第449話 杏子、綾奈の家へ

 翌日の土曜日。

 私は部活が終わったあと、急いで家に帰って昼食を食べ、杏子さんが来るのを今か今かと待っていた。

 だけど私よりもお母さんの方が明らかに落ち着きがない。

 有名人に会うのだから仕方ないけど、服もいつもよりオシャレだし、お買い物は既に済ませているのにお化粧も落としていない。

「母さん。気持ちはわかるけどもう少し落ち着いたらどうだ?」

 そういうお父さんもさっきから頻繁にコーヒーを口に入れているから緊張で喉が渇くんだろうなぁ。

「だって、あの氷見杏子ちゃんがもうすぐここに来るのよ!? 落ち着いてなんかいられないわ」

 私は杏子さんと接するのに慣れてきたけど、もしお母さんの立場だったら、お母さんみたいに落ち着きなく動いていたかもしれない。

 改めて考えたら、有名人がうちに来るって、すごく現実味がないよね。

 真人や茜さんは昔から杏子さんを知っていたから普通だったけど、うちだとそうはいかないもんね。

 どうしよう……そんなこと考えてたら、私もちょっと緊張してきちゃった。

 それとほぼ同時に、うちのインターホンが鳴り、来客を知らせた。

「き、来た! 来たわよ綾奈!」

「う、うん……」

「二人とも少し落ち着きなさい」

 お父さんの手に持っているカップが震えているからお父さんもすごく動揺しているみたい。

 そうだ。杏子さんをお出迎えしないと。待たせるのは失礼だしね。

 私はスリッパをパタパタと鳴らしながら廊下に行き、靴に履き替えて玄関を開けた。

「はーい」

「や、来たよアヤちゃん」

「いらっしゃいませ杏子さん……って、真人も!?」

「うん……」

 杏子さんの隣には、私の大好きな旦那様の真人がいた。だけどなぜか疲れた顔をしている。

「ど、どうしたの真人? 随分疲れているみたいだけど……」

「いや、午前中に杏子姉ぇがうちに来てね。色々と疲れた」

 どうやらその『色々』が本当に色々あったみたい。杏子さんってパワフルだからなぁ。

「あっ」

 杏子さんが私の後ろを見て声を上げた。私は振り向くとお父さんとお母さんが玄関までやって来ていた。

「は、はじめまして杏子さん。綾奈の母の明奈です。ようこそおいでくださいました」

 お母さんは緊張しすぎて言葉遣いがいつもの来客時よりも丁寧になっている。

「同じく父の弘樹です。はじめまして。よく来てくれたね」

 お父さんは割と落ち着いている。お母さんの慌てぶりを見て冷静になったのかもしれない。

「はじめまして明奈さん、弘樹さん。中筋杏子です。このマサのいとこです。よろしくお願いします!」

 それに対し、杏子さんは明るく元気に、そして笑顔で自己紹介をし、真人の肩に手を置いたと思ったら、勢いよくお辞儀をした。杏子ちゃん……かわいいっ!

「って、真人君も今日来る予定だったのかしら? 私としては嬉しいけど」

「こんにちは明奈さん、弘樹さん。いやぁ、今日来る予定はなかったんですが、俺があいだに入った方がいいかなと思いまして。杏子姉ぇ、このパワフルさで何やるかわからなかったし……」

「失礼な! 何もするわけないじゃん!」

 杏子さんはそう言って真人の背中をバシッと叩いていた。なんだかんだ言い合っていても、この二人は仲良いなぁ。

「うふふ。真人君と杏子さんはとっても仲良しなのね」

「マサは昔から、私にとって大事な弟ですから」

「……昔から俺にめちゃくちゃイタズラしてたのに」

「何か言った?」

「いーや何も」

 私も茜さんの家で、杏子さんにイタズラされて泣いている真人の写真を見せてもらったから、それを思い出して苦笑いをしてしまった。

「真人君も上がっていくかい?」

「いえ、今日はこれで帰ります。元々杏子姉ぇの付き添いで来ましたから。すみません弘樹さん」

 真人……今日はこれで帰っちゃうんだ。

 真人とも一緒にいられると思っていた私は眉を下げた。

「そうか。残念だが、またいつでも来なさい」

「そうよ真人君。来てくれたら私たちも嬉しいから」

「はい。ありがとうございます」

「じゃあ綾奈。ここにいたら寒いから入りましょ」

「うん……杏子さん。悪いんですけど、先に入っていてもらえますか?」

「え? アヤちゃんがいいならいいけど……あ、なるほどね」

 私の一言で、杏子さんだけでなくここにいるみんなが私がなにをしたいかを察したようで、お父さんとお母さんはにこにこしていて、真人は照れていた。

「綾奈、早く入ってきなさいね。真人君、またね」

「はい。また」

 そうして私たち二人を残し、三人は家の中へと入っていった。

 私たちしかいなくなったのを確認して、私は真人に抱きつき、真人は私を優しく受け止めてくれた。

 しばらく抱きしめ合ったり、キスをしたりして真人に甘え、五分程して帰っていく真人を見送り、少し残念な気持ちになりながら、私も家の中へと入った。

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