Peace

東杜寺 鍄彁

或る文豪

 いま私は大罪を犯そうとしている。ばねやネジ、鉄版や非常に短いパイプを組み合わせている。カチャカチャとガチャガチャと、大きいが静けさを感じる音を立てながら。

 徐々にその大罪は、大罪の偶像は姿をあらわにする。短く、まっすぐ伸びたスライド、私の手には不釣り合いなほど大きいグリップ、私の手が不器用で、震える故にいびつな半円形の扱いにくい引き金、既に弾薬の込められた弾倉、そして私にとって裁判長の打ち鳴らす槌のようにも思える撃鉄が、少しずつくみ上げられていく。

 偶像は、私の左手には大きすぎる拳銃は今、組み上げが終わり目の前に姿を現した。

 私は一度拳銃を両手で持ち上げ、じっくりと細部まで眺めたあと、薬瓶と本、原稿用紙が乱雑に積み上げられた小さな文机にそれを置いた。

 嗚呼、私はこれから死ぬのだな。そんなことを他人事のように、頭の片隅で考えながら紺色の下地に、金色の鳥が描かれたPeaceの箱から煙草を一本取り出し、マッチで火をつけた。

 目の前でゆらゆらと四畳間の天井へと昇っていく紫煙を眺めながら、落ちぶれた日々を、地面へと落ちて行った日々を回想した。

 昔は、以前は大空を、何処かを目指す鳥だった。遥か上へ、遥か空へ、遥か向こうのまだ見ぬ土地へと____。

 時に無茶だと、時に理想に囚われた哀れな者と言われる盲目の鳥だった。自分の大きさも、羽色も見えない、知らない、見知らぬ大空へと不確実な羽を広げる鳥だった。

 400字の原稿用紙に、金に輝くペン先でブラックブルーのインクを落とし、居もしない人の一生や奇譚、思想を綴った。書いては直し、書いては読み、書いては送り、そして公募に出版社に出しては落選を続けた。自費出版をすれば赤字、即売会で売り  出せば他のブースがにぎわう中、私のブースは閑古鳥が鳴く始末だった。

最初こそはこれも仕方がないと、書き続けるしかないと虚勢を張り続けた。時にはアマチュアの文壇の酒の席に顔を出した。飲んで語り合う内に意気投合し、売れない者同士頑張ろうと鼓舞もしあった。売れない現実に抗おうとした。 

 現実とは非情なものである。いや、現実とは単にどこまでも現実的なのか――――。

 アマチュアでも売れる者は出る。当たり前の話だ。それ自体はよくあることでそして、同じ文壇に身を置く者としては祝いたいモノだ。

 私と飲みあった友も、語りあった友も売れる者はいた。そしてそう言う者は大抵名が知れ渡り、あっという間に世間から絶賛されアマチュアからプロの世界へと行くのだ。

 私はそれを大いに祝った。泣きながら抱擁しあったことさえある。しかし、その熱い祝いを、熱い感情を過ぎた先にあるのは未だ売れぬという焦燥感と、寂寞とした感情であった。

 私はいつしか、友を祝えなくなっていった。

 文壇には他にも私と同じように売れない者がいる。そういう人種のほうが多い世界だ。

 そしてそういう人種にも多種多様な者がいる。例えば、筆を折り文とは関係のない分野で働くもの、または文を書くことには変わりないが、他の路線へと転向するもの、本当に様々だ。私はその売れない者の中でも悪手を打った人間だった。いつまでも、文学に囚われ書き続けてしまった。今思えば、何処かで見切りをつけるべきであった。無駄な後悔であるが――――。

 私は盲目であったが、自分の姿形すらわからなかったが、必死に飛び続けた。何処かへと行こうとしたのだ、だが何回も、雹に打たれ積乱雲に飲まれ、北風に吹かれるうちに、飛ぶ力を失い、墜落していった。ここでやっと私は、目に光が差し込むように、景色を、羽色を見ることが出来るようになった。

 私は愚かな、醜い鼠色をした鳥だった。羽は雉のそれのように小さく、飛ぶにしても、あまりにも滑稽なものだった。急転直下で墜落していく姿は、Peaceの鳥のようだった。

