第26話

 食事時間が終わりホテルへと帰ることになり連れ立って外へ出るとニムが腕に絡みついてきた。ちょっとふざけて持ち上げてやると、「わぁ!」と声を出して喜んだ。きっと平和とはこんな状況を言うんだろうなと、冷静なもう一人の自分の呟きが彼の頭をよぎる。


 夜になるとホテル内での自由行動になる。夜のスーダンを外国人が歩き回るのは危険だから絶対にしないようにと警告される。殆どが自室かラウンジで酒を煽る、もちろん島もだ。


 出発が早いことから自然と解散も早かった、ロマノフスキーと目が合うも異常なしなので話すのは控えることにした。翌朝ホテル前に中型のバスが一台現れてツアー客が乗り込んだ。薄汚れてはいるが現役久しく活躍しているのがよくわかる。


 気にしていてはやっていけないのでさっさと乗り込み後部座席の右後に陣取った。ニムを奥に座らせて自らは通路寄りに腰を下ろす、それを見たロマノフスキーは運転席のすぐ後ろ、つまりは対角線に位置どる。仮に事故があっても一緒くたになりづらい場所を選択する。


 若いガイドが前に乗り、ハッサンは通路後ろに落ち着いた。おはようと挨拶するとご機嫌返事をしてくる。


「これから何時間くらいの行程でしょうか?」


「四時間くらいでして。昼飯前には次の街につきますよ」


 外を眺めるとナイル川がずっと先まで見え、対岸を見ようとしても全然見通せない。最初は感動していたが一時間とたたないうちに見飽きてしまう。隣を見るとニム島に気付く、今日もあのヘアピンをつけていた。


「最初に見た奴はここに海があると勘違いしたんじゃないだろうか」


「そうかも、こんな広い川みたことないわ」


「海賊ならぬ川賊がいるらしいからね、通報を受けて駆け付けてみても船ごといなくなってるって寸法さ」


 船を担ぐような真似をしてみせると口に手を当てて笑われた。


 ――空からではなく川から国を脱出してもいいな。そもそも帰りは中央アフリカに逃げ込んでもよくないか?


 武器を受領する都合から行きはハルツームなのは決まりだが、帰りは違っても良いことに気付く。こんな簡単なことが思いつかなかったのかと自分自身を不思議に思ってしまった。


 国境に線が引いてあるわけではない、単に地図上に直線を引いてこうなったのだ。アフリカの国境に直線が多いのは自然環境を無視して机上で列強がこうだとしただけのものが沢山ある。ではハルツームに帰らなくてよいならばどうすることが出来るかを考えてみる。


 ――ヘリによる脱出が出来たら一番楽でいいな。次は車や船だろう、歩きは勘弁願いたい。軽飛行機は数が揃わないだろう。領空侵犯をとられて撃墜されたらきついな。


「何考えているんですか?」


 あれこれと首を振ったりしながら悩んでいるのを見て問いかけてくる。


「こういう自然の中でダイナミックに遊ぶにはどうしたら良いかなと思ってね」


「私、馬に乗ってみたいです」


「それはよい考えだ、後でハッサンに聞いてみよう」

 ――馬、馬か! 車両が壊れた時の代替になるな。


 名前を出して首を傾げたので、ガイドのおじさんだよと説明する。鐙を持ち歩くわけにはいかないので、何枚か毛布でも荷物に追加しようとメモする。陸路脱出になれば旅券に不都合が起きるが、優先課題が生還なので誰も文句は言わないだろう。


 ――中央アフリカでどこかの領事館を探して出入国のスタンプを押してもらえばいいだろう!


