第65話 帰り道、寂しさが募り……
「さて、じゃあ帰ろうか」
連日の部活で疲れているだろう二人は早く家に帰りたいはずだと思い、俺は帰宅を促した。
「綾奈、せっかくだし今日は別々に帰ろうよ」
「え?」
突如千佳さんがそんな提案をした。
一体どうしたのかと思い、俺は首を傾げる。
「ほら、せっかく健太郎と真人が来てくれたんだから、綾奈も真人と二人っきりで帰りたいでしょ?」
「う、うん。でもちぃちゃんは……」
「あたしは健太郎と少し遠回りをして帰ろうと思ってるから」
そう言うと千佳さんは俺に目配せをした。あぁ、なるほどね。
「……そういうことなら、行こう綾奈さん」
俺もそう言うと、綾奈さんに頷いてから健太郎と千佳さんを見た。
それで綾奈さんも察した様だ。
「あっ…………わかった。じゃあまた明日ねちぃちゃん。清水君もまたね」
「うん、また明日。真人、綾奈のこと頼んだよ」
「またね。西蓮寺さん、真人」
挨拶を交し、健太郎と千佳さんは手を繋いで駅とは反対方向の道へ歩き出した。
「綾奈さん、俺達も行こう」
「うん」
二人を見送ってから、俺達は駅に向かって歩き出した。
帰り道、俺は明日の合唱コンクール全国大会の事が気になっていたので綾奈さんに聞いた。
「明日の全国大会って、何時に集合なの?」
「明日は午前七時に学校に集合で、そこから会場にバスで向かうことになってるよ」
大会は東京で開催されるようで、俺達の住んでる県から東京まで車で数時間の距離だ。
高崎高校の歌唱は後半以降なので、時間的には余裕がある。七時に出ればお昼前には会場に到着する予定らしい。
「東京かぁ、いいな……」
俺は生まれてこの方東京には行ったことがない。
修学旅行も小学校は広島、中学校は京都だったので一度は行ってみたいと思っている。
「ふふっ。真人君はやっぱり秋葉原に行ってみたい?」
「当然!」
東京に行く事があったら、真っ先に訪れてみたいところはやっぱり秋葉原だ。
オタクの聖地と呼ばれ、アニメショッブが立ち並ぶ街。アニメショッブ巡りもしたいし、本場のメイドカフェにも足を運んでみたい。
「私達がこっちに帰ってくるのが明後日の夕方くらいで、実は明後日の午前中は少しだけだけど自由行動があるんだけど、もし行けたら秋葉原に行ってお土産買ってくるね」
「ありがとう。じゃあ明日は大会が終わったら東京で一泊するんだね?」
「うん。日帰りだと帰ってくる頃には夜遅くになるからって学校側の判断で一泊することになってるの」
確かに夜中にこっちに戻ってきて学校から家に帰るのは少々危ないもんな。特に女子部員が多い合唱部は帰宅途中に変な輩に出くわさないとも限らない。
もし綾奈さんがそんな輩に絡まれたらと思うと全身に悪寒が走った。
「それに自由行動は、ここまで部活を頑張ってきた私達にってお姉ちゃんが言ってくれたんだ」
「麻里奈さんなりのご褒美なんだね」
「うん」
麻里奈さんの指導は全国大会が近付くにつれ厳しさを増していって、みんな終わる頃には声を出しすぎてヘトヘトになっていると綾奈さんが電話で言っていたっけ。
確かに、ここ数日は綾奈さんの声もほんの少しだけだが枯れていた。
中学時代も大会が近くなると、中々にハードな練習が続いたけど、それでも綾奈さんの声が枯れることはなかった。当時は全然話さなかったけど、綾奈さんが練習後に千佳さんや他の友達とお喋りをしているのを見て聞いていたから知っていた。
そんな綾奈さんの声が少しとはいえ枯れる程の練習量を想像すると、苦笑いしか出てこなかった。
麻里奈さん、練習の時は本当に厳しいな。将来麻里奈さんが義理の姉になったら本当に怒らせないようにしないと。
