第869話 唇の前に……
お互いの弁当をこれから作り合う約束をし、顔の距離が近いままの俺たち。いつもならこのままキスをする流れなのだが、今回の綾奈は違った。
この距離を保ち、じーっと俺の顔を見てくる。
なんとなく、俺からも行きにくい雰囲気だったので、とりあえず声をかけてみることにした。
「あ、綾奈?」
「なあに?」
「その……キス、しないの?」
「……真人が久保田先輩の笑顔にデレデレしてたから、私にもデレデレしてほしい」
「……え?」
あ、綾奈……なんでそのことを知って? いや、デレデレなんてしてないけどさ。まさか……!
「も、もしかして、坂井先生が撮った動画?」
「うん」
やっぱり! というか先生……カットをお願いしたのにそのまま送ったんだ。
「い、いや、部長って美人だよなって思っただけで、デレデレなんてしてないからね!」
下手に誤魔化しても綾奈のむぅが待っているだけなので、俺は正直に話した。
「むぅ……」
だけど綾奈は頬を膨らませてしまった。どうやらむぅ案件不可避だったみたいだ。
「その、思ったことは本当だよ。ごめん。でも、俺がこんなにもドキドキ、デレデレするのは綾奈だけだからね」
「う、うん。そこは……う、疑ってないから」
俺が真剣な表情で言ったからなのか、綾奈は照れて視線を外した。だけど距離はそのままだ。
数秒して、照れが収まった綾奈はまた俺を見つめる。
大きく、綺麗な瞳に見つめられてドキドキがさらに強くなり、キスをしたいという欲望がどんどんと膨らんでいく。
それは綾奈も同じらしく、最初は俺の瞳を見つめていたけど、今は頬を染めて目を泳がせることが多くなり、それに乗じて俺の唇を見る回数が多くなっていた。
「あ、綾奈さんや……」
「な、なに? 真人君……」
俺がさん付けで呼んだことにつられたのか、綾奈も俺を君付けで呼んだ。めちゃくちゃ久しぶりだ。
「キス、したい……」
「わ、わたしも……」
やっぱり綾奈も俺と同じで、キスしたい気持ちが限界に達していたようだ。
綾奈からお許しが出たようなものだから、俺から顔の距離を詰めてキスをしようとした直前、綾奈の「ちょっと待って」の声で動きが止まる。多分距離は一センチくらいだ。ここでまたおあずけをくらうのは予想してなかった。
「ど、どうしたの綾奈?」
「その……唇の前に、ここにしてほしくて」
「ここ?」
俺が顔を離すと、綾奈は左の人差し指で、右の手のひらを指さしていた。
「もちろんいいよ」
俺は理由も聞かずに綾奈の右手首を優しく掴み、ゆっくりと綾奈の右手のひらに口付けをした。
「ん……!」
キスをした瞬間、綾奈から艶のある声が聞こえてきて少し脳が痺れた。
十秒くらい、食むようなキスを織り交ぜながら口付けをし、ゆっくりと唇を離してから綾奈に理由を聞いてみた。
「えっとね、お昼にちぃちゃんと卓球をしてたんだけど、隣の台にピンポン玉が転がっちゃって、隣にいた男の人が拾ってくれたんだけど、その時にその人が私の手のひらに触れるようにピンポン玉を乗せて……って、真人!? ……あん!」
理由を聞いた直後、俺はまた綾奈の右の手首を今度は少し乱暴に掴み、また右手のひらにキスをした。
そいつ、絶対にわざと綾奈に触れるようにピンポン玉を渡したに違いない。善意で拾ったように見せかけて綾奈に触れたいという欲望を満たそうとするなんて、俺からしたら許せない。
さらに一分くらい、綾奈の手のひらにキスをし続けてゆっくり唇を離すと、綾奈は息を荒くして、トロンとした瞳で俺を見ていた。
あまり見ない、お嫁さんの蠱惑的な表情に、俺の心臓は大きく高鳴った。
俺がドキッとした直後、綾奈から距離をなくし俺の唇に自分の唇を押し当ててきて、すぐさま舌を入れてきた。
「! あ、あや、な……」
「ましゃと……ましゃと……!」
俺が激しく綾奈の手のひらにキスをしたから、綾奈にも火がついてしまったようで、ゆっくりとだけど俺を押し倒しそのまま激しいキスを繰り返す。
いつもなら勢いよく押し倒すであろう綾奈だけど、俺の足のケガ、そしてベッドではなく床なのを考慮して今回はゆっくりにしたんだろうな。
甘えモードマックスになっていながらもこういった気遣いができるお嫁さんをまた深く好きになりながら、俺も綾奈に負けじと激しいキスを繰り返した。
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