第621話 出発前の雛との最後の会話

 雛先輩はみんなの時と同じように手を出してきたので、俺も雛先輩の手を握り、両手で握手を交わした。

「真人君、本当にありがとうね~。あなたにはいっぱい感謝してるわ~」

「い、いえ、お礼を言うのはこちらですよ。初めて会った時から、雛先輩には色々と助けていただいて……。本当に、ありがとうございました」

「初めて会った時って、高崎の文化祭で、綾奈ちゃんとの仲が大変だった時よね~?」

「あぅ……」

「ふぐぅ……」

 雛先輩の言葉で当時のことを思い出してしまったのか、綾奈と茜がダメージを負ってしまった。もう気にしないでいいのに。

「あかねっちどしたの?」

「な、なんでもないよキョーちゃん……」

「? ねぇかずっち……」

「ま、まあまあ。今はいいじゃないっすか杏子先輩」

 杏子姉ぇ、頼むからその件については触れないであげて。

「あの時、私はその場にいただけで、何もしてないわよね~?」

「だとしても、雛先輩の存在にびっくりして、それで悪い考えをストップしたのは事実ですから」

 あのままいけば、綾奈との仲は壊れて、今の未来はなかったとさえ思う。雛先輩のおかげで悪い考えを断ち切れて、大告白祭のことを思い出し、飛び入りで参加しようと思いつくことが出来た。

「それから、綾奈も言いましたけど、風見の文化祭で執事服をいただき、期末テスト前には勉強を見てもらって、初詣では俺を案じて痛めていた背中をさすってくれて───」

「あぅ~……」

「う……」

 あ、しまった。俺が背中を痛めた時のことを思い出したのか、綾奈と美奈がダメージを負ってしまった。

「みっちゃん?」

「な、なんでもないから……お願いだから聞かないで杏子お姉ちゃん」

「マーちゃん……」

「わ、私の口からは言えません!」

 杏子姉ぇ……気になるのはわかるけど、頼むから今聞こうとしないで。

「んんっ! ……それから、バレンタインのチョコもめちゃくちゃ美味しかったんで、やっぱり雛先輩には感謝してもしきれないですよ。本当にありがとうございました」

 雛先輩からもらったハート型のバレンタインチョコ、冗談抜きで美味しかった。

 クラスメイトが雛先輩のチョコを半ば強奪しようとしていた気持ちが、今ならわかる。

 雛先輩のマイペースな言動に、困ったことが全くなかったと言えばもちろん嘘になってしまうが、それでも今ではかけがえのない大切な思い出だ。

 そして、俺は下を向いて、思っていたことを言った。

「その……婚約者がいる身でこんなこと言うのはいけないのかもしれないですが、もうちょっと雛先輩と言葉を交わしたかったなって、思います」

 雛先輩と一緒にいた時間といえば、さっき挙げたこと以外では、あまり多くない。

 知り合った時期がつい最近だったってのもあるけど、やっぱり時間が足りない。

 雛先輩とは、もうちょっと話をしたかった。

 もちろん、先輩と後輩……それから友人としてね!

「……」

 あれ? 雛先輩から反応がない。

 こういう時の雛先輩なら、『うふふ~、私もよ~』って言うかと思ったのに───

 そう思った矢先、雛先輩と握手をしている俺の手に、一粒の雫が落ちてきた。

「え……」

 俺が驚いて雛先輩の顔を見ると、雛先輩は堪えきれなかったのか、目から大粒の涙が溢れていた。

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