第834話 もう一度お姫様抱っこを

 長いキスをし、呼吸を整えた綾奈が言った。

「ねえましゃと。その……もう一回、お姫様抱っこ……してほしい」

「え?」

 甘えモード継続中の綾奈のお願いは、なんとも可愛らしいものだった。

 ここでお姫様抱っこを要求してくるとは……間違いなく体育祭での借り物競争が関係している。

「ましゃとが私を抱えて走ってる姿が、表情が、すごくかっこよくて、もう一度、あの角度で旦那様を見たいなって……」

「……!」

 そ、そうストレートに言われると、やっぱり照れてしまう。

 というか本当、今日だけで何回照れてるんだ俺! 数えてない……というか数えられる余裕なんてなかったけど、とにかく数え切れないくらい照れてる! 綾奈と綾奈の家族に。

 俺は両膝に肘をつき、下を向いて右手で頭をかいた。

「むぅ……ましゃとのかわいい顔、見れない」

 俺が気持ちを落ち着けるために、ちょっとオーバーに綾奈から視線を外したけど、俺が照れを隠すためにやっていることを綾奈は見抜いていた。

 俺のいつもの照れた仕草が見たくて言ったのかはわからないけど、とにかく鋭い。

 十数秒かけて心を落ち着けさせた俺は、ゆっくり顔を上げて綾奈を見る。

 さっき『むぅ』って言ってたけど今は頬は膨らませていない。きっと俺の照れ顔を見れなかったことより、お姫様抱っこをしてくれるか否かが今の綾奈には重要のようだ。断るつもりなんか欠片もないけどね。

「わかった。もちろんいいよ」

 俺が笑顔でそう言うと、綾奈の顔がパァッと明るくなった。

 だけどそれも一瞬で、すぐに表情が曇ってしまった。

「自分からお願いしておいてこんなこと言うのも変だけど、疲れてない?」

 さっき借り物競争でお姫様抱っこをした時のことを言ってるのか。なら答えはひとつしかない。

「大丈夫。俺も綾奈と毎日鍛えてるのは伊達じゃないから」

 俺は右腕で力こぶを作って見せた。

 借り物競争の疲労はもう感じていない。数時間前だったし、回復するには十分すぎる。

 俺は立ち上がり、着ていたジャケットを脱いだ。

「はい綾奈。またこれを脚にかけてね」

「え?」

 ちょっと戸惑いながらも、綾奈は俺のジャケットを受け取った。

「でも、周りに誰もいないけど……」

「万が一を考えてね。通行人がいないとも限らないし、そんな人たちに綾奈のスカートの中を見せたくないからさ」

 これがどちらかの部屋でなら、ジャケットは渡さなかっただろう。

 ……いや、俺の部屋だと美奈がノックもなしに入って来そうだから、やっぱり綾奈の部屋だけだな。

「うん。ありがとうましゃと」

 綾奈は笑顔でお礼を言うと、俺のジャケットの襟を両手で掴んだ状態で立ち上がった。

 俺は綾奈の背中とひざ裏に触れ、「いい?」と言うと、綾奈も「うん」と返してくれたので、「せーの」と合図を出したあとに綾奈を持ち上げた。

 本日二度目のお姫様抱っこ。ただ、前回と違うのは、俺も綾奈の顔を見る余裕があるということだ。

 誰とも競走してないから、お嫁さんの顔を思う存分見れる。

 俺が綾奈を見ると、綾奈は既に俺を見ていた。頬は紅潮していて、目も虚ろというか……だけど俺の顔をじっと見ていて視線を外そうとしない。口は……ちょっとだけ開いている。

 なるほど、これが借り物競争の時に、俺に見惚れていた顔か。

 可愛すぎて、俺も見惚れる……。

 ちょっと頬が熱くなるのを感じながら、俺は綾奈に笑いかけてみた。

「っ!」

 すると、綾奈の頬の赤みが増して、目に光が宿り、口を閉じて息を呑んでいた。

 もしかして、照れてるのかと思った矢先、綾奈は俺に抱きついてきた。やっぱりちょっと照れたみたいだな。

 今日はマジで照れさせられっぱなしだったから、ちょっとくらい仕返ししてもバチは当たらないだろう。

 綾奈が俺の鎖骨辺りから顔を離し、またじっと俺を見つめていたので、俺が「キス、する?」と聞いたら、ちょっと食い気味に「する!」と言ってきたので、お姫様抱っこのまま、俺の腕が限界に達するまでキスをし、幸せな時間を堪能してから綾奈を家まで送り届けた。


 帰り道、綾奈が「明日の朝、私の家に来てほしい」って頼まれてふたつ返事で了承したけど、何をするのかは結局教えてくれなかった。

 ただ、ご両親には既に、俺が登校時に来るかもということを話し、了承を得ていることだけは教えてくれた。

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