第760話 リクエスト

 パーティーセットを持ってきた店員さんが部屋から出ていってから十数分して、雛先輩たちが入ってきた。

「みんなおまたせ~」

「ひーちゃん先輩! 待ってました」

 雛先輩が手を振り、女性陣が同じように手を振り返す。

 あとから入ってきた五人は、俺たちが座っているのを見て、健太郎と千佳さんが俺たちと杏子姉ぇたち側、雛先輩たち親友三人組が一哉たちの側に座った。

「早速だけど誰から歌う?」

 大皿に乗っているポテチを取りながら茜が言った。

 トップバッターってけっこう緊張するんだよな。少人数のカラオケなら別にそこまで気にしないけど、今回みたいに十人以上のカラオケは初めてだし、一緒にカラオケに来たことがないメンバーが半数以上いるから、余計にそう思ってしまう。

 できれば最初は誰か他の人が歌って、俺はそのあとでもいいかな……なんて思っていると、雛先輩が手を挙げた。

「あ、雛先輩歌います?」

 茜が雛先輩に機械を渡そうとしたけど、雛先輩は首を横に振った。あれ? 雛先輩が歌うんじゃないのか?

「私、真人君の歌が聞きたいわ~」

「えっ!?」

 まさかの指名だった。というか、それを言うためにわざわざ手を挙げたのか!?

 雛先輩の一言に、みんなの視線が俺に集中する。落ち着かない。

「え、えっと……」

 俺は目を泳がせてみんなを見る。一哉や茜なんかはニヤニヤしてるし、健太郎と千佳さんはなんか肩を竦めている。雛先輩がこう言うのか予想できたのかな?

 雛先輩の両隣にいる茉子と香織さんは雛先輩と一緒で聞きたそうな顔をしている。

 綾奈もちょっとびっくりしていたけど、すぐに微笑んだ。雛先輩たちと同じことを考えてそうだ。

「はい真人。主役からのリクエストだよ」

 そう言いながら、茜が機械を俺の元へ押し出す。

 主役のリクエストじゃ断るわけにはいかないので、俺はタッチペンを持ち、雛先輩を見た。とりあえず理由だけでも聞いておこうと思って。

「ちなみに雛先輩。なんで俺なんですか?」

「真人君って、松木先生に認められるほどの歌唱力なのよね~? それを聞きたくって~」

「な、なんで雛先輩がそのことを!?」

 自慢になってしまうから言わなかったから、それを知る人はこの中でも限られてるのに……。

「健ちゃんが真人君に誘われて合唱部に入ったって聞いて~」

「僕が真人も一哉も歌がすごく上手って姉さんに言って」

「で、その流れであたしが真人は麻里奈さんに認められるほど上手いって言ったんだよ」

「な、なるほど……」

 なんか清水家で綺麗に繋がったな。千佳さんも『清水家』で一括りにしたけど、そうなるのは確実だからいいよな。

「え~、麻里奈さんがお兄ちゃんに甘いからじゃないの?」

「み、みぃちゃん……!」

 確かに麻里姉ぇは俺に甘い部分がある。だけど───

「美奈ちゃん。麻里奈さんは音楽では一切手は抜かないし妥協もしない人なんだよ。あたしや綾奈にも容赦ないし、部活中は実の妹の綾奈を苗字で呼ぶしね」

「そ、そうなの!?」

「うん。それに麻里奈さんが真人を認めたのって、ふたりが付き合う前だし、綾奈が真人に惚れてるのも知らなかったしね。だから真人は実力で麻里奈さんに認められたんだよ」

「へ、へー……。お兄ちゃん、凄いんだ」

「そ、そうらしい……」

 なんて返したらいいかわからなかったので、とりあえず曖昧に言い、頬を人差し指でポリポリかいた。

「わ、私も真人お兄ちゃんの歌、聞きたい!」

「茉子!?」

「私もマコちゃんと同じく」

「か、香織さんまで……」

 いや、別に歌わないわけじゃないし、リクエストを断るつもりもないけどさ、さっきの話でみんなの期待値とハードルがエグい高さになっている。

 こうなるんだったら、雛先輩に理由を聞かずにとっとと曲を入れたらよかった……。

「綾奈ちゃん綾奈ちゃん!」

 ほんの少しだけ後悔していると、茜が正面の綾奈を呼んだ。

「茜さん?」

 茜を見ると、人差し指を横方向に伸ばし、それを左右に振っていた。

「あ……うん」

 茜の意図を理解したっぽい綾奈が茜に頷くと、今度は上目遣いで俺を見て、腕に抱きついてきた。

「あ、綾奈……?」

「私も……旦那様の歌、聞きたいな」

「っ!」

 俺の心臓は大きく跳ねた。

 あ、あざとい! なんだこのあざとさは!? 綾奈に『あざとい属性』なんてなかったはずだ。

 え? もしかしてこれ、素なのか? いや、多分素だな。

 しかし、お嫁さんにおねだりされては、いよいよ断るわけにはいかなくなった。元々断るつもりはないけど。

「わ、わかった。わかったよ綾奈。曲選ぶから、申し訳ないけどちょっと腕を離してくれる?」

「うん……」

 綾奈はちょっと眉を下げて俺の腕を離した。俺もちょっと残念に思う。

 俺は少し悩んだ末、有名女性声優さんの代表曲……疾走感のあるアップテンポなナンバーを選曲。

 程なくしてテレビに曲名が表示され、イントロが流れだす。

 俺はマイクを持ち、立ち上がって……本気で歌った。

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