第641話 信頼しているからこそ、信じない

「真人。私は真人を……旦那様を心から信頼してるよ。でも、だからこそその言葉はうそ。信じない」

「あ、綾奈? なにを……」

 なんか、すごく矛盾してることを言ってるような……。

「そうね。私も真人を信頼してるけど、その言葉は信じることが出来ないわね」

「というか、それを信じろっていう方が無理だし」

「ま、麻里姉ぇ? 千佳さん?」

 な、なんで二人も綾奈と同じことを……?

「な、何言ってるんだよみんな。俺は……俺は嘘なんかついてないよ。入学式の校歌の練習とか、コンクールも気にする必要なんかなくなって、自分のため……綾奈のために放課後を使えるのは嬉しいんだからさ」

 これが俺にとっての理想の放課後なんだ。

 なのに、なんで三人はそれを嘘と言って信じてくれないんだ?

「真人、あんた……帰ってきてから鏡で自分の顔を見た?」

 鏡? 一体なんの話をしてるんだ千佳さんは? 今はそんなことどうでもいいじゃないか。

「……いや、見てない」

「だろうね」

「千佳さん、一体何を───」

「この顔でそんなこと言われて、真人なら信じられるかしら?」

 そう言って麻里姉ぇがスマホの画面を見せてきた。

 スマホは内側のカメラモードになっていて、そこには俺の顔が映っていたんだけど……。

「……」

 俺は何も言えなかった。

 そこに映った俺は、確かに笑っていた……口だけ。

 だけど目尻は下がっていて、どう見ても無理して取り繕おうとしているのは明白だった。

「真人が私と綾奈が姉妹という事実を隠してくれて、その結果辛い思いをさせてしまったのは、謝って許されることではないのはわかってるわ」

「そんなとこない! 俺は自分の判断で部活を辞めたんだよ。だから麻里姉ぇがそんなに頭を下げる必要なんてない! それに、もう終わったことなんだから、もう、いいじゃん」

 部長も俺が辞めることで、麻里姉ぇには言わないって言ってくれたし、これでいいんだよ。全て、解決じゃないか。

 だけど麻里姉ぇは首を左右に振った。

「よくないし、終わらせもしないわ」

「な、なんで……」

「まだあなたの本心を聞けてないもの」

「本心って……さっき言った───」

「私たちも言ったわよ。『信じない』って」

「っ!」

 ダメだ……出てくるな! これを言ってしまったら、また迷惑になってしまう。この問題を蒸し返すことになってしまう。

 俺が我慢することで、歯車は動いているんだから、これでいいじゃないか!

「真人、あんたもしかして、『迷惑をかけるから』とか思ってんじゃないの?」

「そ、それは……」

 ここですぐに『違う』と否定していれば良かったのに、言い淀んでしまったことにより、さらに嘘だと思わせてしまった。

「あんたは綾奈はもちろん、麻里奈さんやあたしも大切だって思ってるんだよね?」

「当たり前だよ」

 麻里姉ぇは大切なお義姉ちゃんだし、千佳さんだって大切な……異性で一番仲のいい友達だ。

「これはバレンタイン前日……あの騒動で真人と一哉が帰ったあとに健太郎に言ったんだけど、周りに迷惑をかけるからって、一人で背負い込むのは、『赤の他人』や『知り合い』に抱くものだよ」

「え……」

「ここに真人を大切に思わない人間はいない……みんなあんたの力になりたいんだよ! なのに肝心のあんたが本心を見せないんじゃ、力になりたくってもなれないんだよ!」

「千佳、さん……」

 でも、だとしても───

「あのね、真人」

「!」

 俺の頭の上で、綾奈が俺の名を呼んだ。どこまでも優しく、愛情に溢れた声音で。

 そして、俺の頭を優しく撫でながら、続けてこう言った。

「ここにいるのは、みんな真人の味方だよ。真人の話を聞かなかったり、聞いて否定したり、糾弾したりする人はいないよ。だから聞かせて。真人が本当はどう思っていて、これからどうしたいのかを」

「俺が、どう、したいのか……」

「うん。だから自分の本心を見せるのを、怖がらなくていいんだよ。私は絶対に受け止めるから……だから、聞かせて」

「……っ!」

 綾奈のどこまでも慈愛に満ちた手に、抱擁に、そして言葉に、気づけば俺の目から一筋の涙がこぼれ落ちていた。

 そして、ゆっくりと綾奈の制服の袖を掴み、俺は本音を打ち明ける。

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