは詳しくは触れない。
「……レジオンでは明けても暮れても訓練ばかりだった。個人を鍛えてどうなるか、答えは出ないままに。時は流れて私は少佐に、あれは曹長に昇進した」
――ということはエチオピアの辺りまでは在隊をしていたわけだ。
自身の記憶に照らし合わせてみて時期を補正する。
「あれも私もとにかく考えることを伝えようと過ごしてきたよ。指示されたことが全てでは人は育たないと、無理難題を押し付けては見守るという訓練を繰り返した」
――激しく心当たりがあるぞ。結果文句は何もないが。
「自立した考えをさせ、肉体を鍛え戦士を育てるのが、我々に与えられた道だと確信して邁進した。時は流れて私が退役することになってあれは誓った、少しでも長く軍に残れるように下士官を続けると。将校にあがれば兵を育てることも出来なくなる、そうなれば目的を喪うとな」
――そういう事だったか、年齢による壁がフランスにはあるからな。
「ハウプトマン大佐、その誓いは今も生きております。ですがそれを破ることを認めては貰えないでしょうか。しかし目的は果たさせます」
ふむ、と島を見る。その表情は真剣で、戯れ言を口にしている風ではないのがはっきりとわかる。
「島大佐、約束は守られるべきだ。だが――あれにとっての誓いを通せるならば、私は目を瞑ろう」
「大佐、ありがとうございます!」
起立、敬礼し感謝を伝える。頑張りなさい。それだけ残してハウプトマンは去っていった。島はその姿が無くなっても暫しそのままでいた。
――グロックよ喜べ、お前と俺の希望の種は、こうまで大きく育ったぞ! 若者が今まさに飛び立とうとしている!
島が部屋に戻ったのに気付いてレティシアが振り返る。
「ちょうどよ――お前、やけにいい顔をしてるじゃないか」
「なんだ今ごろわかったのか」
生気みなぎるとはこのことだろう、生き生きと切り返す。今この瞬間ならば不可能はないとまで言い切りそうな位に。
「お悩み解決ってわけかい。たまには報われるべきだね」
何があったかまでは問わない、知るべきならば話すだろうと。
「来て良かった」それにと一歩二歩近より「この想いを聞いてくれる者が居てくれて!」
腰に手を回して力任せに引き寄せると唇を塞ぐ。いつになく強引に抱き上げるとベッドに運ぶ。
「男なんてのはそのくらい押しに押すのが丁度いいもんさ。あたしゃね強い男が好きなんだ、相手が誰であっても負けたら承知しないよ!」
「レティアお前もだ、宿命に抗うことは出来るか?」
「格好つけやがって何が宿命だよ。あたしはね、お前が負けない限りは何者にも屈しない、オチョアにもね」揃って無敵で良いじゃないかと笑う。島にとってレバノンがまた特別な場所になるのであった。
◇
ビーチリゾートを数日楽しむ。そして発覚した事実が一つあった、レティシアは泳げない。彼女がジェットスキーを拒否した理由が、ようやく今頃になり明らかになる。
「タイ海軍にいたやつに聞いたことがある、海軍では水泳可能な兵士を求めていないそうだよ」
「たって桟橋やら海で落ちるやつもいるだろう、泳げないやつはどうするんだ?」
皆が疑問に感じる部分である、島ですらレジオンで雑談していたときに、そいつに面と向かって尋ねたものだ。
「簡単さ、海軍に入ったら泳ぎを覚えるよう訓練する。つまりは誰でも泳ぎは可能になるそうだよ」
川に放り投げて沈んだら助けるの繰り返しで、拷問から逃れたい一心で泳ぐそうだが……それについては触れない。
「ま、まあ動物はすべからく泳ぐものだからな、人間だって例外ではないはずだ」
「そういうことだからやってみないか?」
「だが断る!」
結局のところ小型クルーザーで景色を眺めると話がまとまり妥協した。
――暫くはこのネタを使えそうだな。俺とて大した立派な泳ぎではないが、沈むことはない。
「そうだ戦車!」
ふと思い出したのだろう、ホテルで突然声をあげる。何だかんだとうやむやになり、ハラウィに頼んでいなかったのを島も思い出した。
「おっとそうだった、ちょっと司令部に行ってお願いしてみよう」
まだ朝早いが夜遅いよりはよかろうと、散歩がてら二人で向かう。
――やけに緊張してないか?
隣を見るとレティシアも疑問を持ったようで、意味ありげな視線を送ってくる。
「あれを」
指差す先を見ると、軍用車がトラックを先導して大通りを進んでいる。それも一両や二両ではない、列を成しているではないか。
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