第745話 杏子の隠された本音

「わたしが杏子に今日のチケットをさばくように頼んだみたいになってるけど、本当は杏子の方から今日のチケットを二枚譲ってほしいってすっごく頭を下げてきたのよ」

「え……えぇ!?」

「き、杏子さん……どうして?」

 俺と綾奈はさりなさんの話を聞いて、まさに寝耳に水状態だった。

 さりなさんの話が本当なら、聞いた話と全然真逆じゃないか。

 そ、それに……なんで杏子姉ぇがそこまでして、今日のこのフェスのチケットを手に入れたかったんだ!?

「今回のフェスのチケットなんだけど、ネット予約もかなり多くて抽選になったのよ。それを杏子がどうしてもってお願いしてきたから、マネージャーや社長にお願いして二枚回してもらったの」

「な、なんで杏子姉ぇはそこまでしてこのチケットを……?」

 一体何枚刷ったのかはわからないけど、かなりの数のチケットが全て売り切れる程の……プレミアがつきそうなこのフェスのチケットをどうしても手に入れたかった理由って?

 なんでそんなチケットを俺と綾奈に?

「まぁ、言ってもいっか。言わなかった杏子が悪いわけだし」

 そう前置きし、さりなさんは目を瞑り「ふぅ……」と息を吐き、次の瞬間には優しい微笑みで俺たちを見た。

「あの子、大好きなあなたたちの交際半年記念をどうしても思い出に残るものにしてあげたいって言ってきたのよ。私たちが売れたのは杏子が各方面に私たちスタアクを売り込んでくれたから……その恩を返したかったから、あの子のお願いを叶えたのよ」

「き、杏子姉ぇが!?」

「杏子さん……」

 チケットを渡す時、全然そんな感じは見せなくて、いつも通りだったのに……。

 そうまでして、俺たちのことを……。

「これは、杏子姉ぇにはちゃんとお礼を言わないとな」

「うん。私もいっぱい伝えたい」

「バンバン伝えちゃいなさい。あの子が照れる姿が目に浮かぶわ」

 さりなさん……片方の口の端を吊り上げてニヤリと笑っている。絶対に楽しんでるよこの人。

 ……って、あれ? 杏子姉ぇの本心はわかったけど、それとさりなさんに会うことは、繋がってるのか?

「あの、さりなさん」

「どうしたの弟君?」

「さりなさんが俺たちにこうして会ってくれたのって、やっぱり杏子姉ぇがお願いしたからですか?」

「それはわたしが杏子にお願いしたの」

「ふえぇ!?」

「さ、さりなさんが!?」

 これは予想外だ。てっきりこのシチュエーションも杏子姉ぇがお願いして実現したものだと思ってた。

「杏子がここまでする弟君とその婚約者の女の子に興味が湧いてね。チケットを渡す交換条件で杏子にお願いしたんだけど、まさか伝えていないとは思わなかったわ……」

「でもサプライズで逆に良かったかもしれません」

「あら、どうして?」

「もしさりなさんに会うのがわかってたら、緊張してフェスを楽しめないと思います」

「私も、そのことばかり気にして、午前中に見たステージも心から楽しめなかったかもです」

 ご飯も緊張で食べれなかったかもだし、そうなると特典のクリアファイルも貰える数が極端に減っていたと思う。

「それもそうかもね。あなたたちが……特に綾奈ちゃんがこのフェスを楽しんでくれてるようで、私も嬉しいわ」

 そう言って、さりなさんはにこっと微笑んだ。

「「っ!」」

 アイドルのガチスマイルに、俺も綾奈もその笑顔に釘付けになる。

 俺は綾奈が世界一可愛いと思ってるけど、さりなさんの笑顔もなかなか……。

 これ以上は考えないでおこう。口になんて出したら確実に『むぅ案件』だ。

 俺は考えを紛らわすためにズボンのポケットからスマホを取り出し、時刻を確認する。

 現在一時四十分。

 確か……スタアクのステージは三時からだったはずだけど、メンバー同士で振り合わせや最終調整なんかもあるはずだから、これ以上俺たちに時間をかせるわけにはいかないよな。

「綾奈、そろそろ……」

「……うん」

 俺の言わんとしていることがわかった綾奈は、眉をちょっと下げた。

 大好きなアイドルとせっかく話せたんだから、もう少しここにいたいよな。それはわかるんだけど、心を鬼にしてそろそろここから離れないとな。

「さりなさん。俺たちはそろそろ行きます。お会いできて嬉しかったです」

「私も。最高の思い出になりました」

「え?」

「三時からのステージ、絶対に見ます」

「すっごく楽しみにしてますね!」

 俺たちはさりなさんに頭を下げ、ここから離れようと踵を返した。

「ち、ちょっと待って!」

 だけどその瞬間、さりなさんに呼び止められた。

 俺と綾奈は顔を見合せたあと、さりなさんを見ると、さりなさんは若干慌てた様子で右手を伸ばしていた。

「どうしたんですか?」

「嬉しいですけど、まだなにかあるんですか?」

「あなたたち……まさかわたしに会うことがサプライズの全てだと思ってる?」

「え? はい」

「十分過ぎるほど最高の思い出になりましたけど……」

 俺も綾奈と同じ思いだ。

「言っておくけど、こんなの、このサプライズの序の口よ」

「「え?」」

 序の口? え? ということは、まだ何かサプライズがあるのか!?

「わたしもあなたたちの記念日をもっと忘れられないものにしたいと思ったし、それ以前にもう話は通してあるんだけど……」

「「?」」

 一体なんなんだ?

 そう思いながら綾奈と見つめ合いお互い首を傾げる。

 そうして次のさりなさんの言葉を待っていたのだが、予想のはるか斜め上のことをさりなさんはさらっと言った。


「あなたたち二人を、私たち『STAR AXELL』の楽屋……そしてバックステージにご招待するわ!」


「「え……えぇぇぇぇぇぇぇ!?」」

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