第32話

 ロマノフスキーの分も決まっていたかのように確保する、通訳してやるとお言葉に甘えてと承知してくれた。夕食の席で言わねばと意を決して切り出す。


「実は去年結婚したんだ」


 ほんの一瞬だが空気が変わるのが感じられた。


「あの写真の娘さんかしら?」


 由香のことだが違うと頭を振る。


「レバノン人でスラヤ・ハラウィ・島だったよ。……結婚式の直後に事故で死別した」


 母の箸が止まる。父は茶をすすり一言尋ねる。


「短くても幸せだったか」

「はい」


「そうか」


 結局暫くはそのまま誰も言葉を発しなかった。ロマノフスキーもスラヤの名前が聞こえ悟ったようで部屋にと消えていく。しかし彼はすぐに戻ってきた、手にガラス瓶を抱えて。


「大尉、一杯やりましょう」


 心遣いに言葉の壁は存在しなかった、父がグラスを用意して迎え入れる。三人の酒盛りはただただ無言で過ぎていった。疲れていても場所がかわっても戦いの最中でも自然と同じ時間に目が覚める。ランニングをしてから家に戻ると当たり前のように朝食が並んでいた。


「日本食は素晴らしいですね、こんなバランスがとれた食事は初めてです」


 いつもビタミン剤で調整しながら栄養補給していたのだがそれの出番がなかった。確かにそうだと感心しながら味わう。


「ところで今夜はクラス会……同級生との宴会があるんだが、ロマノフスキーは街に出てみるか?」


「適当にぶらついてみますよ。ご心配なく」


 連絡先をまとめてメモして渡しておく、もし喪失したなら警察署に行けば良いと教えておいた。


「子供じゃありませんよ、ですが気持ちは受け取らせていただきましょう」


 そりゃそうだと笑って心配をやめる。戦場で迷子になるのとは危険の度合いが違うと納得する。みんなそれなりな格好をしてくるだろうけど自分は適当な服を持ち合わせていないことに気付く。昼間のうちにデパートをまわり多少はマシな姿へとかわった。


 ホテルの宴会場での立食スタイルが用意されていた。集まりやすくあちこち話をしながらにはうってつけである。開始時間前についてしまい少しロビーをうろついているとフロントで困っている人物を見つけた、アラビア語が通じなくて往生しているようだ。


「どうなされました」


 通訳してやろうと話し掛ける。


「おおあなたはアラビア語がわかる、助かります」


 チェックインを補助してやるとレバノンの旅券を持っていて驚いた。


「レバノンからでしたか、実は私も一年ほどですが昨年レバノンに住んでいたのですよ。その他の宗教としてですが」


 宗教により付き合いが変わると考えそう付け加える。


「そうなんですかそれは奇遇ですね、私もアルメニア正教でして。ヤーン・スレイマンと申します」


「島龍之介です、シーマで結構。大統領の親戚の方で?」

 ――おいスレイマンだって?


 そう指摘されて満更でもない表情を浮かべる。


「いえ無関係ですよ何代か前はわかりませんが」


 フロントマネージャーからも感謝を述べられる。時計をみると丁度よい時間になっていたので会場へと入っていった。既にかなりの人数が居りパーティーが始まっていた。堅苦しい開始の挨拶はこれからのようである。


「おい島じゃないか?」


 振り返ると高校時代に悪ふざけしていた悪友がいた、流石にかわりはしたがすぐに誰かとわかるくらいに。


「御子柴か!」


「出席の返事がないから来ないかと思ったよ」


 どうやら幹事を務めているのは奴のようだ。


「昨日帰国したばかりでね。しかし懐かしいものだ」


「帰国だって? どこに遊びにいっていたんだよ。ほらみんなに声掛けてこいよ」


 急かされてぐるりと一回りする。誰だかわからない女性が何人もいて困ってしまった、女はこんなにも変わるものかと頭を掻いてしまう。そして懐かしの彼女にも出会った。


「冴子か?」


「龍之介さん、お久しぶりね」


 高校時代に付き合っていたのだが、今は可愛いというよりは美人に成長していた。


「美しくなったものだ……」


 つい口から言葉が漏れてしまう。


「あらお世辞でも嬉しいわ」


 如才なく返してくる当たりが経験を積んだ証だろう。肩までのセミロングは淡い茶色が光を反射していて、女性らしいボディラインが素晴らしい。


 少し話をしてみると彼女は結婚していたようだが旦那が死別して家を切り盛りしているらしい。かなり歳が離れた夫婦だったようで義理の息子がもう社会人とのことだ。壇上に御子柴が登り挨拶を始めた、昔からは想像も出来ない堂々とした態度に驚いてしまう。