 何せ事後のことは考えずに任務を達成するところまでを考える。都市部から離れたら紙幣より貴金属などの方が交渉しやすいならばそれらを持参しなければと考え、ダイヤモンドを始めとする産出可能品はダメだと注意をする。


 暫く揺られてようやく辿り着く、道はそこまで悪くはないが暗くなってからは慎重に運転しないとひっくり返りそうな穴が時たまあったりした。当然のように舗装道路なんてのは都市部のみで、殆どは土や砂に出来た道である。気候が気候だけに雨で水溜まりなどがないのが不幸中の幸いと言える。


 バスから降りて体を解す、トイレ休憩やらを挟んでまたショッピングツアーに早変わりした。ガイドもこれがあるから働いているのだろうし付き合うことにする。


 地図で進捗具合を確認してみる、こんなペースだとアル=ファシェル市まで五日はかかってしまう。ヴァンで移動して昼夜兼行しても丸々二日コースになるだろう、そうなれば疲れを抜くために一日休養する必要がある。


 ――ハルツームで武器だけ二人に輸送させて、他はニヤダ市あたりに飛行機で乗り入れるのはどうだろう?


 いずれ地理不案内な者が長距離、しかも違法物品を延々と運ぶ計画に無理がありそうだ。途中不都合があり連絡つかなくなったら素手で挑まなくてはいけなくなる。


 頭を振って二手に別れる案を考えるのを止めた。九百キロの彼方まで行くにはガソリンの消費量も重要になる、武器と四人を載せて超過積載を考えると途中都市を経由するべきと結論が出る。車内を見えなくするためにもやはり毛布は相当枚数使うだろう。


 ――車両を三台にするか? そうなれば運転手は余計に必要になるが故障や積載に余裕が出来てくる。三万ドル程度の経費にガソリン代が追加されるが安定度は増すな!


 これはロマノフスキーと相談しようとメモに残した。川沿いの街での昼食は遊覧船の上になった。とは言っても大した大きな船ではないが。それでもツアー客には受けがよくハッサンも満更ではない。


 船の外に出ないでと注意されると川に肉が投げ込まれる、するとあちこちから魚が集まり食いちぎりあっという間に骨だけになり沈んでいった。怖いもの見たさはあるがかなりの迫力だったようで少しの間空気が張り詰めていた。


 頃合いを見計らって陸に戻るとまたバスへと押し込まれる、昼寝しながら進めば夕方には次の街との流れだろう。少し西へと折れて内陸部へ向かう、ナイル川へ流れ込んでいる水源の一つを遡る。


 右肩に何かが寄りかかってきた、ニムがうつらうつらして頭を預けて寝てしまったようだ。アフリカの春は暑い、そのため全員薄着である。ついつい胸元に目が行ってしまう、形のよい膨らみが手を伸ばせば届くところにある。


 ――こりゃ新種の拷問か何かだな。


 何か別のことを考えねば耐えられそうにないと、ここまでで必要となる経費をサラッと計算してみることにした。


 ――まずこのツアーだが五千、名刺の小物や宣伝などで八百、エジプトでの募集面接にかかる移動滞在費二千、車に二万、五人の兵士に二万ずつ、怪我で一万、重傷で二、もしもの時には五万、将校一人にはその二倍、スーダンまでの八人航空券三千、ホテル三泊三千、これに帰りの何かを加える。兵士が無傷とはむしが良いため一人や二人死にその倍が負傷するとして計算するとこの段階で四十万近くなった。これらの経費は増えることはあってもこの先に減ることはないだろう。


 ヴァンを一台追加して、ガソリンや多少の追加装甲にスペアタイヤなどを購入し、スーダンでの切り札に使える工作何か一つに一万を使うと二人の取り分は五万だけになってしまう。絶対に成功させなけれ苦労と危険を買うだけの行為になるのだ。


 ――武器の類として大佐に要求出来るものは遠慮なく要求せねば!


