第660話 綾奈の弱点

「ひゃ……!」

 俺からのキスを目を瞑りじっと待っていた綾奈は、突然耳たぶを触られた驚きからか、目を見開き、可愛らしい驚きの声を上げた。

「や、柔らかい……」

 俺はというと、綾奈の耳たぶの柔らかさに感動して、綾奈が驚いているにもかかわらず、ずっと耳たぶをふにふにしていた。

 すげぇ……お嫁さんの耳の感触って、こんなに気持ちいいんだ。

「あっ、ま、ましゃと……あん!」

 俺がびっくりしている綾奈をよそに、耳たぶの柔らかさに感動してふにふにしていると、綾奈から艶めかし声が聞こえてきた。肩もビクッと跳ねている。

 俺はドキドキしながらふにふにをやめる。だけど俺の指はまだ耳たぶを掴んでいる。

「あ、綾奈って耳、弱いの?」

 以前にも耳が弱いと思わせる場面があったから聞いてみた。

 それはクリスマスイブのデートで電車に揺られている時、俺が綾奈の耳にキスをしたんだけど、他の乗客がいるのに、大きな声で「ひゃう!」と言っていたからだ。

 まさかあんなにびっくりするとは思っていなくて、綾奈にも少し怒られてしまった。

「う、うん。……あっ」

 ただ耳たぶを優しく掴んでいるだけでもダメみたいだ。本当に耳が弱いんだな。

 綾奈は真っ赤になっている頬と目に涙を浮かべながら、必死に何かを俺に訴えかけてきている。

 その表情が妙に色っぽくて、俺まで顔が熱くなってくる。

「あ、あの……ましゃと。そ、そろそろ……んっ、耳を、離しっ……あん」

 そして言葉でも訴えかけてきた。

 本当なら今すぐに離さないといけないのはわかってはいる。

 わかっているんだけど、今の綾奈を見ていると、俺の心がそれを拒んでくる。

 普段見ることのない扇情的な綾奈に、俺は静かに、だけど確かに興奮している。

 もっと今の綾奈を見ていたい……そんな感情と共に、俺の背中がゾクゾクと震える。

 結果、俺はゆっくり自分の指を耳たぶから上に移動させる。

「ひゃうっ! ま、ましゃと……あ、だ、ダメ……ひぅ、そ、それいじょうは……んんっ!」

 正直もう少し触っていたい気持ちもあるけど、これ以上触ると本当にへそを曲げそうだと感じた俺は、ゆっくりと綾奈の耳から手を離した。

 すると、綾奈は膝から崩れ落ちたので、慌てて綾奈を抱きしてめゆっくりと座らせた。

 呼吸が荒い綾奈……少しして、頬を膨らませた綾奈が俺を睨んできたのだが、その瞳には涙がうっすらと滲んでいた。

「むぅ……離してって言ったのに……」

 これは……うん、俺が全面的に悪いな。

「ご、ごめん。でも離したくないなって……さっきの綾奈をもっと見たいって思ったら、夢中になって……」

 ここで嘘を言っても仕方がないので、俺はさっきまで思っていたことを綾奈に打ち明けて謝罪した。

「うぅ~……」

 綾奈は可愛く唸って、また俺に抱きついた。

「ごめんね綾奈。俺が悪かったから嫌いにならないで」

 俺は綾奈を優しく抱きしめ、そして優しく頭を撫でながら、優しい声音で謝罪をした。

 綾奈に嫌われたら、俺はもう立ち直れない。自分がやらかしてしまったから余計に悔やまれる。

 俺の謝罪を聞いた綾奈が、俺の胸に額をつけたまま一度だけ首肯し言った。

「嫌いになんてならないけど……もう耳には触らない?」

「そ、それは……」

 即答なんて出来るはずがない。

 綾奈の耳に触れない……あの感触をもう堪能出来ないと思うと、俺の中にすごく寂しいというか……残念な気持ちが出てきた。

「真人……正直すぎるよぉ」

 俺が返事をしないでいると、綾奈から困っているような……若干呆れも入ってそうな声が聞こえた。

「だ、だってさ……綾奈の耳の感触、めちゃくちゃ良かったから、もう触れないと思うとやっぱり嫌だなって思うし、それに些細なことでもお嫁さんに嘘はつきたくないって思ったから」

 出来ることなら、俺は綾奈には隠しごとはしたくない。これは常日頃から思ってる。

 どうしてもって時が来ない限りは、綾奈にだけは最後まで誠実を貫き通したい。

「……仕方がないなぁ、私の旦那様は」

 そう言って、綾奈はゆっくりと顔を上げた。

 涙は消えていて、慈愛に満ちた、とても美しい微笑みを俺に見せてくれた。

「でも、真人のそんな正直で誠実なところが、私は一番好き」

「っ!」

 綾奈の不意の一言に、俺の顔は一気に赤くなり、反射的に顔を逸らし、右手の甲で口元を隠した。

「かわいい♡」

「……可愛いのは綾奈だっての」

 綾奈はくすくすと笑ってくれた。

 照れがマシになった俺は、再び綾奈の顔を見る。

 無言で見つめ合い、お互いの熱い視線が交わる。

 五秒ほどすると、綾奈はゆっくりと目を閉じたので、俺は綾奈の両肩を持ち、ゆっくりと顔を近づけ───

 キスをしようとしたら、足音が二つ、近づいてくるのがわかったので、俺はピタリと止まり、扉の方を見た。

 なんだ? 母さんと美奈か?

『お兄ちゃんいるかな?』

『み、みぃちゃん、ちゃんとノックをしないとダメだからね?』

『え~? しょうがないなぁ』

 え、茉子!?

 というか美奈のやつ、またノックなしに入ってくるつもりだったのか。

「美奈ちゃんとマコちゃん?」

 綾奈は目を開けて、小声で言った。

「みたいだね。こっちに来るみたいだし、立とうか綾奈」

「う、うん」

 俺も小声で喋り、綾奈の手を取って一緒に立ち上がり、扉から距離をとった。

 茉子が言ってくれなかったら、座って抱きしめあってる姿を見られていた。ありがとう茉子。

 そしたらすぐに扉がノックされた。

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