昼休みと同じ、将来に向けての決意をしていると、ふいに俺の胸に寂しいという感情が去来した。
綾奈さんがこっちに戻ってくるのは明後日の夕方頃。
ということは、一日以上こっちにはいない事になる。
最近一緒に登校しているから綾奈さんとは平日ほぼ毎日顔を合わせていた。
千佳さんも一緒で、登校中たまに幸ばあちゃんに会って挨拶もして、綾奈さん達と登校している時は「私のことは気にしないで行ってきなさい」と幸ばあちゃんが言ってくれた。綾奈さんと一緒にいる時間は増えていた。
土日は会わない日が多いけど、それでも会おうと思えばすぐに会いに行ける距離にいるからそこまで寂しいと感じることはなかった。
でも明日から綾奈さんは東京に行ってしまう。
会いたいと思っても会いに行ける距離にいない。
大袈裟だとわかっているけど、綾奈さんと付き合って初めてお互い遠くの地で過ごす週末を考えると無性に寂しさが込み上げてきた。
俺は綾奈さんの手を握っている手に少しだけ力を込める。
それに気づいた綾奈さんが俺の方を見てきた。
「どうしたの?」
綾奈さんが優しい声音で聞いてくる。
「ちょっとね。……笑わない?」
多分このことを言っても綾奈さんは笑うどころか優しく受け止めてくれると思う。けど、ちょっとした気恥しさから、そんな前置きをしてしまう。
「笑わないよ。だから真人君の思ってることを聞かせてほしいな」
「……綾奈さん、帰ってくるの明後日の夕方なんだよね?」
「うん。そうだよ」
「…………」
俺がそこから言葉を紡げずにいると、綾奈さんは優しい表情でじっと俺の顔を見て俺の言葉を待っている。
「その……付き合って初めて遠く離れて過ごすから、……さ、寂しいなって」
「っ!」
綾奈さんの頬が一気に真っ赤になる。
瞳は大きく見開いていて、若干潤んでいるように見えた。
次の瞬間、綾奈さんは俺の手を離し、俺を正面から抱きしめた。
「あ、綾奈さんっ!?」
「私も、凄く寂しい」
俺の背中に回してある綾奈さんの手に力が入る。
綾奈さんの言葉を聞いた俺は綾奈さんを抱きしめ返す。
辺りは既に暗く、人の気配もない。
等間隔で並ぶ街灯。その一つだけが俺達を照らしていた。
「うん」
「真人君と会えない距離で過ごす事がこんなに辛いと感じるなんて思ってもみなかった」
「俺も同じ気持ちだよ」
「嬉しい。真人君が私と同じ気持ちでいてくれてるのが、不謹慎かもだけど、凄く嬉しい」
「うん」
綾奈さんの言葉に、俺はただ静かに頷く。
「しばらくこのままでいていい?」
「もちろん」
俺は綾奈さんを抱きしめながら綾奈さんの頭を優しく撫でる。
「真人君……好き。大好き」
「俺も、大好きだよ」
お互いに愛を囁きながら、俺達はしばらく抱きしめあった。
この時俺の中で、ある衝動が生まれた。
綾奈さんとキスがしたい。
前回キスしそうになったのは付き合い始めた翌日、綾奈さんが「真人君がしたいなら、いいよ」と言ってくれて綾奈さんの家の前でキスしそうになったんだけど、その時綾奈さんの身体は震えていた。その事からキス出来ずにいた。
ファーストキスが彼女の家の前でしそうになったというのはどうなんだろう?
ちなみに今は綾奈さんの家の前ではない。近くではあるが、まだ綾奈さんの自宅は見えない。
それ以降は特にそういう雰囲気にはならず、綾奈さんとはハグをするまでの関係だった。
まぁ、今日までキスをしたいという感情が少しも出なかったと言われれば嘘になってしまうのだが。
綾奈さんはどう思ってるんだろうか……やっぱりまだ怖いと思っているのかな?
