第371話 ブレイクタイム

 拓斗さんが麻里姉ぇに連れ去られて、ちょっと空気が弛緩したついでに、俺を含めた何人かがトイレに向かった。

 席に戻るときに厨房を見たんだけど、拓斗さんは麻里姉ぇ監視の下、ケーキの生地を作っていた。

 おそらくあの麻里姉ぇは、風見高校と高崎高校の合唱部合同練習で見た、マジな指導モードの麻里姉ぇだ。麻里姉ぇがケーキ作りを教えれるほどのスキルを持っているのかはさておき、あの麻里姉ぇに目をつけられたら、簡単には抜け出せない。拓斗さんの無事を祈る他なさそうだ。

「おかえりなさい真人」

「ただいま綾奈」

 席に戻ると、綾奈が笑顔でおかえりを言ってくれた。

 綾奈の笑顔が可愛すぎて、拓斗さんに杏子姉ぇのサインを渡そうとするのを忘れそうになるけど、ちゃんと覚えておかないとな。

「すごいね二人とも! たった一言言葉を交わしただけなのに、私にはそれだけでイチャついてるように見えるよ」

「いやいや……こんなの、世の仲良しカップルや夫婦なら普通のやり取りだろ」

 そんな風に見えるとか、俺たちはお付き合い上級者……いや、その上の超級者じゃないか? 超級者なんてあるのかは知らんけど。

「でも、お兄ちゃんとお義姉ちゃんだとそう見えちゃうんだよね~。所構わずお砂糖を振りまくんだから」

 美奈の言葉にみんなが『うんうん』と首肯している。

 綾奈を見ると、照れてるのかと思いきや、「えへへ~♡」と言って、表情がゆるゆるになっていた。可愛いなぁ、俺のお嫁さんは。

「というか、そんなこと今ははいいんだよ。杏子姉ぇの話を聞かないとだろ?」

「あっと、そうだったね。さっきも言ったけど、別に普通の理由だよ」

「だとしても俺たちは聞きたいの」

「も~マサったら私のこと大好きなんだから~」

 ……この姉は、本当に喋る気があるのだろうか? なんだかんだではぐらかす気じゃないだろうな?

 別に話す気がないなら無理に聞いたりはしないけどさ、それでも気になるのは気になるから聞きたいんだよ。

「そうだよ! 杏子姉ぇは俺の大好きな姉ちゃんだよ」

 それはそれとして、杏子姉ぇの茶化しをスルーしても良かったんだけど、事ある毎にこんなこと言われても困るので、今回は茶化しをそのまま打ち返してやった。どうだ杏子姉ぇ! 普段ならありえないピッチャー返しだ。

「……そ、そう返されるとは思わなかったなぁ……あ、あはは」

 杏子姉ぇのリアクションは、予想外の照れだった。

 え? まさかピッチャー返しが直撃しちゃった?

 頬を少しだけ赤くし、右の人差し指で頬をポリポリかいて苦笑いをしている。

 みんなも、そして親友の茜も杏子姉ぇのリアクションを見てぽかんとしていた。余程予想外だったようだ。

「いやなんで照れてんだよ?」

「マサが恥ずかしいこと言うからでしょ!?」

「言わせたのは杏子姉ぇだからな!?」

 照れたと思ったら今度は逆ギレしてしまった。

 でも、なるほどな。

 杏子姉ぇはストレートに返されるのには弱いのか。今度から似たようなイジりをされたら、たまには今みたいに返しても良さそうだ。

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