第493話 兄たちにチョコを渡す綾奈

「「こんばんはー」」

 そうしてやってきたドゥー・ボヌール。店内ではスタッフさんがフロアや厨房の掃除をしていたり、釣り銭の誤差がないかの確認をしていた。

 閉店時間まであと三十分くらいだもんな。お客さんはほとんどいないけどスタッフさんの動きはせわしない。

「あれ? 綾奈ちゃんに真人君。いらっしゃい」

 俺たちに気づいたのは一番近くでテーブルを掃除していた女性スタッフの星原さんだ。

「こんばんは。その……お義兄さんと拓斗さんって今は……」

「店長と拓斗君は厨房にいるよ。呼んでこようか?」

「えっと、忙しそうじゃなかったら、お願いします」

「わかったわ。じゃあちょっと待っててね」

 そう言って俺たちに手をひらひらとさせ、星原さんは厨房へと入っていった。

「タイミングが悪かったかな?」

「でも今しかないもんな。仕方ないって」

「うん……」

 少し自責の念にかられている綾奈の頭を優しく撫でていると、厨房から翔太さんと拓斗さんが出てきた。

「やあ綾奈ちゃん、真人君。いらっしゃい」

「二人が閉店間際に来るのって珍しいな。俺たちに用事みたいだけど……」

「お義兄さん、拓斗さん。忙しい時に来てしまってすみません」

 本題に入る前に、綾奈は二人に謝罪をした。めっちゃ頭を下げている。

「気にしないでよ綾奈ちゃん。義妹いもうとが会いに来てくれたんだから嬉しいよ」

「俺も翔太さんと同じさ。綾奈ちゃんは小さい頃から知ってる、俺にとっても妹みたいな存在だしな」

 二人ならそう言うと思っていた。めっちゃイケメンで優しいとかチートじゃん。

 あれ? 拓斗さんって彼女いるのかな? イケメンで優しくてパティシエ(修行中)で、モテる要素しかないから、きっといるんだろうな。

「あ、ありがとうございます。それでお二人にこれを……」

 そう言って、綾奈は手に持っていた紙袋を二人に渡した。

「お、もしかしてチョコ!?」

「は、はい。手作りでお二人に食べてもらうのはちょっと申し訳ないクオリティかもですが……」

 ケーキという洋菓子を作る人に手作りチョコを渡すのはいささか勇気がいる行為なのはわかる。俺も作ったガトーショコラを食べてもらう時めっちゃドキドキしたしな。

「綾奈ちゃん。こういうのは気持ちだからね。とても嬉しいよ。ありがとう」

「去年に続いて手作りなんて……ありがとう綾奈ちゃん」

「あ、去年も手作りを渡したんだ」

 去年の今頃って受験の追い込み時期だったはずなのに……さすが綾奈。それで合格するんだから普段からしっかり勉強してる証拠だよな。俺のお嫁さんマジですごいな。

「去年のはその……いつか真人に手料理を振る舞うために料理を練習中で、当時の自分がどれだけのものを作れるか試したものだったので、去年よりかは美味しくできてるはずですから」

「え?」

 ちょっと待って。今めちゃくちゃ気になることを言わなかった?

 綾奈はその頃から俺に自分の料理を食べてほしくて練習していたのか!?

 それを頭で理解すると、俺の頬は一気に熱を帯びて、右手の甲で口を隠した。

「真人君照れてるね」

「そりゃあ、そんな話を聞いて嬉しくならないやつなんていないですよ」

 ロクに話したことがない時期からだから、俺たちが付き合えるかなんてまったくわからなかったはずだ。それなのに特訓をしてくれていてくれたなんて……健気すぎるだろ! 最高かよ俺のお嫁さん!

「これからも真人にいっぱい美味しい料理を食べてほしいから、もっともっと練習するからね!」

「う、うん……」

 今でもめちゃくちゃ美味しいのに、さらに磨きをかけるんだ……今で既に胃袋を掴まれてるのに、さらに上達したら胃袋をハグされそうだ。

「あはは。このチョコレート、大切にいただくね」

「俺も。千佳のやつに食われないようにしないと……」

 拓斗さんって実家暮らしなのかな? 千佳さんの家って綾奈の家からもうちょっと行ったところにあるみたいだから、近くに住んでるのにわざわざ部屋を借りることもないよな。

「じゃあ綾奈ちゃん、真人君。僕たちはそろそろ……」

「は、はい。お時間いただいてすみません……」

「僕たちは家族なんだから、そんな遠慮はいらないよ」

「そうそう。翔太さんの言う通り」

 それから別れの挨拶をして、二人はまた厨房へと戻っていった。なんでもこれから残業で拓斗さんの特訓なんだとか。

 麻里姉ぇはまだ学校みたいだし、帰ってくるまでは特訓なのかもしれない。

 俺は心の中で拓斗さんを応援しながら、綾奈と一緒にドゥー・ボヌールをあとにした。

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