第754話 勝者へささやかなご褒美を

 エアホッケーがあった場所から離れて、俺たちはトイレ近くの自販機前にやって来た。

 白熱した試合をして、ちょっと喉が渇いたからな。

 今、綾奈は隣にいない。ちょっとお花を摘みに行っている。

 それにしても、俺たちのエアホッケー対決……マジでこのゲーセンでは有名なんだな。

 あの試合を観戦した人だったのかもしれないけど、ここに移動している間に、いろんな人に見られた。

 それだけなら綾奈の可愛さに目を奪われているのかと思いそうだけど、すれ違う人が大体「あのふたりじゃね?」みたいなことを言っていたから、エアホッケーのことも言っているのは間違いない。

 ……そのうち、このゲーセンの名物になったりして。

 まさかな。さすがにそんなことはないだろう。

 でもまぁ、見世物になる気はないが、このゲーセンも店長も好きだから、ここの集客に繋がるのであれば、いいかもな。

「真人おまたせ!」

 綾奈がトイレから出てきた。洗った手をハンカチでしっかりと拭いている。

 そして手を拭き終わると、ハンカチを制服のポケットにしまい、俺の手を握った。

 手を洗いたての冷たい感触が俺の手に伝わる。ちょっと暑かったから気持ちいい。

「おかえり綾奈」

「ただいま真人。……あれ? 真人、飲み物買ってないの?」

 俺に笑顔で「ただいま」を言ってくれた綾奈。だけど次の瞬間には、俺が何も持っていないのを不思議に思い首を傾げていた。コロコロと表情が変わって可愛い。

「うん。俺だけ先に買うのもなんだかなーって思って、綾奈を待ってたんだよ」

 まあ、それだけが理由ではないけどな。

「ありがとう真人」

「お礼を言われるほどのことじゃないよ。さて、それじゃあ……」

 俺が綾奈の手を握っていない方の手で財布を取り出すと、綾奈は俺の手を離した。仕方ないとはいえ、ちょっと残念そうだ。俺もだけど。

 俺は財布から小銭を取り出し、自販機の投入口に入れると、ボタンを押さずに綾奈の方を向いた。

「?」

「さあ綾奈。どれがいい?」

「え……ふえっ!?」

 突然そんなことを聞かれて、綾奈はびっくりしている。

 俺が綾奈を待っていたもうひとつの理由がこれだ。

「い、いいよ! 自分で買うから!」

 綾奈は慌てた様子で、手を胸の高さでぶんぶんと振っている。

「まぁ、あれだよ。勝利のご褒美ってやつ」

 綾奈を待っているあいだ、ふと俺たちの前にエアホッケーをしていた二人組の会話を思い出していた。

 そういえば、あのふたりはジュースを賭けて勝負してたんだよな。

 俺たちは賭け事をしたわけではなく、単純に勝負を楽しんだけど……たまにはご褒美があってもいいよな? と思い、綾奈が出てくるのを待っていたわけだ。

「で、でも……悪いよ」

 綾奈は遠慮しようとしている。俺も綾奈ならそういう反応をする。

「たまにはいいかなって。俺たち、こういう奢り奢られってほとんどなかったじゃん? 奢る側から突然こんなこと言われたら困ってしまうのはわかってたけど、たまにはこういう小さなご褒美があってもいいかなって思ったんだよ」

「うぅ~……」

「もちろん綾奈が『やっぱりいい』って言ったらしないけど、どうかな?」

 ここで『遠慮するな』と言うのは簡単だけど、それを言ってしまえば綾奈の性格上、絶対に遠慮してしまうし、買いづらくなってしまう。

 それに、そんなのはただの押しつけだ。そんな強要はしたくない。

「じ、じゃあ……」

 綾奈は一歩前に出て、おずおずと手を伸ばし、ペットボトルに入ったアップルジュースのボタンを押した。

 俺は自販機からアップルジュースを取り出し、綾奈に渡した。

「はい綾奈」

「あ、ありがとう真人」

 俺は遠慮気味にお礼を言った綾奈に目を細めた笑顔を見せ、自販機に再度お金を入れてオレンジジュースのボタンを押した。

 オレンジジュースを取ると、綾奈が言った。

「つ、次は私が奢るからね!」

 どうやら奢られっぱなしなのは嫌なようだ。これも俺と同じだ。

「それは勝った時のご褒美にね」

「わかったよ。……そ、それとね」

「うん?」

 綾奈が突然頬を染めてもじもじしだした。一体何を言うつもりだ?


「ご、ご褒美の……ちゅうも、欲しい」


「っ!」

 突然のキスの要求に一瞬で顔が熱くなった。

 上目遣いでそんな可愛すぎるおねだりをするとか……反則だろ。

「な、なら……この後、公園に行く?」

「……わ、私の部屋にしない?」

「わ、わかった」

 陽が落ちるのもだいぶ遅くなってきたから、この時間でもまだ明るい。

 もしかしたらまだ誰か公園に残っている可能性があるから、綾奈は自分の部屋を指定したんだな。きっとそうだ。

 俺は咳払いをして、変な気分になるのを抑えて、ペットボトルの蓋を開けた。

 綾奈もそれを見て蓋を開ける。

「じゃあ、綾奈」

「うん」

「「乾杯」」

 ペットボトル同士を軽く当て、俺たちは揃ってジュースを飲んだ。

 それから綾奈の部屋に行き、いっぱいイチャイチャして、ショートパンツ姿も見せてもらった。

 こういうおねだりがあるのなら、わざと負けてもいいのかもしれない。

 そんな不純な考えがよぎったが、やっぱり勝負は勝ちたいし、勝って俺から要求しようと思い、次の対決は絶対勝つと心に誓った。

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