第53話 「キス、したい?」

 駅を出た俺たちは、手を繋ぎながら綾奈さんの自宅に向けて歩いていた。

 辺りは真っ暗で街灯だけが頼りだ。

 綾奈さんは代休が開けると、合唱コンクール全国大会に向けての練習が再開されて遅くまで学校に残るはずだ。

 千佳さんが一緒にいると思うけど、自分の彼女がこんな真っ暗な道を帰るとなると心配になってくる。

「綾奈さんは休み開けたら合唱部の練習だけど、何時まで練習するの?」

 俺は心配で思ったことを綾奈さんに聞いた。

「多分いつも通り十八時か、もしかしたらもう少し遅くなるかも」

「陽も落ちるの早くなってるけど、帰りは大丈夫?」

「うん。ちぃちゃんと一緒だから大丈夫だよ」

「……うん」

「心配してくれてありがとう」

 綾奈さんがお礼を言ってくる。どうやら俺が思っていることはお見通しだったようだ。

「……会えない日は、電話していい?真人君の声、聞きたいから」

「もちろん。俺も綾奈さんに会えないの寂しいし、むしろ毎日でも大歓迎だよ」

「……えへへ、ありがとう」

 綾奈さんがそんな可愛らしいお願いをしてきたので、俺は即答二つ返事で了承した。

 ここで俺はふと思いついたお願いを綾奈さんに言った。

「綾奈さん」

「なぁに?真人君」

「その、綾奈さんさえよかったら、一緒に登校しない?」

「え?」

 綾奈さんはきょとんとした顔をしている。そんな顔も可愛いと思いながら俺は続けて口にした。

「綾奈さんと会えない日が続くのは嫌だから……綾奈さんと千佳さんさえよければだけど、どうかな?」

 すると綾奈さんの表情はみるみる明るくなり、まるで大輪の花が咲いた花のような笑顔になる。

「嬉しい。私はもちろんいいし、ちぃちゃんもきっといいって言ってくれるよ」

 そう言って綾奈さんは俺の腕に抱きついてきた。昨日から何度も抱きつかれたり抱きしめたりしてるけど、綾奈さんに抱きつかれる度に心臓が大きく跳ねる。多分このドキドキはずっと続いていくだろうな。

「じゃあ、いつものT地路で待ち合わせでいいかな?」

「うん。ちぃちゃんにはこの後私から言っておくね」

 そんな話をしていると綾奈さんの自宅に到着した。

「着いちゃったね」

「……うん」

 綾奈さんは残念がっているのか、昨日と同じで、自分の家に着いたのに俺から離れようとしない。

 それに、何か言おうとしているのか、俺の顔を見ては俯いてを繰り返している。

 やがて綾奈さんは意を決したように口を開いた。

「ま、真人君!」

「は、はい」

 突然大きな声で名前を呼ばれたので、ビックリしてつい敬語で答えてしまう。

「真人君は、その……わ、私とキス、したい?」

「……へ?」

 突然そんな事を聞かれて、俺は素っ頓狂な声を出してしまう。

 一体綾奈さんは何故そんな事を聞いてきたのだろうと考えると、さっきの電車でのことを思い出す。

 多分綾奈さんもその時の事を意識してしまって聞いてきたんだろうな。

「え、えっと……どうしたのいきなり」

 どう答えていいかわからず、つい聞き返してしまった。

「その、電車内で真人君、私の唇見てたから、し、したいのかなって……」

 お互いの顔が至近距離まで近づいた時、確かに綾奈さんの唇を見たし、キスの事を考えたけど、綾奈さんも同じことを考えていたのか?

「…………」

 俺はまたしても質問の返答がわからず、今度は沈黙してしまう。

 しばらくの沈黙の後、綾奈さんが口を開いた。

「……真人君がしたいなら、いいよ」

「っ!」

 そう言うと綾奈さんは目を閉じ、顎を上げた。

 ちょっと待ってくれ。確かに俺はあの時綾奈さんの唇を見てキスしたいと思った。

 その後、綾奈さんも俺の唇を見てから恥ずかしくなったのか俺の胸へ頭を押し当ててきたけど、綾奈さんも俺と同じなのか?

