第224話 誰も悪くない

「ちょっとお兄…………え?」

 ドアに背を向け綾奈を抱きしめていた俺の頭と背中に衝撃が走る。

 俺はその衝撃で前に仰け反り、くつ下を履いていて、フローリングで足が滑り、バランスを崩してしまう。これは……倒れる!

 でもダメだ。このままでは綾奈を下敷きにしてしまう。

 そう思った俺は、すぐさま身体を回転させ、俺と綾奈の位置を逆転させる。これなら綾奈を下敷きにして、綾奈に怪我をさせてしまう心配はほぼ消え失せる。自分でもよくこの判断を下せたと思う。

 そのまま俺は、背中から床に倒れるかたちとなり、その際に腰を思い切り打ち付けた。

「がはっ!」

 背中と腰に鈍い痛みが走るが、それでも俺は綾奈を抱きしめたまま離さなかった。自分の身体より綾奈が大事だったから、何がなんでも綾奈だけは守り抜くという考えしかなかった。

「いつつ……綾奈、怪我ない?」

 俺は痛みで顔をしかめながら、顔を起こさない綾奈が心配になり声をかけた。

「わ、私は大丈夫。それより真人は平気なの!?」

「あぁ、背中と腰を打ち付けたけど平気だよ。綾奈に怪我がなくて本当に良かった」

 俺の声に反応し、顔を上げた綾奈は無事を知らせてくれた。聞きたかった答えが聞けたので俺は心から安堵し、綾奈の頭を優しく撫でた。

 これでもし綾奈に怪我をおわせてしまったら、綾奈のご両親に怒られるだろうし、最悪の場合、綾奈は家に強制送還になっていたかもしれない。そうなったら、今まで楽しくて幸せだった冬休みが全く別のものに変わってしまうだろう。本当、綾奈を守れてよかった。

「よ、よかったぁ……ふえぇ」

 でも、俺の心配をして少し涙目になっている綾奈を見るのは辛いので、まだ痛みは残っているが、綾奈を心配させまいと気丈に振る舞う。

「あ、あの…………お兄ちゃん、私……」

 そんな俺たちの様子をドアの傍で見ていた美奈は、自分が思い切りドアを開けたことで生じてしまったこの状況を見てオロオロとしていた。

 まぁ、無理もないよな。まさか俺たちがドアのそばにいたなんて予想できないだろうし。

「……美奈」

「は、はい……」

 俺に怒られると思っている美奈は、肩をビクッと震わせ、少し怯えながら俺の次の言葉を待っていた。

 やらかしてしまったのは自分だから、俺がどんな非難の言葉を浴びせようとも、それを甘んじて受け入れるかのように。

「悪かったな」

 だが俺は、綾奈の頭を撫でながら、美奈に謝罪の言葉を口にした。

「……へ?」

 まさか俺が謝るとは思ってもみなかったようで、美奈はさっきとはまた違った意味でオロオロしだしてしまった。

「な、なんで……!?」

「なかなか降りて来ない俺たちを呼びに来てくれたんだろ?」

「そ、そうだけど……」

「美奈に要らない手間をかけさせたんだ。だからここは謝るところだろう?」

「で、でも、私がちゃんとノックをしたらお兄ちゃん達が倒れることはなかったから……」

 それはごもっともだ。たまにノックして入ってくるとはいえ、美奈はノックしない時の方が圧倒的に多い。

「今回は俺が悪かったんだ。ノックは次からしてくれたらいいよ」

「う、うん。お兄ちゃん……ご、ごめんね」

「美奈ちゃんも真人も悪くない! 悪いのは私なの!」

 美奈を宥めれたと思ったら、今度は綾奈が自分に非があると言い出した。綾奈に悪いところなんてあったか?

「綾奈は悪くないだろ?」

「ううん。真人は早く降りようって言ってくれたのに、それなのに私は自分が真人に抱きしめてもらいたくて真人の言うことを聞かなかったから……だから悪いのは私なの!真人、美奈ちゃんも……ごめんね」

 綾奈が今にも泣きそうな顔になっている。まいったな……俺は綾奈のこういう泣き顔は見たくない。

「恋人に抱きしめてほしいって当然の欲求だよ」

 俺は出来るだけ優しい口調で、綾奈の頭を撫でながら言った。

「え?」

「俺だって部屋を出ようとする前に、綾奈を抱きしめたいって思ってたから、綾奈が抱きついてきた時は嬉しかったよ。早く降りようなんて言ったけど、本音を言えば綾奈ともっとイチャイチャしたかったから部屋を出たくなかったんだよ」

 綾奈を慰めるために言っているのが半分、そして俺の本音も半分だ。

 これだけ可愛い自分の婚約者が甘えてきているのに、それを途中で投げ出したいなんて思うわけがない。多分年越しそばがなければもっとイチャついていただろうな。

「……本当?」

 綾奈は涙目のまま聞いてくる。綾奈は泣き顔も綺麗で焦る。

「本当だよ。年越しそばがなかったら、夜中綾奈がここに来るのを待てずにいっぱいキスしてたと思う」

 俺はさっき思っていた事を笑顔で言った。

「だからこれは誰も悪くないから、二人とももう気にするな。さ、早く降りてそばを食べよう」

 俺がそう言うと、綾奈は涙を浮かべた目を手でごしごしと拭って、頬を赤く染めながら俺に微笑んでくれた。

「……ありがとう真人。その、今日は私が真人の髪をいつもより丁寧に乾かすし、い、いっぱい甘えてきていいからね!?」

 綾奈からの思ってもみなかった言葉に驚いたけど、この後がさらに楽しみになってきた。

「わかった。楽しみにしてるね」

「お兄ちゃん……本当、ごめんね」

「もういいよ。ほら、みんなで降り…………んぎ!?」

 綾奈が俺から離れたので、俺も身体を起こそうとお腹に力を入れた瞬間、腰に痛みが走った。

「ど、どうしたの真人!?」

「お、お兄ちゃん!?」

 せっかく笑顔を取り戻した二人だけど、俺の普段聞かない声を聞いた二人は再び心配の表情を浮かべ、すぐさま俺の元へ駆け寄ってきた。

 俺は、さっきの腰の痛みでようやく理解した。

「どうやら、打ちどころが悪かったみたいだ」

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