第584話 麻里奈は真人を甘やかしたい

 階段を上りきった先に広がっていたのは広く綺麗なリビングだ。

 床はホコリなんてひとつもないほどピッカピカで、大型のテレビ、縦長のローテーブル、そして二人が座るソファがある。

 そしてさらにその先には脚の長い椅子が二脚ととテーブル……どうやらあれが食卓のようで、食卓の先にはキッチンがあり、料理をしている麻里姉ぇの後ろ姿があった。

 誰かが上がってきたと気づいた麻里姉ぇが後ろを振り返りこちらを見た。

「あら、どうしたの翔太さ……って、真人!?」

「あ、あはは……お邪魔してます」

 麻里姉ぇ、めっちゃびっくりしているな。ここに上がってくるのは翔太さんがほとんどだろうから、翔太さん以外がいたらそうなるのも当たり前か。

「まさか真人がここに来るなんて思ってなかったわ。翔太さんね」

「うん。俺も翔太さんにここに通されるなんて思ってなかったからびっくりしたよ」

 麻里姉ぇは水を止めて、パタパタとスリッパを鳴らしながらこちらにやって来た。

 ロングスカート姿も似合うなぁ。麻里姉ぇの私服姿ってほとんど見たことないから新鮮だ。

 大体が教師モードのスーツ姿だし、それ以外だとドゥー・ボヌールの制服か晴れ着しか見てないから。いや、そもそも麻里姉ぇの晴れ着姿を間近で見れること自体がめっちゃレアで、男性も女性も羨ましがるような経験だと思う。

「それで、どうしたの真人? 綾奈もいないし、ただここに遊びに来たってわけでもないでしょ?」

「う、うん」

 俺はエコバッグに手を突っ込んで麻里姉ぇの分のクッキーを探す。

 というか麻里姉ぇ、俺がなんの目的で来たのかわかってるんじゃないのか?

 俺は手探りをやめ、チラッと麻里姉ぇを見る。

 すると麻里姉ぇ、嬉しそうな表情をしている。俺が見てなかったから油断したのか、最初から隠す気なんてないのか……いずれにしても、これで麻里姉ぇが俺が来た目的を理解しているというのがわかった。

 しかし、そんなにワクワクされてもなぁ。今回作ったのは普通のクッキーだし、翔太さんの作るケーキを一番食べ慣れているであろう麻里姉ぇからしたら、俺のクッキーなんて口に合うのかすら怪しい代物になるんじゃないのか?

 まぁ、こういうのは気持ちが大事だもんな。拓斗さんからもオッケーをもらってるから、きっと大丈夫だろう。

 それにネガティブに考えなくても、俺を義弟として好いてくれている麻里姉ぇだ。きっと喜んでくれる。

「麻里姉ぇ、これ、クッキーなんだけど……先月のお返しで、よかったら……」

 なんかうまく言葉が出てこなかった。

 なんでだ? 今回お返しを渡す人の中で一番目上の人だからか?

「ふふ、ありがとう真人。大事に食べるわね」

 麻里姉ぇはクッキーが入った箱を優しく受け取り───

「っ!?」

 そしてなんと俺の頭を撫でた。

 は? え? 俺、麻里姉ぇに頭を撫でられてる!?

「ま、麻里姉ぇ……! 料理中なのに頭なんて撫でたら……今日まだ風呂入ってないし」

「真人の髪って硬いわね」

 聞いちゃいねぇよこの義姉あね

 俺はもう諦めて麻里姉ぇにされるがままになり、数秒後に手を離してくれた。

「ふふ、突然ごめんね真人」

「い、いいよ……」

 全然ごめんって顔をしてないんだよなぁ……。すっげぇにこにこしてる。

 まぁ、俺も悪い気はしなかったし、普段は俺が頭を撫でる側だし、年上の人に撫でられるってのは、高校生になってからはなかなか体験できないことだからちょっと新鮮ではあった。

「綾奈が知ったらなんて言うかな……?」

「あの子ならきっと、『私も撫でる!』とか言ってずっと撫でるでしょうね」

 綾奈にずっと撫でられる…………いいな。

「真人、顔顔」

「え?」

「すごくニヤけてたわよ」

「え? 嘘!?」

 マジか……無意識のうちに顔が緩んでたのか。

「今度やってもらいなさい。あの子なら嬉々としてしてくれるわよ」

「だね」

 今夜、夕食後にやってもらおうかな?

 あまり長居してもいけないので、その後はちょっとだけ麻里姉ぇと話をして店を出た。

 空はすっかりと茜空になっていた。

 綾奈も待ってるし、早く帰ろうとしたら……。

「ん?」

 ドゥー・ボヌールの裏手から拓斗さんらしき人の声が聞こえてきた。

 俺はもしかしたらと思い、いけないと思いながらも、声がする方へとあまり足音を立てずに歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る