第652話 真人が気にしていることと、部長にキレた人物

 いまだに頭を上げない部長に、俺は表情を戻し……いや、少しだけ眉を吊り上げて一歩近づいた。

 両手は横にピタッとつけているけど、スカートを力いっぱい握っていて、その握っている手が少しだけ震えているようにも見える。

 俺には一つ、どうしても気になっていることがあるので、本来なら『スカート、シワになる』なんて考えるところだけど、そんなことを一切考えずに、少し低い声で部長に声をかけた。

「……部長、頭を上げてください」

「……」

 部長はゆっくりとだけど、頭を上げてくれた。

 表情はまだ、申し訳なさでいっぱいだ。

 部長の勘違いが原因だとはいえ、さすがに目上の人にこれ以上頭を下げさせるわけにはいかない。

 それに、そんな状態では話もしにくいし、俺が主導権を握ってしまう。

 そうなれば部長は俺には逆らえなくなってしまうから、あくまで対等な感じにしないと。

 まぁ、逆らう逆らわない以前に、お願いなんてするつもりなんてない。俺が聞きたいのは一つだけだ。

「部長、一つだけ聞かせてください」

「……なに?」

「部長は、麻里姉ぇにちゃんと謝ってくれましたか?」

 俺に言ったことはもう気にしていない。俺がいまだに許せないのは、麻里姉ぇに放った『気持ち悪い』の一言だけ。

 昨日、麻里姉ぇからその話は出なかった。麻里姉ぇのことだから言う必要がないと思って言わなかっただけかもしれないけど。

 でも、だからそこ俺は、部長にはこの確認だけはどうしてもしようと……しなければならないと思っていた。

「まり、ねぇ……?」

「松木先生です。俺はあの人を普段からそう呼んでます」

 綾奈と麻里姉ぇが姉妹ということは、もう合唱部全員が知っているから、俺も普段の呼び方で言ったんだけど、反応が薄いというか、誰のことかわかってなかったってリアクションをされてしまった。他の部員もザワザワとしてるし。

「俺が気になってるのはそこだけです。大切な義理の姉さんを侮辱されたんですから。もちろん、謝ってくれたんですよね?」

「ええ、ちゃんと謝ったわ! これも本当だから信じてほしい」

「わかりました」

 俺は即答した。

 真面目な部長がこんな嘘をつくとは思えなかったし、たとえここで嘘を言っても、俺が麻里姉ぇに聞いたらすぐにバレるとわかってるから、嘘をつくのも無意味だと思ってるだろうし。

もし万が一、部長が麻里姉ぇに謝っていなかったら、俺は何がなんでも……部長を引きずってでも麻里姉ぇの前に立たせて謝罪をさせるつもりでいたが、そうならなくて心底ホッとした。

「部長を信じます。その、先輩にこんなこと言うのは失礼かもですが……これからはこっちの言い分もちゃんと聞いてもらえると助かります」

「わかったわ。中筋君、許してくれなんて言わない。だけど、今回のこと……勝手に誤解して、中筋君の話を聞かずに一方的に糾弾して、あなたを傷つけてしまって本当に……本当にごめんなさい!」

部長がまた頭を下げてきたので、俺は「もういいですから」と言って、部長に顔を上げてもらった。

 俺がこの件に関して、全てに安心したところで、部長が驚きの一言を放った。

「それにしても、中筋君はお姉さんに本当に大切にされてるのね」

「え? お姉さん……たち?」

 たちってなんだ? 俺が姉と呼んでる人…………あ!

「昨日の部活終わり、中筋君のいとこのお姉さんの氷見杏子さんに下駄箱で待ち伏せをされたわ」

「き、杏子姉ぇが!?」

 昨日うちに来るのを断ったけど、まさかその足で学校に行って部長を待ち伏せてるのは予想出来なかった。

 というかなんで杏子姉ぇを芸名で呼んだんだ? 本名は俺と同じ中筋だから?

 部長は杏子姉ぇを名前で呼んでないんだな。普段仲良いかは知らんけど。

「ええ、私を見つけると、ゆっくり私に近づいてきて、壁ドンして、ものすごい鋭い目つきでこう言ったわ。『よくも私の大切な弟を泣かせたね』って……」

「ま、マジですか……」

「ええ。かなりの迫力で、すごく怒ってたのがわかったわ。『マサにちゃんと謝って。謝らなかったら、あなたを絶対に許さないから』……とまで言われたわ」

 普段ふざけている杏子姉ぇが俺のために本気で怒ってくれたなんて……というかなんか脅しみたいになってないか?

「も、もちろんこうして謝ったのは私の意思よ! 氷見さんに言われたからでは決してないから、そこは履き違えないでもらえると助かるわ」

「だ、大丈夫です。ちゃんとわかってますし、杏子姉ぇにもちゃんと言いますから」

 これはあとで俺から杏子姉ぇに言っておいた方がいいな。さすがに今日は待ち伏せはしないと思うから、夜にでも電話しておこう。

 早めに言っておかないと、新学期が始まったら杏子姉ぇがまた部長に絡みそうだから。

 現場を目撃してないけど、二度も杏子姉ぇにすごまれるのは部長も嫌だろうし。

 部長との話が一段落したあと、他の全部員も……特に男女合わせて五人がめちゃくちゃ俺に謝ってきた。

 俺がもう気にしていないとこを伝えても、彼らはめちゃくちゃ頭を下げていた。

 色々あったけど、これでみんなとのわだかまりもなくなったんだ。

 今はまだ気持ちが完全に割り切ったとは言えないけど、これからまた部活を頑張って、来週の入学式、そして夏にある合唱コンクールに向けて頑張っていこう。自分の意思で戻ってきたんだ。ここで足を引っ張るなんてできないからな。今まで以上に練習に打ち込むよう、頑張っていこう。

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