「御子柴君は自衛隊で幹部やっているんですって」


 冴子が近況を教えてくれる。


 ――アイツがね。自分も似たようなものだが。


「ねぇ龍之介さんは今何してるのかしら?」


 自然の流れで尋ねてくる、答えづらいがありのままを話す。


「休業中だよ。少しゆっくりとしようかと思ってね」


 そう、とあまり深くは追求してこない、人付き合いがわかっているようだ。それでも御子柴を含めて三人は昔話に花が咲いた。時の共有が長かったもの同士は間にいくら時間が挟まってもすぐに元の付き合いに戻れるようだ。


 瞬く間に二時間が過ぎて二次会へとわかれることになる。当然のように三人は同じグループで居酒屋へと移る。


「しかし島、お前働かなきゃいかんぞ。いい歳してプーじゃ格好つかんだろ」


「まさかお前にそんな小言を受けるとはな、十年前は嘘だったのかと疑うよ」


 笑いながら杯を重ねる。十数人がテーブルを二つ使い歓談している、かなりの人数が店に入っている。東京はドバイほどではないにしても外国人が多い街である。店内でも平気で数カ国が飛び交っているように思えた。


 酒が入り人が集まれば揉め事が起きるのは必然的なものか。近くのテーブルで外国人同士の別グループが言い争いになっている。ブラジリアのようで随分と激しく怒っている。


「このテーブルまで被害が無ければいいけどな、あいつらすぐに殴り合いになりかねんぞ」


 島が皆に注意するように促し冴子を奴らから遠い席にと移した。


「確かに一触即発の雰囲気だな、困ったもんだ」


 荒事にはなれているのだろう御子柴は酒を飲みながら模様眺めをしている。ついに一人が手を出す、派手に倒れ込みテーブル上の食器をバラバラに散らかしてしまう。


「こいつは一大事」


 始まったと知らせるまでもなく注目が集まる。早口のポルトガル語で罵り合いながらの乱闘となる。


「ちょっと見てないで止めてあげなさいよ!」


 同級生の女が無茶ぶりしてくる。


「だってよ御子柴、ほら止めてこいよ」


 そうけしかけてからかってみる。


「おい悪友、喜びは分かち合おうって約束したじゃないか」


 そう言って島の腕を引っ張る。嫌いじゃないからなと席を立ち上がり野次馬に参加する。二対二の殴り合いで頭にきた男がテーブルにあったナイフを握ると雰囲気が張り詰める。


「お前は左の二人を止めろ、俺は右だ」


 御子柴がそう割り振ってくる、ナイフ野郎が右に含まれている。


「いいだろう、俺が一喝するから合図だ」


 頷くと上着を脱いで冴子に渡す。


「貴様等大人しくしろ逮捕する!」


 スペイン語で突然大声を張り上げて駆け出す。スペイン語とポルトガル語は八割九割が同じ為にブラジル人にも充分通じる。逮捕の単語に驚いた奴らは動きが一瞬止まる。すぐに服を引っ張り床へと組み伏せて拘束してしまう。一方の御子柴もナイフを叩き落として二人をホールドアップさせている。


「やるじゃないか流石御子柴二尉様だ」


 大仰に賞賛してやる。


「お前の方こそさっきのは英語じゃなかったな」


「スペイン語だよ。こいつら頭が冷えたなら解放してやるか」


 すっかり顔を青くしているが支払いと弁償したら許してやると店長が言ってると通訳してやると金を置いてそそくさと逃げ出していった。テーブルに戻ると二人は英雄にと祭り上げられていた。


「悪い気分じゃないな」


「いやまったくだ。だが頻繁にはごめん被るよ」


 やれやれと席について喉を潤す。はいと上着を渡される、艶やかな瞳がじっと何かいいたげに島を見詰める。周りには聞こえないくらいの小さな声で語りかけてくる。


「龍之介さん、仕事してないって嘘じゃないかしら?」


 別に答えを求めてくるわけではないが指摘してくる。


「そんなような風にも言えるし、プーとも言えるな」

 ――参ったな昔から鋭いところがあったよ冴子には。


 曖昧な返事をしてつまみに箸をつける。だが暫く彼女は視線を外さずに観察していた。やがて二次会も終わり皆が散っていく。どうしたものかと立っていたら冴子が寄ってくる。


「まだいいわよね」


 質問ではなく確認のような口調である。


「ああもちろんだよ」


 二つ返事でネオンに向けて歩き出す。人が羨むような色気を感じる。

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