第639話 湧かない気力

 お昼すぎ……俺は自室のベッドに横になっていた。

 俺は遠慮したのに、一哉は家の前までついてきてくれて、「あまり一人で抱え込むなよ。辛かったら連絡しろ」と言ってくれた。

 部活に行ったはずなのに、早くに帰ってきた俺を見て母さんと美奈は驚いていた。

 そんな二人に、俺は『部活辞めてきた』とだけ告げ、自室に籠った。

 落ち着いたらちゃんと説明しないとな。

 でも、どう説明したらいいのか……。

 正直に麻里姉ぇと浮気をしていると勘違いされて、辞めさせられたって言うか? それだと二人も怒りそうで、俺が二人を落ち着かせるために動かないといけない。

 今、それが出来るかはわからないから言わない方がいいのかも……。

 だとすると、めんどくさくなったから辞めてきたと言うか?

 いや、これもダメだ。

 二人は俺がそんな理由で途中で何かを投げ出すような性格じゃないって理解してるから、そんな嘘はすぐにバレる。

 そもそもの話、俺はちっとも悪くないのだから、これ以上あの部長のために自らを悪者に仕立て上げるのは癪だ。だからこの言い訳は使いたくない。

 綾奈との時間をしっかり確保するために辞めたと言うか?

 これもさっきの理由と同様に、投げ出す投げ出さない云々の話になるかもだけど、めんどくさいって理由よりかは、まだ幾らかは俺らしい理由にはなるはずだ。

 大好きなお嫁さんとの時間は何よりも大切にしたい……それは俺をよく知る人なら絶対に理解してくれる。

 うん、これでいこう。


 そういえば、綾奈たちには言わないでと、坂井先生にお願いするのを忘れてたな。

 ……でも、お願いしたところで結果は同じか。

 あの場で口止めをしても、遅かれ早かれ綾奈と麻里姉ぇの耳に、俺が合唱部を辞めたことは必ず伝わる。

 ならもう、今から綾奈に言ってしまおうか? この時間なら、高崎の練習も終わってるだろうし。

「……あとでいいや」

 スマホを取ろうとして、やめた。

 今は何もする気力が湧いてこない。

 なんか、すごい虚無感だ。

 お昼すぎて、お腹も空いてるはずなのに、食欲も湧かない。

 下からインターホンが聞こえた。どうやらお客さんが来たみたいだ。

 それから少しして、階段を上ってくる足音が二つ聞こえる。でも、その足音はとても静かだった。

 やがて隣の部屋の扉が閉まる音が聞こえた。お客さんは茉子みたいだな。

 はは、美奈たちに気を遣わせてしまったみたいだ。ダメなアニキでごめんな。

 はぁ……昼寝でもしようかな。

 何もかも忘れて、今だけは夢の中に行きたい。

 考えるのはそれからでもいいよな? 目が覚めて、今よりもスッキリとした頭で、これからのことを考えていこう。

 俺が夢の中に入りかけた時、またインターホンが聞こえた。今日はお客さんがよく来る日だな。

 今度は誰だ? 母さんの知り合いか?

 そんなことを思っていると、すごい勢いで階段を上ってくる一つの足音が聞こえる。

 そしてその足音は次第に大きくなり、俺の部屋の扉がノックもなしにバン! と開かれた。

 なんだ? 杏子姉ぇか?

 俺はびっくりして上体だけを起こして扉の方を見ると、息を切らした綾奈が立っていた。

「あ、綾奈……」

「真人っ!」

 綾奈は俺に駆け寄り、ベッドの上で膝立ちになり、俺の後頭部に両手を回し、俺の頭を自分の胸に優しく包み込んだ。

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