第747話 アイドルにもむぅ案件

 ちづるさんはゆっくりと俺との距離を詰め、耳元で囁いた。

「真人くん」

「っ!」

 突然妖艶な声で名前を呼ばれた俺は、全身に電気が走るような……ゾクゾクした感覚に襲われた。

 な、なんだ今の声は!? この人、声まで色っぽいのか!?

「……むぅ!」

 綾奈から嫉妬をあらわす声が聞こえたかと思ったら、俺の二の腕に頭をぶつけてきた。

「あ、綾奈……?」

「真人がドキドキしてる……」

「いや今のは反則だって! いきなり耳元で囁かれたらドキッとするって」

「でも、今の話の流れ的には予測できたんじゃない?」

「うぐっ……」

 ちづるさん……なんでドヤ顔で正論を言ってるんですか……。

 この人、もしかして杏子姉ぇや茜と同じタイプなのか!?

「じゃあじゃあ! 次はわたしです!」

 そう言いながら手を挙げたのは、最年少のまなかさんだ。まなかさんはにこにこしながら近づいてきた。

 今から名前を呼ばれるって予告されてるようなものだし、さっきのちづるさんのようなことは───


 まなかさんはいきなり俺の腕に抱きついてきた。


おいおいおいおい───!

「わたし、真人さんのようなお兄ちゃんが欲しいです! 『真人 にいさま』って呼んでも、いいですか?」

「っ!?」

 あ、あざとい……! なんだこのコテコテな妹キャラ設定は!

 だ、だけど、あざとかろうがなんだろうが、アイドルにこんなことをされて、言われて、ドキッとしない男なんていない!

「真人がドキドキしてる! むぅぅぅぅー!」

 綾奈は頬をぷっくりと膨らませて俺を睨んでいた。こ、これは……俺が悪いのか!?

「いやこれも反則だろ! まなかさんのは、さっきのちづるさん以上に反則だって! まなかさんもなんでさらっと俺に触ってるんですか!?」

「真人兄さまには妹さんがいると聞いていたので、普通に『お兄ちゃん』と言ってもつまらないと思ったので、ちょっとアレンジしてみました」

「な、なるほど……って! い、いつまでくっついてるんですかまなかさん! 早く離れてください!」

 アイドルが男にいつまでも触ってたらダメだろ! というか答えになってないし!

 マネージャーさんは……なんかくすくす笑ってるし! アイドルのこういう言動は止めるべきなんじゃないのか!?

 このマネージャーさん……真面目そうに見えてけっこう面白いことが好きそうだな。

 まなかさんはケラケラと笑いながら手を離した。

 笑っていると思ったら、今度は俺を見ながら首を傾げた。相変わらずあざといけど、可愛いから何も言えない。

「ところで、真人兄さまは年上なのに、なんでわたしに敬語を使ってるんですか?」

 あ、その呼び方はそのままなんですね。まぁ、ここにいる人しか聞いてないし、本人がそう呼びたいのなら別にいいか。

「それ、アタシも気になってた! 弟君、どうして?」

「杏子さんの弟さんは使う必要ないのに……」

 同い年のあけみさん、そして一つ下のともかさんも乗っかってきた。これは答えないわけにはいかないみたいだな。

「えっと、別に大した理由があるわけではないですよ。皆さんがアイドルだから……俺とあまり歳が変わらないのに働いてて、ファンを笑顔にするために日々頑張っている姿を見たら、これは敬意を払わないといけないなって……」

 彼女たちの活躍やその軌跡を、俺はまだ数えるくらいしか知らないけど、ライブはいつも全力投球でライブ中はいつも笑顔を絶やさない。アイドルなら当然という人もいるかもだけど、あんなに歌って踊って、それでも笑顔を絶やさないのは誰にだってできることじゃない。きっと並々ならない努力を続けている証拠なんだ。それも学業と両立しながら……。

 だから俺は皆さんに敬意を払うし敬語も使う。

「それは嬉しいですけど、でもやっぱり真人兄さまには普通に接してほしいです」

「私もです弟さん……いえ、真人さん」

「そうそう! アタシらタメなんだから敬語なんて必要ないって。だから真人も綾奈も、タメ口で話してよ!」

「み、皆さん……」

 俺は綾奈を見る。綾奈も俺を見ていたらしく、見た瞬間に目が合った。

 綾奈もちょっとだけ困惑した面持ちだったけど、数秒後には笑顔で俺に頷いてみせた。どうやら綾奈の心は決まったらしい。

 俺も……そうだな。彼女たちの願いを聞こう。

 杏子姉ぇと繋がりがあるとしても、こうして会うのはきっと今日が最初で最後だ。せっかくアイドルがこうして言っていてくれていることだし、俺もいい思い出になりそうだしな。

 俺も綾奈に頷いて、そして、笑顔でスタアクの皆さんの方を向いた。

「わかった。これでいいかな?」

「オッケオッケー!」

「もちろんです!」

「ありがとうございます! 真人兄さま、綾奈姉さま!」

「あ、綾奈……姉さま……えへへ」

 綾奈が照れながらもふにゃっとした笑みを見せている。推しのアイドルにそんな呼ばれ方をしたらそうなるよな。

 話が一段落したタイミングで、マネージャーさんが手をパンパンと叩いた。

 俺たち七人はマネージャーさんに視線を向ける。

「はい! そろそろ時間だから振り付けとフォーメーションの最終確認をしてステージに移動しましょう! 真人君も綾奈ちゃんも、一緒に来て」

「「「「「はい!」」」」」

「「は、はい!」」

 こうして俺たちは楽屋を出て移動を開始した。

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