第108話
首相と呼ばれた老人はアンナフダ党の次席にあたる幹事長のハンマーディ・ジバーリー。ラシード・ガンヌーシーが亡命先のイギリスから帰国してくるまでチュニジアで頂点に立っていた男である。ガンヌーシーは新しいイスラム主義を遊説していたが、ベン=アリ元大統領から睨まれて二十年以上も亡命していたのだ。
マグレブで民主化の風が吹くとアンナフダ党代表会議でガンヌーシーが過半数を得て、ジバーリーを押し退けて党首の地位についたのだ。しかしチュニジアに滞在しているわけではないため、アンナフダ党からはジバーリーが首相として政府に名を連ねていたのだ。
「アルジェリア軍でなければアメリカ軍でしょう」
憮然とした態度になるのも無理はない、長いこと苦労して維持して育成してきた党が乗っ取られたのだから。ガンヌーシーが帰国の折に警察に働き掛けて逮捕させようとしたが、国が混乱しているためにそれを拒否された過去を抱えていた。
「地中海からアメリカ軍機がアルジェリア内陸に飛んだのを目撃した報告がありました」
三人の中では一世代若いライラエッド、彼もチュニジアを追放されていたが、大統領が亡命してからアンナフダ党に呼び戻された。彼はイランで経験を積んできたが二人には及ばない為に、次の時代を狙うためにターリバーンが後援している人物である。直接害を及ぼすわけではないためジバーリーも彼を粗略には扱わなかった。
「アメリカの行為は常に他国に自らの意見を強いるものばかり、あのような国があるせいで中小国がどれだけ苦しめられているか」
米国とは相容れない構えを見せるためにイスラム社会からの支持を多く得ている彼だが、悲しいかな手腕と人望は別の物差しのようでガンヌーシーとの支持率の差は広がる一方であった。
「毛嫌いするのは構わんがそれを態度に示してはいけない。社会は様々な事柄が折り重なって作られている、アメリカとてその一部ということだ」
強固なイスラム社会主義のジバーリーとは違い、開放型イスラム主義を掲げるガンヌーシーを推しているのはイスラム教徒以外にも幅広い層に居た。
抑圧的だった前政権の大統領、その統治のやりかたが気に入らなかった国民ではあるが、イスラム社会を捨てるつもりは微塵もない。チュニジアのイスラム教徒は前進的な思想を持っており、戒律で縛られた社会から離れた若者が多く存在した。
大統領が追放され国民が直接政治に関わることが出来るようになったは良いが、どこにその熱意を向ければと迷っているふしがある。それを上手く掬い上げて議席に反映させたジバーリーは真に有能と言えよう。
「アメリカ軍はチュニジアでも秘かに活動をしている、これは内政干渉ではありませんか?」
主義主張を争っても平行線のため話を現実問題に引き戻す。軍を動かすのは主権に干渉する重大な懸念である。
「私のところにはそのような報はありませんでした。休暇でチュニスに滞在しているアメリカ人が急増しているのは喜ばしいこと」
わかっていて表面だけをそう述べる。形式が整っている以上は騒いでも一方的なものでしかない。
「それは偽装です、何を狙っているのかわかりませんが退去させるべき」
ライラエッドへ視線を向けて意見するように促す、同じ最高幹部でも格下はあまり多くの発言をしない。
「偽装の事実を確認すべく入国管理局と警察に調査命令を出してはいかがでしょうか? 問題があれば即座に報告させれば」
どちらにも寄り添わず中道を勧めた、個人の考えだけならライラエッドも退去を支持したかった。しかしそれで問題が激化してしまえばアンナフダ党の為にならないと自重する。
彼の役割は党を強くさせてから、十年の後に勢力を引き継ぐことである。それだけに党首争いからは身を引いた動きを貫いている。
「不正があれば正されるべきです。ですが規定の手続きを行い入国滞在されている外国人の方は、チュニジア政府が責任を持って保護するとの姿勢を欠かせません」
「それは約束しましょう。ただし不正があれば逮捕して事情を詳しく調べます」
外貨を得るために外国人はお客様、その態度は変えることができない、ことチュニスに於いては。地方都市ならばまた違った判断にもなる。
一応の決着が党内でつくにはついたが、部署に命令を出す匙加減は現役の首相であるジバーリーに委ねられていた。彼が動員出来るのは所轄の警察と国家の公務員だけで、軍隊は大統領、地方公務員は県の知事である。
一昔前の大統領は非常事態宣言を発して以来、非常大権により全てに直接命令を下すことができた。それを改革してからは少しずつ権力の分散が行われている。
ガンヌーシーの思想も権力分散を求めており、究極的には民衆が政治機構である国と言う集団を統制するのを目指していた。そこにイスラム主義を織り混ぜて個人を律すると共に、思想的なドクトリンを一定方向に向けさせた上での民主主義を確立させようと力を注いでいる。
「チュニジアはこれ以上の混乱を望まない。アッラーアクバル」
「アッラーアクバル」
そう唱和して三人は解散した。
◇
軽空母ランスロットに足を向けた島はジョンソン大佐のところに来ていた。例の工程表についての修正部分に反映するからと意見を求められたからである。
「随分な急展開が途中で起きなければ厳しい内容になりますね」
率直な感想を述べてもう一度最初から読み直して想定してみる。
「何せ順を追っていかねばならない上に、教授の工作には時間がかかる。下手に先に手出しが出来ん分、後半に皺寄せがな」
主軸である政党の取り纏め、ここを外すわけにはいかない。これより先に動ける箇所があまりにも少ないのだ。
「進捗状況はいかほどなのでしょう」
「三割程度との回答だったよ。軍人とは違い教授のは粉飾されていない数字だろう」
上官へ耳の触りが良い数字を報告するのは常時行われていた、一番酷いだろうその実態では中国にかなう国はないだろう。一方で正確さを求めて日頃発言している学者は、その発想すら持っているか疑問である。
「個別に面会していくしかありませんからね。時間がかかるのは甘受して、終わる前に始められるように切り口を変えるのが必要でしょう」
――政党の取り纏め、議員拘束、大統領解職。順番を変えられないのは過半数を取れないのが理由だ、ここの発想を逆転させるんだ! 無所属議員を口説いてまわるのは効率の面からも短くはならない、大統領の解職に否定的なのは擁立している政党だけではないだろう。ではどこがそうか、連立与党であった第四党が政府を失えば最早返り咲かないために反対派にまわるだろう。
逆にアンナフダ党は大統領を解職してしまえば次の大統領候補を打ち出して当選させられるとして反対しまい。矛盾を孕むのがここだ、大統領を引き込み制憲議会を先に凍結しなければならない、そのためにはアンナフダ党と敵対する必要が出てきて過半数が遠くなる。
沈黙して真剣に考える島を前にジョンソンも今一度策がないかを思案する。口約束ではなかなか事態は動かない、書面を交わそうとも従う確約もない、政治党争とは鵺のような輩が跳梁跋扈している暗黒地帯なのだ。
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