第634話 集まる視線と質問

「おはようみんな」

「「おはようございます!」」

「早速だけどいつもの位置についてね」

 俺たちは坂井先生の指示のもと、自分の持ち場につく。俺が男声の高音のテノールで、一哉が低音のバスなので、けっこう離れる。

「うんうん。臨時のみんなも全員いるわね。久しぶりの部活だからってダラケてたらダメよ。ビシバシ行くからね」

 坂井先生気合い入ってるなぁ。今年も打倒高崎に燃えているみたいだ。正月に会った時に麻里姉ぇに、『今年こそ勝ってやるんだから!』って言ってたし、それを聞いて軽くいなしていた麻里姉ぇもさすがというか……。

 あれ? そういやあの時、『冬休みが終わったら部活でみっちりしごいてあげるわ』とも言ってたけど、結局三学期中に呼び出されることはなかったな。忘れてたのかな?

「私たちの目標は、全国大会で高崎高校に勝つこと! 今年度こそそれを果たすんだから、練習も厳しくいくわよ!」

 みんな小さい声で「え~」とか、「マジか……」って言っている。

 というかいつの間に高崎に勝つことがみんなの目標になってるんだ? 坂井先生が個人的に麻里姉ぇに対抗意識を燃やしているだけのような……。

 あ、でも正規部員の女子はけっこう気合いが入っているみたいだ。三年生に上がる先輩の何人かは坂井先生みたいに打倒高崎に燃えている。

「特に中筋君!」

「……え?」

 部員の皆さんを観察していたら、突然坂井先生に名指しされた。部員みんなの視線が俺に集中する。

 あ、やっぱり撤回。一哉だけは俺を見ていない。肩がぷるぷるしてるから笑ってるなあいつ!

「高崎に自分の婚約者がいるからって、手を抜いた練習をして全国の切符を逃したりしないようにね!」

 みんな……特に女子がザワザワしだした。多分、『婚約者』ってワードに驚いているっぽいな。

 いや、なんか一部の先輩がちょっと引いている!? もしかしてマジで練習で手を抜くとか思われているんじゃあ……。

 俺が内心少し焦っていると、先輩の女子部員が手を挙げた。

 あの人、部長さんだ。背中まである黒い髪を一つの三つ編みにしていて、黒く薄いフレームの長方形のメガネの奥に見えるつり目は、厳しい印象を与えるが、あの人はその通りの人でかなり真面目だ。

 三年生になり、部長は今年が全国大会に出場出来る高校最後の年だから、坂井先生並に気合いが入っている。

「先生、中筋君って本当に婚約者がいるんですか?」

 練習前に何を聞いているんですか!? あとからでも良くないですかね!

「いるわよ。高崎との合同練習で見たでしょ? ボブのとびきり可愛い女子を」

「あ! 練習後に中筋君の手を取って帰った子ですね!」

 今度は同学年の女子が言った。

 その人を皮切りに、「あ~あったあった!」とか、「やっぱりあの子と付き合ってたんだ」とか、恋バナ好きな女子のテンションが上がっている。

 アレは誰の記憶にも残るよな。

「あれ? 先生って中筋君の婚約者さんと知り合いなんですか?」

「ええ。高崎の顧問の先生とは友達でね、紹介してもらったのよ」

 嘘は言ってないな。うまく綾奈と麻里姉ぇの関係を隠しているから、坂井先生も秘密にしてほしいって頼まれているみたいだ。

「というわけで中筋君! 本番はもちろん、練習でも手は抜かないようにね」

 坂井先生も本気では言ってないと思うけど、女子のみなさんがマジに捉えているかもしれないし、もいそうだとやっぱり心外なところもあるから、ここはビシッと言っておくか。

「もちろんですよ。向こうに婚約者がいたとしても、全国の……高崎と同じステージに立って、そして金賞を取る。その力になれるように頑張りますよ」

 それに、本番で俺が手を抜いて歌ったとしたら、綾奈と麻里姉ぇには絶対にバレる。

 そんなことをするつもりは毛頭ないが、仮にしたらあとで何を言われるかわかったもんじゃない。麻里姉ぇはすごく優しいけど、練習は厳しいから、怒ったらきっと怖い。

 いろんな意味で手は抜けない。高崎を倒す勢いで練習を頑張るだけだ!

「麻里奈も一目置くその歌唱力……アテにしてるんだから、頑張ってよ」

「え? ……は、はい」

「……」

 俺って麻里姉ぇから一目置かれてたんだ。全然知らなかった。

 義弟びいき……じゃないよな。

 なんかそれを聞いたら嬉しくなってやる気出てきた!

 よし、頑張るぞ!

 その日の練習はお昼をすぎても続き、久しぶりに歌った俺の喉はけっこう枯れてしまった。

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