第566話 こんな時、真人なら……

「はぁ……はぁ……っ!」

 二週目に入って、今は上り坂が見えてきた頃なんだけど、私の息はかなりあがっていた。

 な、なんで……? いつもならまだもう少しは体力が残ってるはずなのに、なんでこんなにもしんどくなってるの?

 それだけじゃない。なんだか脚もいつもより重い。

 休憩を挟みながらとはいえ、二ヶ月近く毎日走ってきたのに、この脚の重さはなに?

 そんな考えばかりが私の頭の中を支配している中、上り坂に突入した。

 うぅ……足が思うように前に行ってくれない。できることなら今すぐ歩きたい。

 でも、そうなると確実に順位を落とす。現に今、また一人に抜かれてしまった。

 これで何人に抜かれたの? それすらも数える余裕がない。

 上り坂はまだ三分の二くらいある。どうしよう? 本当に走ったままでいいの? 二十メートルを歩いて少しでも疲労を回復させて、上り坂が終わったらまた走り出すのでもいいんじゃないのかな?

 ……うん。ここは歩こう。それで少しでも呼吸を整えよう。

 私は走るのをやめて早歩きに切り替えた。

 その間も、私みたいにかなり息の上がった人たちに抜かれたけど、体力がちょっとでも戻れば挽回はできるはず。

 焦ったらダメ。ちょっとでも上の順位でゴールするために、冷静にならなくちゃ。

 真人……私に力を貸して……!

 私は自分の左手薬指にしてある指輪を右手できゅっと握った。

『綾奈。焦っちゃダメだよ。無理に追い抜こうとするんじゃなくて最後まで冷静にね。俺がついてるよ』

 そんなことを真人に言われたような気がして、また走る気力が湧いてきた。

 上り坂も終わる。息もほんのちょっとだけど落ち着いてきた。……これなら!

 坂を登り終えたと同時に、私はまた走り出した。


 再び走りはじめてから三人ほど抜いて、今は下り坂の前。

 ここでスパートをかければ、まだ追い抜けるチャンスは残っている。

 現に、私の前を走ってる人も下り坂でペースを上げてる人がいる。

 回復した体力も、もう風前の灯火程度しか残ってないけど……うん、ここしかない。

 私はスパートをかける決意をし、スピードを上げるために強く踏み出そうとした瞬間、下り坂を走っている人が転んでしまった。

「っ!?」

 それを見た私は咄嗟に急ブレーキをかけた。

 まさか……私がスタミナをこんなに消耗した原因は……この下り坂!?

 思い返してみたら、歩幅を短くしてる人もいたし……あれはスタミナ消費と脚への負担を軽減するためだったの!?

 知らなかった……下り坂を速い速度で駆け下りるとそんなことになるなんて。

 とにかく私も転ばないように慎重に走ろう。

 脚にあまり力が入らないくらい消耗してるから、スピードを上げていたら、あの人みたいに転んでたかもしれない。

 転んだ人はまだ立ち上がっていない。どこか怪我でもしたのかな? 今はレース中だし、ここには先生もいない。

 私はそんな彼女のうしろ姿にだんだんと近づいて、ついにその人と並んで追い抜いた時、私の頭の中にある考えがよぎった。


 こんな時、真人ならどうしたのかな? って……。


 真人は困ってる人がいたら率先して手を伸ばす人だ。

 私のおばあちゃんも、そんな旦那様に助けてもらって、真人とおばあちゃんは今ではお友達になっている。

 真人は二学期末のテスト勉強を図書室で雛さんに最終下校時間まで見てもらったって言ってた時も、真人は自分から雛さんを家まで送る選択をしたのを聞いた。

 冬休みに真人と遊園地でデートをした時、そこで出会った菊本さん親子。娘さんの凛乃ちゃんが私の服にカフェラテをこぼして、お父さんの義之さんに怒られて泣いていたけど、真人はそんな凛乃ちゃんに優しい言葉をかけていた。

 そんなことを考えて、転んでいる女子生徒を追い抜いてから少しして、私は立ち止まった。

 私はダイエットを決意した時、ちぃちゃんたちにこう言った。

『真人にとって、私が自慢のお嫁さんであり続けるために』と。

 以前、自分が言った言葉を思い出し、私は踵を返して転んでいる女子生徒の方へと走り出した。

 真人なら絶対にこうしていたはず。このまま通り過ぎてゴールしていたら、私はきっと手を差し伸べなかったことを後悔し、そして『真人の自慢のお嫁さん』なんて、このさき一生、口が裂けても名乗れないと思ったから……。

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