第312話 『あ~ん』と『ふーふー』

「「いただきます!」」

 俺たちは一緒に手を合わせた。

 テーブルには綾奈の作った料理の数々が並べられている。

「どれも美味しそうだなぁ」

 綾奈が作った献立は、肉じゃが、ハンバーグ、野菜の盛り合わせとお吸いものだ。

 配膳も完璧で、これを食べられるだけで幸せを感じる。

「真人のためにいつもより頑張ったから」

「ありがとう綾奈。どれから食べようかな?」

 こうも美味しそうだと、どれから食べるか悩んでしまう。

 健康を考えるなら野菜からだけど、ここはハンバーグからいただこうかな。

 ハンバーグに箸を入れると、中から肉汁が出てきた。これだけで食欲をそそられる。

 ハンバーグを割ると、先程の肉汁がお皿に広がり、ハンバーグから湯気が立っている。

 猫舌だから、少し冷ましてから口にした方が良さそうだな。

 俺が冷めるのを待っていると、突然綾奈が俺のお皿に乗っているハンバーグを一切れ箸で持ち上げた。

「え、綾奈?」

 綾奈はその一切れのハンバーグを自分の口の近くまで持っていき、ふーふーと息をふきかけている。これってまさか……。

「はい真人。あ~ん」

 やはりというか、綾奈が『あ~ん』をしてきた。

 これをするのは、俺が熱を出したとき、綾奈の作ったお粥を食べさせてもらって以来だ。

「あ、あ~ん」

 俺は顔が熱くなりながらも、綾奈の箸ごとハンバーグを口に入れた。

「はふっ、はふっ……」

 熱い。湯気が立っていたからもしやとは思ったけど、やはりまだ熱かった。

「だ、大丈夫!?」

「ら、らいりょーふ。はふ……」

 なんとか咀嚼し、ハンバーグを飲み込む。

「ど、どうかな? 美味しい?」

 綾奈が少し不安げに聞いてくるが、そんな不安は不要だよ綾奈。

「すごく美味しい。最高だよ」

 本当、俺はどうしようもなく綾奈の虜だ。身も、心も、そして胃袋まで。

「よ、よかった~。実は、自分でも上手くできたとは思ってたけど、やっぱり真人の口から感想を聞くまで不安で……」

「大丈夫。綾奈の作る料理は全部美味しいよ。俺は綾奈の料理も大好きだよ」

「ほ、褒めすぎだよぉ……でも、ありがとう」

 綾奈は「えへへ」と顔を緩めて笑った。

 お嫁さんの最高の料理と最高の笑顔。こんな幸せな食事を経験できるなんてな。

「ねぇ、真人」

「ん? どうしたの綾奈」

 頬を赤くしてもじもじしている。可愛いけど、何か言いにくいことでも───

「わ、私も真人に『あ~ん』してほしい」

「はえ?」

 一瞬、綾奈が何を言ったのかわからなかった。

 でも、そうだよな。綾奈と付き合う前から、俺は既に四回も『あ~ん』をしてもらっているのに、俺からはほとんどしていない。

 大晦日のスーパーでの試食が初めてだったもんな。

「えっと、じゃあ何を食べたい?」

「じゃがいもが食べたい」

「わかった。えっと……俺の箸で掴んでも?」

「もちろんいいよ。というより、真人のお箸で食べさせてほしい」

「っ!」

 綾奈さん。上目遣いで言うのは反則だと思うのですが……。

 まぁ、俺まだこの箸に口つけてないからいいか。

 俺は照れながら、綾奈の肉じゃがからじゃがいもを箸で半分に切り、それを持ち上げ綾奈の口のそばまで持っていこうとした。だけど……。

「……真人もふーふーしてから食べさせて」

「え? でもこのじゃがいも、あまり湯気が立ってないから熱く……」

「それでも旦那様にふーふーしてもらいたいの」

 どうやらふーふーにこだわりがあるみたいだ。

 これ以上俺が何かを言うのは野暮というものなので、俺は「わかった」と言ってから、じゃがいもにふーふーと息をふきかけた。

「綾奈。あ~ん」

「あ~んっ♡」

 じゃがいもを咀嚼している綾奈。とても幸せそうな表情をしている。

 見ているだけで俺の心も幸福感で満たされていくようだ。

「美味しい?」

「うん。すごく美味しい」

「それはよかった。まぁ、綾奈が作ったものだから美味しいのは当たり前なんだけどね」

 お嫁さん補正がかかってるかもしれないけど、本当に美味しい。

「そ、そう言ってくれるのはすごく嬉しいけど、やっぱり真人が食べせてくれるからもっと美味しいんだよ。スーパーの試食でもそうだったようにね」

「……なら、もっと食べさせ合う?」

「うん!」

 それからはたまにお互い食べさせ合いっこをしながら夕食を楽しんだ。

 いつもより時間がかかってしまったが、何物にも代えがたい幸せな時間を堪能できた。

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