第86話 そして、初めての……
「うぇぇええええん!」
綾奈は俺の胸で声を出して泣き続けた。
俺は抱きしめながら、綾奈の頭を優しく撫でる。
「うぇ、ずっと、待ってた……真人君に、ぐすっ……呼び捨てにされるの!」
「うん。俺のせいで待たせてごめん」
「それに、この、タイミング……おかえりも、ずるいっ!」
「ずるいって……」
「だって……好きで、大好きで、愛してる人に優しく「おかえり」って出迎えてくれるの……ずっと憧れてたから……呼び捨てにされた事も嬉しすぎるのに……ずるい!」
俺は意図せず綾奈の憧れていたシチュエーションをしてしまったようだ。
確かに、本来彼女に「おかえり」って言うのは結婚した後、もしくは同棲してからになるであろうシチュエーションだ。
それを彼氏の家に来て言われたのだから綾奈が泣いてしまうのも無理はないのかな?
綾奈は顔を上げて真っ直ぐに俺の顔を見つめた。その瞳には未だにボロボロと涙が流れている。
「今日も泣かせてしまったね」
「ぐすっ……うぇぇ」
俺は人差し指で綾奈の涙を拭う。
「弘樹さんに怒られるかな?」
綾奈のお父さん、弘樹さんは俺と綾奈の交際する条件に、綾奈を泣かせない事を出してきた。二日続けて泣かせてしまっては弘樹さんからのお説教は避けられない……と、思っていたけど。
「昨日も今日も、嬉し涙だから良いのっ!」
どうやら嬉し涙はオッケーみたいだ。
「……綾奈」
「ぐすっ……ん?」
俺は優しい口調で名前を呼び、綾奈はぐずりながらそれに返した。
「俺も、愛してるよ」
「っ!……私も……愛してるっ……ぐすっ……ふぇぇええええん」
目を細め、口角を上げて愛を囁くと、綾奈も答えて俺の胸に顔を埋めてさらに涙を流した。
それから一分秒程、声を出して泣いた綾奈は再び顔を上げて俺の目を見つめてきた。少しは落ち着いたようだけど、その目にはまだ涙を浮かべていた。
俺はその潤んだ美しい瞳をドキドキしながらじっと見ていた。
綾奈は俺の腰に回していた両手をゆっくりと俺の首の後ろに持っていった。
そうして微笑むと、綾奈は手に力を込めて、突然俺の顔を自分に引き寄せた。
「んんっ……!?」
俺と綾奈の唇が重なった。
突然の事に俺は目を見開いて驚いた。
綾奈は目を閉じている。そこからまた一筋の涙が綾奈の頬を伝って落ちた。
綾奈は自身の両手に込められた力をしばらく解こうとはしなかった。
少しして、ようやく綾奈が力を抜いた事を確認すると、俺は慌てて唇を離した。
「あ……綾奈さん……んっ!?」
俺がそう言うと、綾奈は再度手に力を込めて俺にキスをしてきた。今度は十秒ほどのキスだ。
再度唇が離れて綾奈の顔を見ると、頬を膨らませてご機嫌ななめな様子だった。
「えっと……」
「……さん付けに戻ってる」
「……あ」
俺は咄嗟のことで気付かなかったが、どうやら綾奈からのキスで驚きすぎて無意識で「さん」付けで呼んでしまったようだ。
まぁ、今しがた呼び捨てで呼び始めたばかりだ。しばらくは意識して呼び方が戻らないようにしないと。
「これから気をつけるよ」
「はい!」
綾奈は俺に満面の笑みを見せてくれた。
それから俺達はリビングで飲み物をグラスについで、俺の部屋に移動した。
真人と綾奈が真人の部屋に移動してから少しして、中筋家の玄関がゆっくり開かれた。
「あわわわわ……」
入ってきたのは真人の妹、美奈だ。
美奈は綾奈が中筋家に入ってから少しして帰宅したのだが、中から綾奈の泣き声が聞こえてきて、何事かと思い恐る恐る玄関のドアを開けると、真人と綾奈がキスをしていたのだ。
「ど、どうしよう……凄いもの見ちゃった。しかもあの体勢って、お、お義姉ちゃんからしたって事だよね……?」
驚いて、あのタイミングで扉を閉めてしまうと、絶対に二人に気づかれてしまうのを恐れた美奈は、そこからのやり取りを一部始終見ることとなった。
二人が二階に上がったのを確認して、一度外から玄関を閉め、深呼吸をして家の玄関をゆっくりと開けた。
玄関に入った美奈は、扉を閉めて、その扉に背中をもたれる形で立っていて、真っ赤になった頬を両の手のひらで押さえていた。
「…………」
美奈は逡巡していた。
このまま自室に入り、兄達のイチャイチャに聞き耳を立てるか、それとも兄達を思い、外で時間を潰すかを悩んでいた。
中学二年生の女子としては、兄とあのとんでもない美少女の綾奈が部屋でどんな事をするのか気にならないわけがない。
しかし、ここで昨日綾奈に言われたことを思い出す。
『明日、私がここに来ている間は真人君の部屋には絶対に入って来ないでね?』
(あの時のお義姉ちゃん、本気だったよね)
部屋に入るなと言われていたけど、美奈自身の部屋に入るなとは言われていない。
でも、自室に入ると確実に二人の声が聞こえてきて聞いているこっちが恥ずかしくなる。
それに今朝も、綾奈の親友の千佳に「綾奈の言う通りにしてあげてよ」と、言わてしまった。
(……お兄ちゃんも、お義姉ちゃんと二人きりで過ごしたいよね)
そこまで考えると、美奈は嘆息したあと、誰に向けるでもなく笑顔を見せ、玄関を開けて、再び外に出てアーケードに向けて歩き出した。
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