 スーダンでの切り札をどうするか迷った。何せ移動が一番の苦難なのがわかった、これを阻害されないように一つ奇策を混ぜ込みたいものである。


 ――スーダン軍による検問が問題だな。


 荷物をチェックされないか、されても正当な理由があるのが望ましい。軍服は手に入るはずなので輸送の命令書があれば便利だろう、あとは問い合わせられた時に該当する偽命令が一つあれば間違いない。


 スーダン軍将校に金を握らせるならば血縁者からの依頼にせねばならないだろう。実際になにかしらの輸送命令を出させてしまえれば最高だ。


「ハッサン、スーダンでは全員兵役があるのかい?」


 暇なところに後ろから話し掛けられたために喜んで答える。


「ああ一年だ。戸籍があるやつだけだがね」


 どこの国でも難民やらストリートチルドレンのようなのはいるようだ。


「軍は厳しい?」


「いや適当なもんさ、皆が自分勝手に動いてる感じだよ。陸軍はね」


 高価な船や航空機は流石にまともな人材を宛てているようだ。


「不都合が起きたら賄賂で回避出来そうかな? 仕事で失敗した時の尻拭いを考えちまってね」


「金でどうとでもなりますよ。困ったら甥っ子が少尉だから相談に乗りますよ」


 営業スマイルで話を締めくくる。ハッサンの人脈を使えるだけ使うことを決めて考えをまとめることにした。それにしても悩ましいバスの旅が続くものだと天井を見上げてしまう島であった。


 山の麓に広がる街にようやく辿り着く。太陽は未だに高い位置にあるが時計は一六○○を回っている。首都に比べたら地方都市はアフリカの地元色がかなり強い、少し郊外にはスラムがあったり、黒人の比率がやたらと高いのだ。しかもその目はギョロッとしていてこちらを獲物か何かのようにみているのだ。


「皆さん、市街地から決して離れないでください」


 ハッサンが注意を呼び掛ける。夜が危ないとかではなく、常に危険と隣り合わせなことを忘れないでと警告を行う。


「凄いところにきちゃいましたね」


 全くだと相づちをうって部屋に荷物を運び込む、鍵だの何だのと信用しないほうが良さそうである。貴重品は絶対に手放さないようにとニムに注意を促す、特にパスポートは絶対だ。外国人はまだましだが日本人は未だにパスポートは書類程度にしか考えていない者が多い、あれは立派な公文書であり二つとない大切な品なのだ。


 丸ごと自由時間に宛てられたのだが特にやることもない。娯楽施設があるわけでもなく、馬に乗るには市街地から離れる必要があり見合わせる。太陽が山陰に隠れてしまったのか突然昼から夜にと切り替わる。電力が安定していないのか街灯がチラチラとついたり消えたりしている。


 結局二人でホテルの周辺を少しだけ散歩することにした。このあたりでは稀少鉱物、つまりはレアアースが産出されているようで店先に並んでいる。それを買っても仕方ないので見るだけにしたが、足元にころがる拳だいの石にキラキラ光る何かが見えた。


「それ銀か何かでしょうか?」


 銀なのか鉄なのかわからないが何らかの鉱石が転がっているようだ。話のネタにと一つだけ拾って帰路につく。金属を取り出したとしてもここでは買い手が付かないか、ついても赤字なのだろう。


 自然とは灯りがない暮らしであるのが身にしみる。幅広な道であるのにところどころが真っ暗闇になっている。インフラ整備を後回しにして軍備を増強する国なのだ。世界の調査機関が示す、残念な失敗国家の上位ランカーであるわけだ。


「きゃあ!」


 ぼーっと歩いていると隣に居たはずのニムがおらず、暗闇の方で悲鳴が聞こえた。


「どうした!?」


 呼び掛けると男の声のアラビア語で「こいつの命が惜しければ金を全て置いていけ」と聞こえた。目を凝らしてみるが真っ暗闇な上に黒人が相手では全く姿を捉えることが出来ない。一瞬何かがきららと光を反射した。


