第290話 疑念と報告とスキンシップ

 雛先輩との通話が終わり、一哉たちからプレゼントとして買ってもらったラノベを読み始めて、十分くらいして綾奈がドライヤー片手に俺の部屋に入ってきた。

「真人お待たせ」

「おかえり。大丈夫だよ」

 ここ数日はいつもより入浴時間が長いなとは思いながらも、俺たちはそんなテンプレみたいなやり取りをし、綾奈が俺にドライヤーを手渡してきた。

「じゃあ、お願いします」

「りょーかい」

 俺は綾奈の後ろに回り、膝立ちになってドライヤーのスイッチを入れ、綾奈の髪を乾かし始めた。

 相変わらず綺麗な髪で、指通りも良くサラサラだ。

 ドライヤーの風に運ばれて、綾奈のシャンプーの匂いが俺の鼻腔に届いたのだが、やはりうちで使っている物とは違う匂いだ。

 なんというか、ちょっとお高いのではないのかと思わせる匂い。

 自分のヘアケア、そして俺の為に良いシャンプーを使ってくれているのなら、とても嬉しい。

 だけど、俺の脳裏には、今日ショッピングモールで見たあの男の人がチラつく。

 健太郎も絶対にないと言っていたし、俺だって綾奈が浮気なんてありえないと思っている。それは確かだ。

 だけど、あの人が綾奈の肩に触れ、それを綾奈が嫌な顔ひとつせずに受け入れていたこと、そしてそれを見ていた麻里姉ぇも、男の人を止めるようなことはしなかった。

 一体、あの人と綾奈、麻里姉ぇ姉妹の関係はなんなんだろう……?

「……真人?」

「……え?」

 下から綾奈声が聞こえてきたが、考え事をしていた俺は返事が遅れてしまった。

「どうしたの? 何か考え事?」

「どうして?」

「だって、手が止まってるから」

「あ……」

 言われて気付いた。

 俺は綾奈の髪の間に自分の親指以外の指を入れたまま固まっていた。ドライヤーもずっと一点を乾かしているし……そりゃあ変に思うよな。

「ごめん。なんでもないよ」

 一言、そう言って俺は考えをやめ、綾奈の髪を乾かし続けた。

 聞けるわけない。

「あの男の人は誰?」なんて……。

 聞いてしまったら、綾奈を疑っていると認めてしまうようなものだ。

 綾奈は俺に一途なんだ。そこに疑いの感情を入れる余地なんてない。

 だからそんな考えをしてしまうこと自体間違っているんだ。

 俺は平静を装い、綾奈の頭を撫でた。

「えへへ~。真人大好き♡」

「俺も大好き。愛してるよ」

 俺は無意識に、たまにしか使わない強い言葉で、綾奈に好意を伝えた。



 髪を乾かし終え、俺は自分のベットを背もたれにして、後ろから綾奈を抱きしめて座っていた。今は綾奈のお腹に両手を置いている。

「綾奈。明日なんだけど」

 雛先輩達に呼び出されていることを綾奈に伝えないわけにもいかないので、俺は話を切り出した。

「どうしたの?」

「明日、雛先輩たちに呼び出されていてさ、事後報告になっちゃうんだけど、ちょっと会ってくるよ」

「わかった」

 綾奈は即答した。俺を信じてくれているからだろう。

「ありがとう綾奈」

「雛さんと二人で会うの?」

 そこはやっぱり気になるよな。

「雛先輩と北内さん、そして茉子の三人と会う予定だよ」

「珍しい組み合わせだね。…………あ」

 メンバーを聞いて、綾奈も俺と同じ感想を持ったようだ。

 だけどすぐに綾奈は何かを理解したような、そんな声を漏らした。

「どうしたの?」

「ううん。なんでもないよ」

「そう?」

「うん。なんでもな~い」

 綾奈は俺の胸に頬を擦り付けてきた。

 俺は綾奈の擦り付けていない方の頬にそっと手を置いた。

「あ……」

 俺の意図が読めた綾奈は、擦り付けをピタッとやめ、上目遣いで俺を見てきた。綾奈の頬は赤く、瞳は潤んでいた。

 俺たちはゆっくりと顔を近づけ、そしてキスをした。


「綾奈は明日も朝から出掛けるの?」

 しばらくキスをした俺は、気になっていることを聞いた。

「うん。……ごめんね一緒にいれらなくて」

 綾奈は本当に申し訳なさそうな表情をしている。

「全然寂しくないって言ったら嘘になるけど、綾奈だって用事があるもんな。だから気にしないで」

「……うん。ありがとう真人。明日も夜はいっぱいお話して、いっぱいちゅうしようね」

「う、うん」

 明日も綾奈といっぱいキスが出来るということに、俺は照れてしまって声が少し上擦ってしまった。

 そういったスキンシップをする時間は本当に幸せで尊い時間なんだけど、何度スキンシップを経験しても、そういう行為を想像してしまうとやっぱり照れてしまう。

「真人かわいい~♡」

 綾奈はまたも俺の胸に頬を擦り付けてきた。やはり綾奈は俺の照れに敏感なようだ。

「そういう綾奈だって頬が真っ赤じゃないか」

「だ、だって、旦那様のかわいい顔を見れたし、明日もちゅうするって考えたら、やっぱりドキドキするんだもん」

「っ! もう、すぐそうやってドキッとさせること言う」

「真人の心臓、すっごくドキドキしてる」

「言わなくていいの」

 俺たちは互いの顔を見て笑い合った。

 あの男の人のことは、いつの間にか俺の頭の中から抜け落ちていた。

「明日も早いなら、もう寝る?」

 時刻は夜の十時半。

 寝るにはまだ少し早い時間だが、明日も午前中から用事があるのなら、あまり夜更かしをさせることは出来ない。

「う~ん……」

 綾奈は俺の胸から頬を離し、身体を俺の正面に向けるように座り直し、どうするのかを考えている。そんな綾奈も可愛くてずっと見ていられる。

 少し考えを巡らせた綾奈は、立ち上がらずに俺に抱きついてきた。

「やっぱりもう少し真人と一緒にいたい」

 俺は少し驚き、先程の衝撃で少し腰が痛くなりながらも、綾奈を抱きしめた。

「じゃあもう少し話そっか?」

「うん!」

 それからも俺たちは他愛のないお喋りをし、そしてキスもたくさんした。

 気付けば日付が変わる寸前で、それから綾奈は名残惜しみながら美奈の部屋に戻っていった。

 翌日、一月六日の朝九時。

 綾奈は笑顔で出掛けで行ったのだが、やはりその左手に指輪は見えなかった……。

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