第265話 ささやかな夢が叶う瞬間

「綾奈!?」

「あ、綾奈さん!?」

 俺と茉子は、綾奈の行動に驚かされた。

 茉子は耳まで真っ赤にしている。

「真人。マコちゃんを撫でてあげて」

「……良いのか?」

 独占欲が強く、ちょっとしたことでヤキモチを焼いてくれる綾奈。

 一昨日、この四人で、うちでゲームをした時、優勝のご褒美として俺が茉子の頭を撫でることになったのだが、綾奈は俺が自分以外(美奈は例外)の女の子の頭を撫でるのを見たくなくて部屋から出ていった。

 俺もその時は、綾奈を傷つけたくなくて、言葉で賛辞を送った。そこから茉子の「真人お兄ちゃん」呼びが定着したのだが、そんなことを綾奈が自分から言うなんて……。

「うん。さっきも言ったけど、マコちゃんにはもう嫉妬なんてしないし、私より長い間真人を想い続けて、さっきも真人を想ってあれだけの言葉を言ってくれたマコちゃんだもん。真人に撫でてあげてほしいってすごく思ったの」

「綾奈……」

「だからお願い。マコちゃんを撫でてあげて」

 綾奈は優しく微笑んでいる。

 嫉妬心なんて微塵もない、百パーセント本心だとわかる。

 俺は、ゆっくりと茉子の頭を撫で始めた。

「茉子。その、嫌だったら言ってもいいからな」

「……嫌なんて、思うわけないよ」

「そうか……」

 それからも俺は、茉子の頭を優しく撫で続ける。

 茉子は最初こそ落ち着きがなく、視線が色んな方向に泳いでいたが、今は頬を赤らめ、微笑みながら俺をじっと見ている。

「ま、茉子!?」

 だが、次の瞬間、俺はぎょっとした。

 茉子の目から、一筋の涙が流れたからだ。

 一度決壊した涙腺が元に戻るわけもなく、その一筋を皮切りに、茉子の目からぼろぼろと涙が流れていく。

 それを隠すように、茉子は俯き両手で顔を覆った。

「茉子。……やっぱり嫌だったか?」

 俺の問いに強く首を横に振る茉子。

「そんなことない! う、嬉しいの」

 くぐもった声が茉子から聞こえる。

「真人に、ぐすっ、頭を撫でてもらうの、ずっと、憧れだった! みぃちゃんが、頭を撫でてもらうのを見て、何度も、羨ましいって、ひぐっ、思ったし、綾奈さんも、同じように、されているんだろうなって、うぇっ、何度も思う度、嫉妬、していたから」

「マコちゃん……」

「先輩に、ぐすっ、頭を、撫でてもらうの、ずっと夢だったの! もう、叶わないって思って、諦めていたから、ぐずっ、とっても、う、嬉しくて……うえぇ」

 綾奈も美奈も、涙を流しながら茉子を見ている。

 まさか、夢とまで言ってくれるなんて……。

 俺は撫でてない方の手を、茉子の肩に置き、綾奈を見た。

 綾奈は俺の意図を理解してくれたみたいで、こくりと頷いてくれた。

 俺も綾奈に微笑んで頷き返した。

 そして、茉子をそっと自分の胸に抱き寄せた。

「っ!! まさ、と……せんぱい」

 突然の俺の行動に、茉子は顔を上げ俺を見た。

 俺はそんな茉子に何も言わず、ただ優しく微笑んだ。

 茉子の目からさらに涙が溢れる。

「せん、ぱい。……せんぱいぃ! うえぇぇぇぇぇぇん!!」

 俺たち四人しかいないこの神社の裏手。

 茉子の泣き声だけが辺りに木霊した。

 俺は茉子が落ち着くまで、茉子を抱きしめ頭を撫で続けた。  

 しばらくして、落ち着きを取り戻した茉子は俺から離れた。

 あれからどれだけ時間が経過したかはわからない。

「……もう大丈夫。ありがとう真人お兄ちゃん」

 茉子の目は泣き腫らしていたが、表情はすっきりとしていた。

 呼び方も「真人お兄ちゃん」に戻っていた。

「どういたしまして」

「綾奈さんもありがとうございました」

「え?」

 突然のお礼に、綾奈は驚きの声を上げた。

「本当は嫌だったはずなのに、それでも真人お兄ちゃんが抱きしめてくれたのは、綾奈さんが良いって言ってくれたからですよね?」

「そ、そうだけど……でも、お礼を言われることじゃ……」

「でも、私の夢が叶ったのは綾奈さんのおかげでもあるんです。だから、ありがとうございました」

 この子は本当に聡くていい子だな。

「他の人だったら絶対に嫌って思うけど、マコちゃんだから私も自然とあんな行動が出来たんだと思う」

 多分俺の手を茉子の頭に持って行ったことを言っているんだろうな。

 本当、いつもの綾奈だったら取らない行動だよな。

「じゃあ、これからも真人お兄ちゃんの胸をお借りしてもいいですか?」

 茉子は少しニヤッとしながら言っている。茉子がこんなこと言うなんてな。

「そ、それはダメだよ!」

 綾奈は俺の腕にしがみついてきた。

 頬をプクッと膨らまして茉子を見ている。

「ふふっ。冗談です。私はもう大丈夫ですから」

「綾奈。心配しなくても、ここは綾奈の場所だからね」

 俺は自分の胸を指さした。

 俺が着ている白いシャツは、茉子の涙を吸ったことにより濡れていて、周りは少しシワが寄っていた。

「ご、ごめんね真人お兄ちゃん」

「気にするなよ。こうしてアウターのボタンを閉めたら……ほら。わからないだろ?」

 これならどこからどう見ても、冷えてきたので上着のボタンを閉めたようにしか見えない。

「うん。ありがとう真人お兄ちゃん」

「じゃあそろそろ戻ろっか? 皆さん心配してるだろうから」

 美奈が言った。

 確かに、綾奈が横水君の弟と一緒に俺たちから離れて何分経ったか知らないけど、みんなをこれ以上心配させる訳にもいかないもんな。

「だな。行くか」

 俺は綾奈の手を取り、四人で歩き出した。

 その後、みんなと合流した俺たちは、やはり心配された。

 何があったかはかいつまんで話した。茉子の涙の件は、言い訳を考えるのに苦労したが、とりあえずみんなは納得してくれた。

 そこからまた少しだけ雑談をした後に解散となり、俺と綾奈は幸ばあちゃんの家に向かう前に、ドラッグストアへ移動を開始した。

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