「オン、キャオ、モット、ウー」


 一語ずつ区切り聞き取りやすいようにニムが喋る。またきらりと何かが光る。島は手にしていた石を光りの上三十センチ程目掛けて投げつけた。


「ギャア!」


 男の悲鳴が聞こえてきてニムが闇から現れる、すぐに手を引いてホテルへ向かい駆け出した。息を切らして顔面蒼白になったニムを抱き締めてやる。


「怪我はないかい?」


 言葉が出ずに震えて泣き出してしまった。ダイアモンドのついたヘアピンを指で軽く跳ねて言う。


「随分と活躍したもんだ」


 キラリと輝くそれを褒め称える。窮地に立たされ咄嗟に出たのがベトナム語だったのだ。


「彼は頭一つ背が高い、良いアドバイスだったよ。勉強の成果を出せて俺も一安心」


 何とか空気を和ませようとおどけてみせる。部屋に戻ろうと階段をあがりガチャガチャとノブを回そうとすると扉が開いてしまった。古すぎるために錠前の機能を喪失してしまったようだ。


「こいつは参ったな、俺の部屋に来るか?」


 一人でいるのが怖いために荷物を抱えて部屋を移る。寝込みを襲われないように夜は入り口に椅子や机を寄せておこうと頭を過ぎる。部屋には茶も何もなく、フロントに通じる電話だけが仕方なく置かれていた。それでルームサーヴィスを頼もうとすると、やっていませんと断られてしまった。


「震えが止まらないわ」


 余程ショックだったのだろう冴えない表情のままバスルームへと入っていった。


 ――装備にナイトヴィジョンを追加しよう。


 化学工場があるならば明るい場所だろうとの常識を捨て去ることにした。もし夜目がきく黒人が夜襲してきたら手を焼きそうだ。ややするとニムが曇った顔のまま戻ってくる、どうやら恐怖心が拭えなかったようだ。


 黙ってそのまま島のところへ近付くと腕の中にと飛び込んでくる、衣服から土の臭いがした。色気のない表現ではあるがブローニングより軽い。


「安心……させてください」


 その言葉が何を意味しているのか、島だって理解していた。思わぬ流れに身を任せて、二人は抱き合った。暫くするとベッドで隣り合ってまどろむ。


「落ち着いたかい?」


 耳元で囁くとようやく目を開けて彼を見つめる。


「震えは止まったわ、でも身体に力が入らないかも」


 微笑んで指を絡めてくる、それはとても小さな手だった。


「ねぇ、彼女とかはいなかったの?」


 隣にいる島に問いかけてくる。


「居たよ結婚式もあげた。だが……結婚式当日に死別した、逆恨みが激しい男が持っていた銃が暴発してね、それっきりだよ」


 終わったことだよと隠さずに打ち明ける。


「その男の人はどうなったんですか?」


「土の中さ。大切な人を傷付けるやつを許すほど、俺は寛容じゃない」


 そう言って視線を彼女から天井にと移す。


「今日は、今日は私を守ってくれました。私も大切な人になれましたか?」


「ああ、今の俺にとって君が一番大切な人だ」


「嬉しい」


 ただただ平穏な時間が流れていった。翌日だ、世界にはたくさんの観光地がある。それに付随する評価も様々だ。中でも世界三大がっかりなどと呼ばれるものが有名である。


 目の前にチョロチョロと湧き出す水の筋がある、ナイル川の始まりだと説明されると皆が“えっ”っといった顔をするのだ。ハッサンはいつものことだとばかりにタバコをふかしている。


 ――まあこんなものだろう。


 いまいち盛り上がらずに山を降りることになる。これも人生経験だと納得するしかない。実は昨日の一件からニムは努めて明るく振る舞っていた。きっと妻と死別したと聞いてしまい気を使っているのだろう。島はそんな彼女を愛おしく想えてきた。


 外国語を覚えるにはその土地の女を愛でろとは言ったもので、ベトナム語が身近に感じられた。

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