 確かに俺は綾奈さんが大好きだし、綾奈さんも俺が大好きだと言ってくれた。

 そして俺達は付き合いだした。ただそれはつい昨日の事だ。

 昨日の今日でもうキスをするのか?

 漫画やラノベの世界では付き合った初日にキスやそれ以上の行為に及ぶなんてこともあるし、多分現実でもそんなカップルはいたりするのだろう。

 なら俺達はどうなんだろうと考える。

 何度も言うが、俺は綾奈さんのことが大好きだ。綾奈さんも俺に想いを伝えてくれて、綾奈さんの親友の千佳さんも、綾奈さんは俺が思っているより数倍俺のことが好きと言っていた。

 互いに凄く好き合っている同士のカップルだ。

 なら交際二日目にしてキスをするのも良いのかもしれない。

 そう考え、綾奈さんを見ると、緊張してるからか、多少顔が強ばっているけど、いぜんとして綾奈さんは俺からのキスを待っている状態だ。

 そんな状態で待たせてしまうと申し訳ないと思い、俺は綾奈さんの両肩に自分の手を置く。

「……!」

 俺が肩に手を置くと、綾奈さんはビクッと肩を揺らした。

 それは電車内で俺が綾奈さんの頭に手を置いた時以上の揺れに思えた。

 綾奈さんを改めて見ると、最初は自然に閉じていた瞼が、今はギュッと思いっきり閉じられていて、両手は拳を作って思いっきり握られていて、肩が震えているのを俺の両手が感じた。

 俺は小さく息を吐き、綾奈さんに聞いた。

「綾奈さん。綾奈さんは本当に俺と今ここでキスしたいって思ってる?」

「え!?」

 綾奈さんは俺がこのままキスをすると思っていたのか、目を見開き驚きの声を上げた。

「電車内の件で、俺が綾奈さんとキスをしたいと思ったから、綾奈さんはそうしたんじゃないの?」

「う、うん。真人君が私とキスしたいと思ってくれたなら、いいかなって」

 やっぱり、そういうことか。

「確かに綾奈さんとキスしたくないって言えば嘘になるよ。でも、綾奈さんが怖いと思ってるのに、それでも無理にしたいとは思わない」

「わ、私は別に怖がってなんか……」

「でも綾奈さん、震えてる」

「え?…………あ」

 綾奈さんは自分の身体を見て震えていることを自覚した。

 多分キスされることで頭がいっぱいになっていて、自分がどういう状態かわからなかったんだろう。

「その……ごめんなさい」

「謝ることなんて何もないよ」

 そう言って俺は綾奈さんを優しく抱きしめた。

「ゆっくり俺達のペースで進んでいこうよ。綾奈さんがキスしたいって思うまで、ずっと待つからさ」

 俺は綾奈さんの頭を撫でる。

「うん。ありがとう真人君」

 綾奈さんはそう言うと同時に、俺の背中へと両手を伸ばした。

「私、真人君に撫でられるの好き」

「そうなの?」

「うん。真人君に大切にされてるって思うし、それに……」

「それに?」

「……真人君の大きな手で優しく撫でられるの、すごく気持ちいい」

「っ!」

 綾奈さんの発言に俺はクラっとしてしまう。

 綾奈さんは別に変なことは言ってないんだけど、何とは言わないが、俺がそう言う意味で捉えてしまって変な気分になってしまった。

 これ以上綾奈さんに劣情を抱いてまた怖がらせない為に、俺は必死に心を落ち着かせる。

「俺も、綾奈さんの頭を撫でるの好きだよ。その……もう少し、撫でても良い?」

 綾奈さんにそうたずねると、綾奈さんは無言で首を縦に振った。

 それから一分くらい抱き合った状態で綾奈さんの頭を優しく撫で続けた。


 ガチャ。


 西蓮寺家の玄関が開いた音がした。

「じゃあまたね母さん…………あら?」

 西蓮寺家から出てきたのは、綾奈さんのお姉さんで高崎高校音楽教師にして合唱部顧問、松木麻里奈先生だった。松木先生は驚いた表情で俺達を見ている。

「「あっ」」

 俺と綾奈さんは抱きしめあったまま、松木先生を見て二人揃って声を上げた。

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