第3話
「ただいま」
「おかえりなさい、夕飯出来てるわよ」
「先風呂入っちゃうわ」
母は女手一つで俺と姉さんを育ててくれた。偉大だ。大学卒業後県庁に就職し女性にしては稼ぎが多くキャリアウーマンってやつだ。俺が物心つく前に離婚していて、幼稚園にいるときは世間の父親はみんな家に帰ってこないもんだと思っていたが小学生になってどうやらうちは離婚しているということに気づいた。俺的には父親がいないことがコンプレックスだ。父親という単語を聞くだけで頭が真っ白になる。父親の記憶なんてないから何かされたとかそういうことでもないのになぜか何も考えられなくなる。急に冷水を全身にかけられたような感覚だ。ああいやだ。
「洗濯物ちゃんと出しときなさいよー」
「はーい」
母を尊敬している。愛情も感じる。しかし俺には父親からの愛情がない。その分人よりも不完全な気がしてならない。父親は家でどんなことをするのだろうが。どんな顔で、どんな声で、どんな愛情をくれるのだろうか。俺にはわからない。俺はわかりたくもない。俺らを捨てて出て行ったやつの愛なんか必要ない。そんな奴この世に存在していると思うだけで寒気がする。俺にもそいつの血が流れてると思うだけで気持ち悪くなる。母はなぜそんな奴のことを好きになって結婚したのか不思議でならない。
「ピチャ……」
湯船につかりながら考える。なぜ世の中には離婚する夫婦がいるのだろうか。子供がいるのに離婚するなんて勝手だ。最後まで愛せない。それなのに子供を作って出ていくなんて気持ち悪い。もちろん家庭内暴力だったり、望まない妊娠だったりはある。それ以外のいわゆる普通の夫婦が離婚をするのが許せない。子供のことを何も考えていないのだろう。自分たちが愛せないから、嫌いになったからという理由だけで子供に苦痛を強いてることに大人は気づいてすらいないのだ。母のことは好きだがこういうことを話そうとせずに察しろみたいな雰囲気を子供の俺たちに押し付けてくるそんなところがあるからなんだか信じきれない。不信感が募って母には何も相談できない。まあ誰も信頼できてないからだれにも相談なんてできないが。
風呂から上がってリビングに行くと母がテレビを見ている。
「そのドラマ録画してるんじゃないの?」
「そうだけど気になっちゃうから見ちゃうんだよね」
「意味わかんね」
「ごはんさっさと食べて寝なさいよぉ」
そう言っていつも通りのくだらない会話をしながらご飯を食べた。階段を上がって自分の部屋に向かう。いつもだったら。啓介にあんなこと言われなければ見向きもしなかった。いや避けていたはずだった。たまたま見てしまった。リビングの隣にある部屋の扉が開いていたことも誤算だった。グランドピアノが輝いている。あの時のまま、あでやかに黒く見る人を魅了する黒入りのピアノ。俺はこいつに魅せられてピアノをやっていた。あれほど魅了されていたことは今後もないのではないかとすら思う。
「マナミー!忘れてた、来週私出張あるから二日くらい家空けるから」
「わかったー」
危ない母さんが言わなかったらまた吸い込まれていた。俺はもう弾けない。理不尽に取り上げられるこの世界への恨みは消えない。
「ピロン」
啓介からのメッセージだ。
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