 地面に落ち切った今では、もう身動きを取ることも出来ない。日々の営みが非常に億劫になってしまった。

 ふと、煙草が短くなっていることに気づき、シケモクだらけになっている灰皿に、押し付ける。小さく公園の砂を蹴った時のような音を立てると、紫煙は目の前で朝霧のように消えて行った。

 死刑囚は死刑を執行される最期のとき、特別に煙草や菓子類を許されるらしい。ふと、私の今の状況と重なるような気がした。

 文机の上に置いた拳銃をもう一度持ち上げる。グリップには刻印なんてないし、シリアルナンバーもない。照準も付いていなければセーフティーもない。非常に不格好で、恐らく他人を撃つのには到底使えない粗悪な拳銃だ。

 しかし何処か、私にとってこれはとても愛らしく、皮肉にも、今まで書いてきたいかなる文章よりも出来が良いように思えるのだ。


 二発の弾が入った弾倉をグリップの空洞へと入れる。

私は大罪を犯す直前に立った。

スライドを引く。

大罪は今犯される。

撃鉄が、槌が、後ろへと下がりこれからやることへの判決を下さんとする。

さあ犯される。

頭に銃口を突き付ける。

大罪人だ。

歪な引き金を引く――――。


 私は、大罪人となった。雷撃のような音と共に、弾丸は放たれた。弾丸は私の頭を、脳みそを一直線に貫き甘き死を与えた。しかし、同時に雷管を叩いた槌は私の自殺という罪を確定させた。

 意識が途絶えようとする中、私はあの世でも責め苦に会うのかと不安になった。自責の念に駆られた。だが、最期に全てが終わるほんの刹那に私は安心した。

花畑も川も存在しない。死後など存在しない。あるのはただただ広く、黒く、そして盲目の鳥だった私が、目に光を受ける前の光景とそっくりな、深い深い暗闇だった。


よく眠れそうだ――――。



 彼の死の一報が届いたのは、某出版社の編集部と新作について話あっていた、あのうだるように暑い、人を殺せるほどの、6月の初夏の事だった。

 彼が自殺したと聞いた瞬間の驚愕と喪失感は凄まじいものだった。会議のことなど、どうでもよくなってしまう程に。

 彼は、私を何回も招いてくれたあの狭い四畳間のアパートで、手製の拳銃で頭に一発、弾丸を撃ち込んで死んだ。アパートの隣人が銃声に気づき、彼の部屋を覗いたところ、彼は文机に拳銃を持ったまま、倒れこむように死んでいた。

 その後の事は、まるで映画でも、小説でも読んでいるかのような光景が世間で繰り広げられた。

「手製の銃で自殺した男」という字面は世間に大きな衝撃をもたらした。銃はどのように作ったのか、弾薬はどこで手に入れたのか、なぜそのような行為に至ったのか。

 世間はこの変死、怪事件に対し多大な関心を寄せ、新たな情報を求めそして情報を広げあった。

 その中には彼の書いた作品もあった。皮肉なことに、生前ほとんど誰の目にも止まらなかった、一部の物好きしか読まなかった、私のような文壇の仲間しか評価してこなかった彼の作品は、彼の死、彼の悲惨で特徴的な死によって大衆の前に現れたのだ。

 彼の陰鬱としているが、どこか開き直りのような、爽快感のある文は、彼の最期と相まって読む人すべての心をつかんだ。多くの評論家達が彼の作品を「傑作だ」「現代に現れた大文豪の作品」と褒めたたえ、彼の死を「天才の無念な死」「何故死んだ」と嘆いた。

 出版社もこぞって彼が過去に自費出版したものや、原稿を集め、彼の作品を世へと送り出し、何万部も売り捌いた。


 世の中の人々は彼の無念は報われたと、彼はやっと評価されたと口々に言う。評論家や大作家たちも、彼のことを話題にしては褒めたたえる。

 

 彼は確かに才能ある男だった。書く文は傑作だった。作品はやっと日の目を見た。しかし、この彼の死の後に起こった一種の狂葬曲に、私は何とも言えない薄気味悪さと、やりきれなさを感じるのだった。

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