「……綾奈さん」
頭ではそんなことを考えているのに、口が勝手に愛しくてたまらない彼女の名前を呼んだ。
「……ん?」
俺の腕の中にすっぽり収まって顔を俺の胸に埋めていた綾奈さんが、何とも可愛らしい声を出して俺の顔を覗き込む。
その表情はとろんとしていて、強く抱きしめられながら優しく頭を撫でられている事に幸せを感じているように思えた。
俺は綾奈さんの頭を撫でていた手をゆっくりと綾奈さんの頬に当てる。
「ぁ……」
突然の事に、綾奈さんの口から驚きの声がかすかに漏れる。
綾奈さんの柔らかくキメ細やかな頬から熱が伝わってくる。
最高の手触りと心地良い熱でずっと触っていたくなる。
俺は顔を綾奈さんに少し近づける。
「っ!」
すると、綾奈さんは俺がしようとしていることがわかったのか、再び俺の胸に顔を埋めてしまった。
やってしまった。今はまだそのタイミングではなかった。
「ご、ごめん綾奈さん。綾奈さんとキスがしたいって感情が高まってつい……」
「わ、私こそ!やっぱりまだ怖いっていうか……心の準備が出来てなかったというか」
「いや、悪いのは俺だよ。綾奈さんがキスしたいって思うまでずっと待つって言ったのに、二週間もしないうちにこんな行動に出てしまって……最低だよね」
「そんなことない!真人君は最高の恋人だよ。真人君が私とキスしたいって思ってくれているのは、それだけ私のことを愛してくれているって思うから凄く嬉しいよ。でも、もう少しだけ時間がほしいの。勝手なのはわかってるんだけど、後少しだけ……」
「わかった。そもそもずっと待つって言ったからね。綾奈さんの心が俺から離れない限り待つよ」
「私の心はあなたの傍にずっと居るよ」
「ありがとう」
そうして俺達はまたしばらく抱きしめあった。
お互いを解放した俺達は再び歩き出し、綾奈さんの家の前に到着した。
「じゃあ綾奈さん、明日、頑張ってね」
名残惜しいが綾奈さんの手を離し、自宅に向けて歩き出した直後、背後から綾奈さんの声がした。
「真人君!」
突然綾奈さんが俺の名前を叫んだ。
咄嗟の大声にびっくりしながらも、俺は綾奈さんの方を向いた。
すると綾奈さんは凄く悲しそうな顔をしていた。眉は下がり、瞳も潤んでいる。
これだけ別れを惜しまれるのは好かれている何よりの証拠なので、不謹慎だけど、綾奈さんのその顔を見て嬉しくなり温かいものが込み上げてきた。
「どうしたの?」
俺は出来る限り笑顔で、優しい口調で綾奈さんの次の句を促した。
「明後日帰ってきたら……真っ先に真人君に会いたい」
「っ!」
実は俺も同じことを考えていたので、綾奈さんの言葉には驚いた。
だから、綾奈さんのお願いに対しての返答は一つしかなかった。
「もちろん良いよ」
俺は二つ返事で綾奈さんのお願いを聞き入れた。
綾奈さんの表情は少し明るくなったけど、まだ完全に雲が晴れたわけではなかった。
「……明日も電話していい?」
「当たり前だよ」
「……その、全然関係ない話になるんだけど、これだけ真人君に甘えて色々お願い聞いてもらって……私って重い、かな?」
綾奈さん、そんなことを気にしていたのか。
俺達が付き合い出して綾奈さんは俺と一緒に居る時は、ほぼ常に手を握ったり腕に抱きついたりしてべったりだし、離れたくないからと言って少しでも長く俺を引き留めようとしてくるし、今みたいなお願いをしてくる事がよくある。
だけど俺は、そんな綾奈さんを重いだなんて思ったことは一度もない。
「重いだなんて思ってないよ。綾奈さんの言動を重いかどうか判断は人それぞれだと思うけど、それだけ綾奈さんが俺のことを愛してくれているって自覚できるから寧ろ凄く嬉しいんだ」
「……本当?」
「ホントホント。それに綾奈さんのお願いはまだ可愛い方だと思うよ。「私以外の女の人と喋らないで」とか、「私以外の女子の連絡先は全部消して」とか、「私が眠るまで毎日電話したい」とかって言われたら流石に重いと思うかもだけどね」
なにかの番組で「重い女の言動」みたいな特集を数年前に見たことがあって、流石にそれは重いやろなんて感じたことを思い出していた。
だから綾奈さんのお願いはまだまだ可愛い方だ。
そう言うと、綾奈さんの顔に笑顔が戻った。
「……ありがとう真人君。なるべく早く帰ってくるからね」
「わかった。怪我とかしないようにね」
まるで出張に行く前日の奥さんと、それを見送ろうとしている旦那みたいな共働きの新婚夫婦的なやり取りをしながら綾奈さんの頭を撫でて、俺は改めて自宅に向けて歩き出した。
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