第572話 秘密にしている理由

「さっきの続きだけど、母さんはなんでここに?」

「久しぶりにここのケーキが食べたくなったのよ。もちろんみんなの分も買うからあとでまた食べなさいね」

「わかった」

 母さんがドゥー・ボヌールのケーキを食べるのは去年のクリスマス以来か。ここのケーキにハマると定期的に摂取したくなる衝動に駆られてしまうんだよな。俺もはじめて来てからは月に一度は絶対に来てるし。

 こりゃ母さんもここのケーキにハマるのも近いか?

「真人君のお母様、ようこそいらっしゃいました。ここ、ドゥー・ボヌールの店長、そして綾奈ちゃんの義理の兄の松木翔太です」

「良子さん。ご無沙汰してます」

 星原さんが厨房に入ってから一分もしないうちに翔太さんと麻里姉ぇがやって来た。そんなに急がなくてもよかったのに。

 そしてこの超美形夫婦が揃ってフロアに出てきたので、店内にいるお客さんがザワザワしはじめた。

 母さんはさっき星原さんにしたのと同じ挨拶をし、麻里姉ぇには「お久しぶりです麻里奈さん」と返していた。

 俺もお二人にはまだ挨拶してないし、ちゃんとしておかないとな。

「こんにちは翔太さん、麻里姉ぇ。あ、麻里姉ぇはおかえりもだね」

「こんにちはお義兄さん。お姉ちゃんおかえりなさい」

「うん、こんにちは綾奈ちゃん、真人君」

「ふふ、ありがと二人とも」

「あら? あんたいつの間に麻里奈さんをそう呼ぶようになったの?」

「え? クリスマスからだけど……」

 そうだ、そのことを父さんと母さんには伝えてなかった。伝える必要がないと判断したって言い方が正しいな。

 母さんが麻里姉ぇと会ったのは去年の十一月だし、父さんはまだ麻里姉ぇに会ってすらいない。

 そんなに頻繁に会う間柄でもないし、わざわざ報告することもないかと思ったんだ。

「良子さん、私が彼にお願いしたんですよ」

「そうなんですか?」

「はい。普段呼ばれない呼び方なので新鮮で……。敬語も取るように言ったのも私です」

 そりゃあ俺から勝手に敬語をやめるのは失礼だからね。

「……真人、あんた麻里奈さんにすごく好かれてるわね」

「う、うん。……自覚はあるよ」

 杏子姉ぇの歓迎会でも麻里姉ぇは肯定してたし。

 義弟として溺愛と呼ぶに近いくらい好かれているのは、やっぱりちょっと照れる。

「お姉ちゃんは今日、それで乃愛ちゃんとせとかちゃんの前でボロが出たんだよ」

 今日ってことは、マラソン大会の前に千佳さんを入れた五人で喋ったってことか? 二人が姉妹って事実は合唱部員以外は知らないって言ってたし、もしかして江口さんと楠さんにバレたのかな?

「あ、綾奈。あれは……」

「お姉ちゃんがあんな失敗するの滅多にないのに、ちょっとびっくりしちゃった」

「普段学校で真人の話をしないから、ちょっと気が緩んじゃったのよ」

 確かに珍しいな。麻里姉ぇがそんなミスをするなんて。

「ねえお姉ちゃん。乃愛ちゃんとせとかちゃんには私たちが姉妹ってことを言ったらダメ?」

「え?」

「あの二人にあまり隠しごとはしたくないし、それに二人なら頼んだら絶対秘密にしてくれると思うから」

 江口さんと楠さんは人の秘密をベラベラと喋ったりする人たちではない。まだそれほど言葉を交わしたわけではない俺もそう思うんだから、授業態度、そして学校で綾奈と仲良くしているのを見ている麻里姉ぇならそれもわかってるはずだ。

「わかったわ。でも、口止めもしっかりね」

「うん! ありがとうお姉ちゃん」

 自分のお願いが通じてお礼を言う綾奈。可愛なぁ。

「それにしても、どうして二人が姉妹って部活以外で言ってないの?」

 今まで何度か思っていた疑問。いい機会だから聞くことにした。

「別に大した理由はないわよ。授業での家族贔屓とか、バレたら色々と面倒だから、合唱部の子たち以外には極力公表はしないようにしてるの」

「なるほど」

 高崎高校で圧倒的人気を誇る超絶美人音楽教師と、同じく学校でトップクラスの美少女が実は姉妹でした、なんて言ったら、たちどころに学校中の噂になって、しばらくは落ち着いて学校生活を送れないだろうな。人気者故の理由……なのかな。

「でも高崎高校の生徒がここに来たりはしないの?」

「するわよ。でも教え子と話している普通の光景にしか見えないし、生徒が来たら来たで学校での接し方に切り替えたらいいもの」

 そっか。二人が姉妹って発想がないから、たとえ喋っている場面を見られても構わないのか。

 綾奈もここの常連で、ケーキ好きって知られるだけだし。

「教えてくれてありがとう麻里姉ぇ」

「いいわよこれくらい。聞きたいことがあったらいつでも言っていいのよ」

「わかったよ」

 義理のお姉さんになる人の信頼を感じながら、俺はまたケーキを口に運んだ。

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