第840話 専属カメラマン
ホームルームも終わり、俺は体操着に着替えてグラウンドの隅の方にいる。
俺のクラス、二年一組の試合は二試合目……一年生の一試合が終わったあとに行われる。
試合は前後半合わせて三十分、前半と後半の間に二分間のインターバルがあり、その際に出場する選手が入れ替わるようになっている。
クラスでの話し合いで、俺は後半に出場することになっている。ポジションは予想通りディフェンダーだ。
ま、サッカー未経験だと思われてるし、実際付け焼き刃の特訓しかしてないからな。なんとかその十五分で綾奈が喜ぶような結果を残すしかない。
周りを見渡すと、友人同士で集まって話している男子がほとんどだな。この近辺でぼっちは俺だけだ。
一哉と健太郎は一緒にはいない。あいつらはトイレだ。
あ、泉池がグラウンドにやってきた。平日は毎日顔を合わせているが、相変わらずデカイな。
「いよいよね中筋君」
俺の後ろで大人の女性の声が聞こえた。この声は音楽教師の坂井莉子先生だ。
「そうです……ね?」
俺は振り向いて坂井先生を見たんだけど、先生は既にスマホを横向きにして顔の高さで持っていた。
「え、もしかしてもう既に撮ってます?」
「ええ、撮ってるわよ」
さも当たり前のように言ってのける坂井先生。
「いや、まだ試合が始まってすらいないんですけど……」
撮るのは試合中だけかと思ってたけど、なんでこんな試合前のオフショット的な場面も撮影してるんだ?
「そうね。だけど中筋君……麻里奈と綾奈ちゃんがこうやって普通に喋っている君の動画を見て喜ばないと思ってるのかしら?」
「……思わないです」
綾奈はもちろんだけど、麻里姉ぇも俺をめちゃくちゃ好いてくれているから、どんな俺でも喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「でしょ? だから手が空いたら中筋君を撮影しようと思って来たのよ」
そのあとに「私は今日ほとんどすることないけど」と漏らしていた。
音楽教師だから、こういう体育系の行事にはほとんど暇になってしまうのかな?
「……つまり、坂井先生は今日、俺の専属カメラマンってことですか?」
「ま、そういうことよ」
半分冗談で言ったのにそのまま肯定されてしまった。
「他の合唱部の皆さんを撮ったりはしないんですか?」
坂井先生のスマホの動画フォルダが俺の動画で埋め尽くされそうなのは、なんか……ねぇ。
「応援はするけど撮らないと思うわ。今日を憂鬱そうに迎えた子がほとんどだし」
「あはは……」
文化系の部活に所属していると、こういう催し物はやっぱり苦手意識が先行してしまうからな。
「部長も他のみんなも、ケガせずに終われるといいけど……」
「それは私も思うわ。というか、中筋君が他の女子を気遣ったら、綾奈ちゃんはヤキモチ焼くんじゃないの?」
「いやいや、さすがにそこまでではないでしょ。同じ部員を軽く心配しただけですし……ねぇ?」
「そこで自信なさげになっちゃうのはどうなのよ……」
だって本当に自信がなくなってきたんだから仕方ないじゃないですか。
『他の人の心配をするなんて……やっぱり真人は優しいから大好き』って、言いそうな反面、『真人が他の女の子をものすごく心配して……むぅ』って頬を膨らませた姿も簡単に想像できてしまう。
というかすごく心配はしてない! 知ってる人に向ける軽い心配だけだから、やっぱり俺の考えすぎだな。
「大丈夫ですよ。綾奈はこれくらいでヤキモチは焼きませんって」
「それを最初に言い切ったらかっこよかったのに」
「ま、万が一ってこともありますから。それに妬いたら妬いたで嬉しいですからね……」
俺は頬が熱くなり、顔を逸らした。
それだけ綾奈に愛されてるって証拠になるから、やっぱり妬いてくれたら嬉しくなる。だからと言って意図的に妬かせるつもりなんてさらさらない。俺が一番見たいのは、綾奈の笑顔なんだから。
「綾奈ちゃんがいないのに、中筋君が綾奈ちゃんとイチャイチャしてるように見えるのは気のせいかしら?」
「綾奈いないのに、どうやったらイチャイチャできるんですか……?」
「私も早く彼氏ほしいわ」
逃げたな……。
「というかさっきの坂井先生の本音も綾奈たちに見せるんですか?」
「見せないわよ。そこは編集でカットするわ。麻里奈に聞かれたくないもの」
「麻里姉ぇ、ああ見えてわりとイタズラ好きですからね。適度にイジッてきそう……というか、編集するのならちょっと前の
カットしてくれたら、もしもの『むぅ案件』も回避できるんだから。
「残念だけど、麻里奈から中筋君の映ってる場面はカットしないでって言われてるからできない相談ね」
「先回りにもほどがあるよ麻里姉ぇ!」
俺はここにいない麻里姉ぇに大きな声で突っ込んだが、虚しく風に乗って消えた。
このツッコミを後で見た麻里姉ぇがくすくすと笑っているイメージはしやすかった。
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