第607話 修斗に貸すラノベは

 俺が階段を上りきると、俺の部屋の扉が開いた。綾奈が開けてくれたのかな?

「ま、真人おにーさん、どうぞ」

 と思ったけど、開けてくれたのは修斗だった。

「お、ありがとう修斗」

「い、いえ……」

 俺は自分の部屋に入る前に、美奈の部屋の前で立ち止まった。

 美奈のやつ、どこかに出かけてないからここにいるはずなのに、出てこないつもりか? せっかく修斗が来てるのに。

 修斗から美奈との仲は普通って前に聞いていたから、俺の部屋に来るもんだと思ってたけど、数ヶ月前まではいがみ合っていたし、男女間の『普通』って同性間のソレとはまた違うしな。

 下手に声をかけると美奈は怒りそうだから、ここは何も言わないで美奈が自分から出てくるのを待った方がいいな。

「おにーさん?」

「ああ、ごめん。今行くよ」

 俺は美奈の部屋の前から離れ、自室へと入った。

 入る際、修斗の顔を見たんだけど、なんか赤くなってた。

 密室の空間で綾奈と二人きりだったから緊張したのかな?

 俺は持っていたトレイをローテーブルに置き、トレイに載っているマグカップを一つ持った。

「ほい、ココアだけど良かったら飲んでくれ」

「あ、ありがとうございます!」

 俺は修斗にマグカップを手渡すと、もう一つマグカップを持った。

「はい、綾奈もどうぞ」

「わぁ、ありがとう真人!」

 綾奈がにっこり笑顔でマグカップを受け取ったので、俺の顔も自然と笑顔になった。

 俺も自分のマグカップを持って、二人を見た。

 綾奈も修斗もまだ飲んでなくて、俺をじっと見ていた。

 俺を待たずに普通に飲んだらいいのにと思いながら、俺はなんとなくマグカップを前に出した。

 すると、綾奈も修斗も同じようにマグカップを前に出して、三つのマグカップが合わさってカチンという音が鳴った。

 なんで乾杯をしたのかわからなかったけど、それがなんだか面白くて、三人で笑ってから一斉にココアを飲んだ。


 ココアを一口飲み、マグカップを置いてから、今日修斗がここに来た本題を切り出した。

「じゃあ修斗、本のジャンルなんだけど……」

「はい」

「とりあえず異世界ものを貸すよ」

 俺が二人と一旦分かれて部屋に戻るてくる短い間に出した結論は『異世界もの』だった。

「異世界ものですか?」

「うん。……異世界ものといっても、細かく言ったらそのジャンルはマジで多岐にわたるから、ここは王道の異世界転生のバトルが中心のものを読んでもらおうと思ってる」

『異世界もの』は異世界を舞台にした物語の総称……その異世界で主人公が何をするのかによってそのジャンルは無数に枝分かれする。

 バトル、恋愛、成り上がり、クリエイト、スローライフ、復讐……挙げだしたらキリがない。

 その中から俺は、修斗のような体育会系が一番入り込みやすいと思ったバトルものを勧めることに決めた。

 俺は本棚から一冊の本を取り、それを修斗に渡した。

「じゃあまずはこの一巻から読んでみてよ。面白かったら二巻以降も貸すからさ」

「え? 全部じゃ、ないんですか?」

「初めて小説に触れるんだ。一気に読めるもんじゃないし読むペースも遅いだろ。焦らず、ゆっくり読んで、自分がこれからも読み進めれるかどうか判断してほしいから、まずは一巻だけな」

 ラノベはそのほとんどが文字で構成されている。

 読む速度は人によって異なるけど、多分修斗は読むスピードが遅い。

 それなのに全巻貸してしまったら、焦って無理にでも早く読もうとして、物語がちゃんと頭に入ってこない。

 そうなるとラノベの魅力が修斗には伝わらずに終わってしまう。

 せっかく興味を持ってくれたのに、それは勿体なさすぎる。

「わかり、ました」

「返すのはいつでもいいよ。『俺から借りたから早く返さなきゃ……』なんてことは一切気にせず、自分のペースでゆっくり読み進めてくれ」

「……はい!」

 修斗はラノベを持っている手に力を込め、いい顔で頷いた。

 このイケメンの力強い笑顔。ファンがいるのも納得だわ。

 そんなことを思っていると、俺の部屋のドアがゆっくり、少しだけ開いた。

「ん?」

 そしてその隙間から、美奈が顔を覗かせていた。

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