第451話 綾奈の前屈

 楽しいおしゃべりは終わり、いよいよストレッチを教えてもらうので、ローテーブルを部屋の隅に移動させ、十分な広さを確保して私はカーペットが敷かれた床に腰を下ろした。

「じゃあアヤちゃん。いよいよストレッチを教えていくね」

「はい。お願いします!」

「っと、その前に」

「え?」

 杏子さんは私の背後で膝立ちになり、私の両肩に手を置いた。

 大ファンの杏子ちゃんに自ら触れられて、真人の時とは違ったドキドキがあった。

「まずはアヤちゃんの体の柔らかさを知っときたいから、座ったままで前屈をやってみてよ」

「ぜ、前屈ですか?」

「うん。もしかして前屈苦手?」

「……苦手ですね。というか、運動が苦手です」

 高校入学から少しして行われた体力テストでもあまり人には言えない結果だったし。

 ちぃちゃんは私の運動音痴を知っていたから特に何も言ってこなかったけど、仲良くなりたてだった乃愛ちゃんとせとかちゃんは、私の結果を見てフォローしてくれていた。

「アヤちゃんは見るからに文系って感じだしね」

「あぅ……」

「そんなに落ち込まないの。人間、誰にだって苦手はあるんだからさ」

「はい……」

 杏子さんはそう言って、また私の頭をわしゃわしゃと優しく撫でてくれた。

『誰にでも苦手はある』、か……。杏子さんにも苦手はあるのかな?

「ま、とにかく前屈やってみてよ。大丈夫。別に結果が悪くてもマサの時みたいに笑ったりしないから」

「わ、わかりました」

 多分杏子さんは私が前屈をやらないと納得しないだろうし、私がお願いをしてここに来てもらっている以上、やらないのは杏子さんに失礼だよね。

 ……あれ? 「マサの時みたいに」って、真人も杏子さんの前で何か失敗して、杏子さんに笑われたのかな? 小さい頃の写真を見てるからなんとなく想像が出来てしまう。

 気になるけど、今は前屈をしないと。

 すぅー……はぁー……。

「じゃあ、いきますね……えいっ!」

 私は一度深呼吸をして、そんな掛け声とともに前屈をした。

「「…………」」

 だけど、後ろにいる杏子さんからの反応はない。あれ?

 な、なにか言ってくれないと……この体勢を保つのが辛くなってきて、身体がプルプルと震えだしてきた。き、杏子さん……早く、何か言って……!

「え? アヤちゃん……もしかして、これが全力?」

「ぜ、全力です……」

「ちょっとしか倒してないじゃん」

 杏子さんの言ったように、私の身体は十センチも前に倒せていない。だ、だから嫌だったのに……。

「もういいよアヤちゃん。楽にしてね」

「はい……」

 杏子さんに言われ、私は前屈をやめた。両肩には相変わらず杏子さんの手がある。

「マジかぁ……固いとは予想してたけど予想以上だったなぁ」

「あぅ……ごめんなさい」

「あはは。なんでアヤちゃんが謝るのさ? 運動が苦手なんだから仕方ないって。逆にここからどれだけ記録を伸ばせるのか楽しくなってきたよ」

 杏子さんの励まし方が少し真人に似ていると思った私は自然と表情をやわらげた。やっぱり杏子さんは優しいな。

「よーっしアヤちゃん! これから頑張っていこう! ついでに身体が柔らかくなるストレッチも教えてあげるね」

「はい! よろしくお願いします杏子さん」

 身体が柔らかいとその分痩せやすくなるって聞いたことがあるし、頑張ってダイエットを成功させるぞ!

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