第654話 綾奈とキスがしたい真人
四月七日の金曜日。
部活が休みな俺は、朝食を食べたあと、ベッドの上であぐらをかき、腕を組んで唸りながら自分の正直な気持ち……その衝動に抗っていた。
「綾奈と……キスがしたい……!」
俺は朝っぱらにも関わらず、そんな衝動と戦っていて、今まさに負けそうになっていた。
いやだってさぁ、春休みに入ってから綾奈とがっつりイチャイチャ出来てないからさぁ!
キスをしてるのも早朝ランニングの時だけで、それ以降会ってない日もあったし、いい雰囲気になっても、タイミングが良いのか悪いのか、何かしら起こっていた。
具体例を挙げるとしたら、先月の雛先輩を見送ったあと、綾奈の家でキスをする瞬間に杏子姉ぇから電話がかかってきたりしたし。
一昨日は俺の精神状態が不安定だったから、早朝ランニングの時もキスはしていない。なおかつここで俺と一緒にいて寄り添ってくれたり膝枕もしてくれたりしたけど、それでもキスはしていなかった。理由はさっきと一緒だ。麻里姉ぇは俺がまだイチャイチャできるメンタルではないと思ったのか、あれから綾奈を連れてわりとすぐに帰ったし。
極めつけは昨夜見た夢だ。
俺たちが普段していないような、踏み込んだイチャイチャを夢の中の俺たちはしていた。
どんなことをしたのかも覚えているが言いたくない。少なくとも、前かがみにならないといけなくなってしまう。
夢は深層心理が現れるとも言うが、俺の『キスがしたい』という願望が増幅……進化されてしまったものなのかもしれない。
そして、思い返してしまったせいで、俺の精神がまた少し『敗北』の二文字に傾き出す。
どうする? 綾奈を呼ぶか?
いやでも、こんなことで綾奈を呼びたくない。
綾奈には会いたい。今朝も会ったけど、キスしたいとか以前にすっごく会いたい。
でも、こんな……綾奈の身体目当ての、下心丸出しの気持ちでは呼びたくない……会いたくないとも思っている。
俺たちは夫婦……そんなやましい気持ちがあったとしても何も問題がないのはわかってる。
頭ではわかっているんだけど、心が綾奈を呼ぶのを拒んでいる。
今までこんなにキスがしたいとか、最初からこんな煩悩まみれで綾奈に会ったことはほとんどない。純粋に綾奈に会いたくて、綾奈といる時間が楽しいと感じて、それでそんないい感じの空気になってイチャイチャに発展した……ってパターンがほとんどだ。
大袈裟な表現かもしれないが、なんか、綾奈を汚してしまうとか、それこそ綾奈が俺にボディーガードを頼む時に千佳さんが言った、『ヤリたい』云々の話に繋がってしまいそうで怖い。
ダメだ。考えれば考えるほど悪い方向に向かっていってる。
世の俺と同世代のカップルたちはどうなんだろうか? 俺のように悩む人はいるのかな?
俺はゆっくりとスマホを手に取った。
『いや呼んだらいいじゃないか』
そして一哉に電話したら即答された。
「いや、でも……」
『お前、そんな考えだと綾奈さんのお父さんとの約束が解禁された時も今以上のことなんて出来ないぞ?』
「っ!」
弘樹さんとの約束……『子供を作る行為はするな』。
この約束だけは何があっても絶対に破るつもりなんてない。
『お前のその考えは立派だと思うが、もう少し力を抜けよ。そんなんだと、何年経っても高校生の恋愛……というか純愛から抜け出せなくなるぞ?』
「高校生の……純愛?」
『何年もキス止まりってのは、綾奈さんも本意ではないだろ? 呼ぶにしろ呼ばないにしろ、まずは綾奈さんに電話しろ。そしてお前のしたいことを正直に言え』
「でも、それで断られたり怖がられたら……」
『その時はその時で諦めて、また日を改めて言えばいい。そんな反応を怖がって言いたいことも言えないってのは夫婦じゃないだろ』
「た、確かに……」
一哉の言う通りかもしれない。
今からこういった気持ちをぶつけるのを怖がっていたら、高校を卒業した時、一緒に暮らした時、本当に結婚した後も、綾奈にキス以上のことをしようとしたら、どこかのタイミングでブレーキをかけてしまう。
『お前には大告白祭で飛び入りで参加し、綾奈さんに告白した勇気があるんだから、それに比べたらなんてことないだろ?』
「そ、そうかな?」
『そうだよ。とにかく綾奈さんに電話しろ。俺に言えるのはそれだけだ』
それから一哉は『頑張れよ』と言って電話を切った。
俺はディスプレイに表示されている『通話終了』の文字を見ながら、一哉の話を思い出す。
勇気……か。
簡単に言ってくれるが、やっぱり一哉の言う通りだな。
今さらビビって足踏みするより、綾奈に今の気持ちを正直に打ち明けた方がマシだよな。
よし、そうと決まれば、決心が揺るがないうちに綾奈に電話を……って、あれ?
「着信が一件入ってる」
どうやら一哉と通話中に誰かが俺に電話をかけてきたようだ。
俺は着信履歴を確認する。
「っ!」
すると、電話をかけてきた相手は綾奈で、それを見た瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。
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