陰口

 入学式から時は経ち、新緑の季節へと移り変わる。


 潮海南の周りをうろちょろしていた女子たちは、もうすっかり姿を消した。寄ってきた理由は、海南が中学時代テニス部のエースで目立っていたから。新しい学校で、女子フットサル部やらソフトボール部員やらに興味が移っていったのは幸いだった。


 しかし静かになる筈の学園生活も、表面上のものでしかなかった。


「うっしーさ、最近一年の間で噂になってるよ」

 中学校からの友達が、人目を避けながら忠告に来てくれたのだ。詳しい内容はわからないけど、と足早に去って行く友達。できれば仲の良い友人はなくしたくない。


 噂になっているとして、思い当たる原因といえば、やはり女子グループと一緒に出かけて、勝手に帰ってきてしまった事だ。さざ波さんと一緒に出かけられるとぬか喜びしたのだが、連れてこられたのはもう一人の佐々木さんの方で、途中から予想外の事態に巻き込まれて仕方なく帰ってきた。


 陰口を叩かれるなら仕方ないと、諦めることも出来た。

 だけど、どうしても離したくない存在、それはさざ波さん。この所さざ波さんは噂話に過敏になり、気を病んでいた。教室で話していれば、さざ波さんに陰口の矛先が向きかねないと思い、仲良くするのは昼食の時間、人目に付かない場所を選んだ。


 だけど

「小畑さんってさ、アレぼっち飯なの?」

「いっつも買ってきたのり弁か、ぐちゃぐちゃの自作弁当だよね」

 と、有る事無い事を噂されるのだった。


 そんな中、さざ波さんはついに気持ちの限界が来て、学校に来なくなってしまった。

 海南はさざ波さんの連絡先も知らないし、どこに住んでいるかも知らない。たださざ波さんの心が癒えて、再び登校できるのを待つ他なかった。


 なのにさざ波さんが不登校になった事は、ほんの噂にも上らなかった。

 何故ならクラスでもう一人、同じく不登校になった生徒がいたからだ。その女子は中学時代にイジメに遭っていたらしく、これをきっかけに皆の負の感情が再燃してしまったらしい。しかも女子三人組の一人で、もうひとりの佐々木さんを紹介してきた子だった。


「あの子さ、中学ん時はオタク丸出し、っていうか陰キャだったじゃん」

「そうそう、高校デビューとか無理ありすぎ」

「ブスの癖して、ネットで男漁ってたんだって」

「家出して、男の部屋にでも転がり込んでるんじゃない」


 イジメは酷いと思うが、海南は自分が巻き込まれるのは避けたくて、この一連の出来事に関わらない事にした。何かの圧力があって関わったとしても、自分には得がないと言い聞かせた。

 何故ならあのカラオケ事件以来、あの女子だけはしつこくさざ波さんのこと訊いてきたり、出席名簿を眺めて何か考えたりしていたからだ。あのままだと、さざ波さんに纏わりつくようになり、何か攻撃してくるかもしれないと不安になっていた。

 だけど、あの子がもし悩みか何か抱えていて、相談相手を探していたのなら、なぜ優しく出来なかったのだろう。


 悩んだ時は風に当たると心が安らぐ。この季節の海風は心地よく、見晴らしの良い屋上の使用は、暗黙のルールで三年生が週三回、二年生は二回、一年生は一回と決まっていた。今日は水曜日で一年生が屋上を使う番。こんな時にはやっぱりさざ波さんと一緒がいい。


 さざ波さんのいない毎日。それに家出少女のことも気になる。真剣に悩むほど学校で過ごす時間は窮屈になっていった。女子たちの陰口はエスカレートして行き、それが誰に向けられたものでも決していい気はしなくて、海南の心は次第に蝕まれていった。



 梅雨も中頃に差し掛かったある日、海南が蒸し暑さに目を覚ますと、辺りは草木が生い茂る森だった。やっと覗くことができた景色から察するに、そこは自宅裏の山中。幸い道はわかっていたためすぐに下山できた。だけど、何でこんなところにいたんだろう。


 やはり疲れているのか、頭がおかしくなってしまったのか。とうとう海南はスクールカウンセラーに相談する決心をする。優しそうなおじさんのカウンセラーは、亡くなった父を思い出させた。だから初回にも関わらず、ある程度素直に話すことができた。


「それで、お友達とは上手くいってないんだね」

「はい、こっちが嫌ってるんじゃなくて、向こうから避けられてる感じで」


 結局、何回かカウンセリングを受けた後、ストレスから来る適応障害ではないかとアドバイスされる。山中に居たのも、夢遊病の一種ではないか、と。


「夢遊病の症状がなくなるまでは、ガスの元栓をしっかり管理してくださいね。意識せずに使用して失火につながるケースも多いから」


 海南は

「うちはお母さんがしっかりしてるから大丈夫だと思います」と返したけれど、それでも一応、と念を押されてしまう。自分がしっかりしないと駄目なこともあるんだ、と海南は今の状態から抜け出す決意をするのだった。


 梅雨明けの知らせが舞い込んできた、そんな朝。さざ波さんが帰ってきた。

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