第508話 机上の小さな攻防
勉強を再開して五分ほど経ったくらいだろうか……あれから俺は真面目に問題を解いていた。
『五分ほど』って思っている時点で、集中力はあまり残っていないのだけれど、それでも他の思考は外に追いやって勉強していた。
そんな時、俺の視界の上端になにか動くものを捉えたと思い、俺はそちらに目だけ動かすと、綾奈の左手があった。
でも動いてはいないようなので、俺の気のせいだと思い、俺はまた視線をノートに落とした。
それから一分ほどして、また視界の上端に動くものを捉えたので、またも目だけそちらに動かすと、やっぱり綾奈の左手があった。
だけど、さっきよりも動いてないか?
「……」
いや、やっぱり気のせいかな。
やっぱり集中力が切れてきているな。ここらで休憩にしようかな?
でも綾奈はまだ勉強してるし、もう少しだけ頑張ろうかな。
そう思い、俺は再びノートに視線を落とす……フリをした。
本当に綾奈の手がこちらに向けて伸びてきているのかを確かめるためだ。
だけどバレてしまってはいけないから、少しだけ頭の角度を下げて、綾奈に俺の視線を気づかせないためだ。
さて、綾奈はどう出るかな?
ちょっとワクワクしながら綾奈の手の動向を見ていると……。
……スッ、ススッ。
綾奈の手はわずかにだけど、こちらに向かって進撃していた。
……やっぱり気のせいではなく、綾奈はちょっとずつだけど俺の方にその綺麗な手を伸ばしていた。ちゃんと勉強しているフリをしているんだ。
ここで俺が気づいていると教えてもいいんだけど、それだとちょっと面白くないよな。もう少しだけ様子を見るか。
その後も綾奈は少しずつ左手をこちらに伸ばしていたが、あるところでピタリと止まった。
ここから先は俺に気づかれる可能性が上がるから、これ以上手を進めるのを躊躇っているのかな?
大丈夫だよ綾奈。俺は気づいてないから。……フリだけど。
ちょっと笑いそうになるのを堪えて、俺はさらに左手の動向を見守る。
だけどこれには欠点があって、それは綾奈がどんな表情をしているのかわからないことだ。
こっちを見ながら自分の左手をこちらに進軍させているのか、はたまた俺と同じようにノートを見ながらなのか……。
でも綾奈の方からシャーペンの音が聞こえないから、おそらく前者だろうな。
「……っ」
なにか綾奈から決意のこもった吐息がもれた。進軍させる気になったみたいだ。
それからすぐ、綾奈はスッ……スッ……と、亀のごときスピードで、だけど確実に俺の左手へと進軍してくる。
そしてそのまま進軍し、左手同士の距離はあと一センチくらいにまで近づいた。
「……」
綾奈さんや、ここまで気づいていない俺を不思議に思わないんですかね?
それとももう俺に触れたくて、そんな考えは徐々に薄れていったのかもしれない。
うちのお嫁さんがちょっとポンコツモードになっていると思いながら、なおも笑いを堪える俺。
「……っ!」
お、綾奈が意を決したみたいだ。
おそらく次で左手の距離をなくすつもりだろう。
そしてその時はすぐにやってきて、綾奈は俺の左手に触れるために手を伸ばす───
……スッ。
だけど、綾奈が手を伸ばしたと同時に、俺は自分の左手を引っ込めた。
「……!?」
綾奈もまさか避けられるとは思ってなかったのか、ちょっと驚いているみたいだ。顔を見れないのが惜しい。
それからも綾奈は一、二度手を伸ばしてきたが、それをことごとく回避する俺の左手。
「……むぅ」
最初は偶然かと思っていた俺のジャスト回避も、三度目となるとわざとだとわかったのか、綾奈から不満の声が出た。
「……」
俺はおかしくなって、声は出てないけど肩がプルプルと震えていて、笑いを我慢するのも限界にきていた。
「……真人、気づいてるでしょ?」
「ぶふっ! ……バレた?」
やっぱり、さすがにバレたか。
俺は吹き出し、イタズラっぽい笑みで綾奈を見ると、綾奈は頬を膨らませて俺を少し睨んでいた。
「むぅ……真人のいじわる」
「ごめんごめん。じゃあちょっと休憩にしようか」
「うん」
休憩中は、綾奈は俺の身体を背もたれのようにして座り、俺が後ろから綾奈を包み込むようにしていた。
そして先程触れ合えなかったお互いの左手は、今はギュッと握られていた。
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