第268話 後悔はないのか?

「ところで今日は、真人君を紹介するために来てくれたのか?」

 しばらく雑談を続けた後に銀四郎さんが言った。

 確かにそれもあるんだろうけど、もっと大事なことを伝えないと。

「えっとね、確かにおじいちゃんに真人を紹介するつもりだったんだけど、こ、これ……」

 綾奈は、幸ばあちゃんと銀四郎さんに、左手の薬指にはめている指輪を見せた。

「まぁ! 綺麗な指輪ね。そこにしてるということは、もしかして……」

「うん。私達、将来結婚する約束をしました」

「そうなの!? 良かったわねぇ綾奈。おめでとう」

「ありがとう、おばあちゃん」

 綾奈の報告に、幸ばあちゃんは自分のことのように喜んでくれた。

「…………」

 一方の銀四郎さんは、眉根を寄せて、じっと俺と綾奈を交互に見ていた。

 やっぱり、いきなりこんな報告したら困惑させてしまうし、怒らせてしまうかもしれない。

 明奈さんと弘樹さんは好感触で、認めてくれているけど、普通は銀四郎さんのようなリアクションをするだろう。

「……なぁ、真人君」

 銀四郎さんが口を開いた。元々低い声がさらに低くなっている。

 俺はそれに、かなりビビっていた。

「は、はい」

 ただ、ノーリアクションはあまりにも印象が悪くなるので、何とかして声を出した。

「……お前は、後悔しねぇのか?」

「後悔、ですか?」

 一体、何に後悔するというのだろう?

「さっきも言ったが、幸子の散歩の手伝いや、昨日綾奈を庇ってくれたことは感謝してる。だが真人君はまだ綾奈と同じ高校一年だろ? 青春なんてまだまだこれからだろうし、女との出会いなんて腐るほどあるかもしれねぇ。 それなのに、こんなに早く決断しちまって良かったのか? この先、真人君が綾奈より魅力的と思える女との出会いがあるかもしれないが、本当に綾奈に指輪を渡した事、この先の長い人生で後悔───」

「しません!」

 俺は銀四郎さんの言葉を遮った。いや、最後まで言わせたくなかった。

「銀四郎さんの言葉も理解できます。俺の事を考えていただき、ありがとうございます。だけど、俺の心は既に決まっています。綾奈を、そして綾奈の笑顔を一生かけて守っていきます。若造の言葉に重みなんてないのは重々承知しています。なら俺は、その言葉を重ねるまでです。信じられないと言うのなら、銀四郎さんが首を縦に振るまで言い続けます。俺は綾奈を誰よりも愛しています。この気持ちは一生変わったり、色褪せたりはしません。この、指輪に誓って」

 俺は言葉の限りを尽くして銀四郎さんを納得させてみせる。

 それでも足りないなら、同じ言葉を繰り返し言い続けるだけだ。

「…………」

 誰も言葉を発さないまま、時間だけが過ぎていく。

「お父さん。もういいんじゃありませんか?」

 沈黙を破ったのは幸ばあちゃんだ。

 柔和な笑みを見せながら、銀四郎さんに優しく語りかける。

「私は真人君が中学生の頃から知ってるわ。この子は決して、冗談でそんなことを言う子じゃないのも。綾奈の学校の文化祭、綾奈のクラスで真人君とお茶をした時も、真人君は私の目をまっすぐ見て綾奈が好きと言ってくれたわ。真人君は、信じられる子よ」

「幸ばあちゃん……」

 幸ばあちゃんは、そこまで俺を信頼してくれているのか。やべぇ、ちょっと泣きそう。

 俺の隣にいる綾奈は、何かを言ったりはしないが、俺の手をギュッと握ってくれている。

 その手から、綾奈の信頼や愛情、そして感謝の念が送られてきているような気がする。

「…………ふっ」

 ん? 銀四郎さん、今笑った?

「あっはっはっは!」

 突然大声で笑い出した銀四郎さんに、俺と綾奈は肩をビクッと震わせた。脈絡はかすかにあったが、それでも驚くって。

「試すような事を言って悪かった。真人君の気持ちは十分に伝わった」

「ほ、本当ですか!?」

「おうよ! 赤の他人だった俺の女房をいつも手助けしてくれている子の言葉を疑ってどうするんだよ。幸子も随分前から真人君を気に入ってるし、信じねぇわけねぇじゃねぇか」

 ……そっか。俺は、知らないうちに、銀四郎さんの信頼を得ていたんだな。

 当時、歩道橋の階段を登るのが辛そうだった幸ばあちゃん。その縁がきっかけで幸ばあちゃんと仲良くなり、それ以降も週に何回か、幸ばあちゃんの手伝いをするようになった。

 きっとその時から、幸ばあちゃんは俺のことを銀四郎さんに話してくれていたんだな。

 幸ばあちゃんは俺の視線に気がつき、俺に優しい笑顔を向けてくれた。

「幸ばあちゃん。ありがとうございます」

「うふふ。お礼を言うのは私の方よ。ありがとう、真人君」

 今喋るとマジで涙が出そうになると思った俺は、ただ幸ばあちゃんに頭を下げた。腰の痛みなど気にせず、深々と。

「てなわけだ。これからも綾奈をよろしく頼むぜ!」

「はい!」

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