第637話 勧告
「ちょっと待ってください!」
部長の言葉に反発したのは一哉だ。今この坂井先生がいない音楽室で、唯一俺と麻里姉ぇの関係を知っている一哉はさすがに声を荒らげた。
「何かしら山根君?」
「真人はマジで浮気なんかしてないっすよ! それは部長の勘違いっす!」
「あなたは中筋君の親友だったわよね? そんな人の意見なんて求めてないの」
一哉の反論もまったく聞く耳を貸さない。他の女子と同様に男子も俺が悪だと決めつけ始めている。
「大体、部長のそれはれっきとした盗撮……犯罪じゃないっすか!」
「そうね」
「自分のことを棚に上げて浮気をしていない真人を糾弾するのは間違ってるっす!」
「でも中筋君の行為の方がもっと許されるべきじゃないのは確かではないかしら? 浮気は罪ではないと?」
自分が悪いことをしていると自覚しながら、さらに悪いことをしていると思っている俺の罪で覆いかぶせている。
気づけば、俺の味方は一哉だけしかいなくなっていた。話を聞くまでは男子は中立……というか、わかってなかったけど、部長の話を聞いて部長側についている。
「だからそれが間違いだって言ってるんですよ! 真人は浮気なんてしていない!」
「中筋君はこのあと、この教諭の車に乗ってどこかへと移動した。それでも浮気じゃないと言い切れるのかしら?」
「当たり前だ! だって松木先生は綾奈さんの───」
「一哉!」
俺は一哉を言葉で止めた。ここで言ってはいけないこと……綾奈と麻里姉ぇが姉妹だと打ち明けようとしていたから。
「それは言うな」
「だけど……!」
俺は一哉を見てふるふると首を左右に振った。
ここで綾奈と麻里姉ぇが姉妹だと言えば、もしかしたら状況は好転するかもしれない。だけど二人が姉妹だという事実は、高崎高校の生徒では合唱部と、江口さんと楠さんしか知らない秘密だ。
秘密にしている以上、ここでは言うべきではない。
「何かあるのかしら?」
「いいえ、なんでもないです」
「そう。中筋君、私ね、すごく残念なの」
「残念? 何がですか? 俺が浮気をしていたからですか? してないですけど」
もし本当に浮気をしていたとして、部長がそこまで残念がるか?
「私たちは悲願の全国大会出場に向けて、日々切磋琢磨している。中筋君の歌唱力は認めてるし、一昨日坂井先生に言った『向こうに婚約者がいたとしても、全国の……高崎と同じステージに立って、そして金賞を取る。その力になれるように頑張りますよ』って言葉を信じていたの」
「嘘じゃないですけどね」
「けど実際は高崎高校と癒着していて、教諭とまで繋がりがあって、一昨日の言葉が全て嘘だと思い知らされた。それがとても残念……」
「嘘じゃないですし浮気もしてませんがね」
多分、今のこの状況で俺がどんなに言葉を並べても……。
「ごめんなさい。あなたの言葉を信じることはできないの」
だろうな。
「あんなに真摯に合唱の指導をしていたあの教諭も、今は気持ち悪くて仕方がない」
「……っ!!」
部長の言葉を聞いた瞬間、一気に頭に血が上った。
こいつ……! 俺だけならまだしも、麻里姉ぇにまで!
今すぐに反論してやりたい……!
でもダメだ。ここで俺が声を荒らげても、事態は余計に悪くなる。そうなれば、麻里姉ぇや綾奈にまで迷惑がかかる。それだけはダメだ!
俺は両手で力いっぱい拳を作り、下唇を噛んで必死に激情を抑え込んだ。
「……部長が、皆さんが、俺の言葉を信じてくれないのは、わかりました。それで、俺にどうしろと、言うんです?」
気を抜くとキレてしまいそうなので、堪忍袋の緒が切れないようにコントロールするために、言葉も途切れ途切れになってしまう。堪えろ……堪えろ……!
「私たちが望むのは一つよ」
「なんです、それは?」
大体の予想はつくけどな。
「合唱部を辞めてちょうだい。そうしたら今回のことは忘れるし、あの教諭にも言わないわ」
やっぱりそうくるよな。
そして俺の答えも決まっていた。
俺は気持ちを落ち着けさせるために、一度大きく深呼吸をし、部長の目を見て言った。
「わかりました」
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