第4章(後編) もっと甘く幸せな冬休み
第239話 一度家に帰る前に
「…………きて」
「……んん~」
誰かが何かを囁いている。
「……さと、おきて」
囁くだけじゃない。肩をゆさゆさと揺らしてくる。
「真人、早く起きて」
「…………んえ?」
何度目かの囁く声で、俺は重い瞼をゆっくりと上げた。
「あ、起きた。おはよう真人」
瞼を開け、眠い目を擦り、ボヤけている視界を何回か瞬きをして正常に戻してから改めて声がした方を見ると、そこには最愛の婚約者、綾奈がいて、優しく微笑んでいた。
「っ!……おはよう、綾奈」
綾奈の可愛すぎる微笑みで覚醒が促され、急速に状況を理解した俺は、その綾奈の微笑みにドキリとしながらも挨拶を返した。
「うん。起きれる?」
「え?……痛っ!」
そうだった。俺は昨日、腰を床に強打して痛めているんだった。
ついさっきまで忘れていたから、ベッドの上でモゾモゾしていたら痛みが走った。
「だ、大丈夫!?」
「……うん。大丈夫」
俺はゆっくりと上体だけ起こした。
「ふぅ」
軽度とはいえ、こうして起き上がるのも一苦労だ。
俺が上体を起こすと、綾奈は俺のすぐ横に座った。
「腰、痛くない?」
綾奈はベッドに腰掛け、俺の腰を優しくさすってくれた。
「大丈夫だよ。ありがとう綾奈」
心配してくれた綾奈の頭を優しく撫でると、綾奈は「えへへ」と言って、ふにゃっとした笑顔を向けてくれた。
その笑顔にまたドキッとしながらも、俺は綾奈の格好を見ると、綾奈はパジャマ姿ではなく、既に私服に着替えていた。
外を見るとすっかり陽は上りきっていた。
「え? 今何時?」
「まだ七時半だよ」
そう言ってスマホのロック画面を見せてくれた綾奈。そのロック画面は、以前俺と撮影したプリクラの一枚だった。
寝坊したわけではないのがわかったのでほっと胸を撫で下ろしたかったが、綾奈のロック画面を見てしまってドキドキしている。
「それにしても、早いね綾奈」
「うん。もう少ししたら一度自分の家に帰るから。帰る前に真人が起きてくれてよかった」
そっか。今日は一月一日。
綾奈は初詣に行く前に、一度実家に帰って晴れ着に着替えるんだったな。
本当は俺が送っていきたかったけど、腰を痛めているから父さんと母さんに代わってもらったんだった。
「なら、もう朝ごはんも食べた?」
「うん。先に食べちゃった」
そうだよな。もうすぐ家に帰るのなら、当然食べてるよな。
「起きるの遅くてごめんな」
「ううん。真人は腰が痛くて寝付けなかったと思うから、起きるのが遅くなるのは当然だよ……」
綾奈は少しだけ眉を下げた。多分口にしないだけで、俺の腰のことまだ責任を感じているのかもしれない。
気にするなと言っても、綾奈の性格上完全に気にしなくなることはないだろうな。
だから俺は、意図的に綾奈が俺の腰を意識の外から追い出す為に、いきなり綾奈を抱きしめた。
「ま、真人!?」
俺の突然の行動に、綾奈はあわあわと慌てている。
「綾奈の晴れ着、本当に楽しみにしてるよ」
「あ……うん。真人に綺麗って言ってもらうために、いっぱいおめかししてくるからね」
ただでさえ可愛い綾奈が、晴れ着を着ることで美しさが上乗せされる事は約束されている事実だ。ただ、どれだけ綺麗になってしまうのかは本当に未知数だから楽しみだ。
「そ、それでね真人」
綾奈も抱き締め返してくれて、耳元で俺の名を呼ぶものだからゾクゾクする。決して俺が変態だからではない。
「どうしたの?」
「……い」
「い?」
「行ってきますのちゅう、したい」
「っ!」
いった! 身体がちょっとビクッとなって腰に痛みが入った。声を出さなかっただけでもすごいと思う。
というか、すごいボソッと言ったな。多分今、綾奈の顔は赤くなってるに違いない。抱きしめているため、綾奈の顔が見れない。
「もしかして、それをするために起こしに来てくれたの?」
「ほ、他にも理由はあるんだよ!? り、良子さんに頼まれたのもあったし、真人が気持ちよさそうに寝ていたから……多分寝不足になってるから起こすの申し訳ないと思ったし、でも、真人の寝顔かわいいって少しの間眺めてたし……」
すっごいテンパってるな。
綾奈は嘘がつけない性格だから、今言ったことも恐らく全部本当のことなんだろう。照れるけど、後半の理由は可愛いって思ってしまう。
俺は自分の顔の熱が冷めるのを待ってから、綾奈の顔を見た。綾奈はまだ頬が赤く、目も泳いでいて時折「あぅ」っと言っている。それを見てまたドキドキしたのは言うまでもない。
まだ帰るまで少し時間はあるけど、玄関では父さんと母さんも一緒だと思うから、キスをするならこのタイミングしかないもんな。
「じゃあ……しよっか。キス」
「っ!……うん!」
俺の一言で、綾奈の頬がさらに赤くなったが、赤いまま微笑んで頷いてくれた。
こうして俺たちは、行ってきますのキスをした。
十秒ほどで唇を離した俺たちは、まっすぐにお互いの顔を見る。
綾奈は頬が赤く、目が潤んでいた。キスした際は大体この表情になっている。
「真人と、新年初ちゅう。……えへへ♡」
「っ!……痛っ」
綾奈の反則的可愛さの笑顔と言葉に、俺は思わず首ごと目を逸らしてしまったが、それがいけなかった。
勢いよく首を動かしてしまったため、その反動が腰に来てしまった。
「大丈夫!?」
「へ、平気平気」
本当は平気ではないけど、なんとか心配させまいと振る舞う。
「帰ったらまたマッサージしてあげるね」
「ありがとう綾奈。でも、疲れてたらいいからね」
初詣、そして慣れない晴れ着で疲れることは容易に想像出来るけど、それでも綾奈は俺の為にやってくれようとしてるんだ。だから俺は、疲れてなかったらという条件付きで、綾奈にマッサージをお願いすることにした。疲れててもやるんだろうなぁ。
「気遣ってくれてありがとう。じゃあそろそろ降りる?」
「そうだね」
俺はゆっくりベッドから立ち上がり、綾奈と一緒にリビングに下りて朝食を食べた。
八時頃、綾奈は父さん母さんと一緒に、西蓮寺家へ帰っていった。
俺もゆっくりしてないで、早く準備して綾奈の家に向かおう。新年の挨拶もしたいし、何より綾奈のお父さんの弘樹さんには、指輪を渡して以降会ってないから、それについてもちゃんと言わないといけない。
「……その前に」
俺は自室に戻り、スマホを手に持ちある人へメッセージを送り始めた。
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