空飛ぶ鎧は荒野に散る

ほひほひ人形

空飛ぶ鎧は荒野に散る

――人が、初めて空を飛んでから百年が経過した時、世界には進んだ『魔術』と遅れた『科学』が同居していた。この話は、そんな世界での話。


月が雲に隠れた夜の荒野で、音がしていた。

それは、二本の大剣が幾度となく衝突する戦いの音。常に止まない風の音に混じって、鐘を打つような澄んだ音が夜の闇に響いていた。


その音源は、空中。

そこにあるのは、二体の『鎧』。


太陽のもとで紅色に輝いていた一方と、夜の闇に溶け込むような黒色のもう一方。シルエットは人間に近いが、全長が十メートルを優に超えるその鎧に浮かぶのは、魔術的な紋様。

光で描かれたそれが明滅を繰り返し、鎧は重力を無視した動きで天を舞う。


――音が響く。


そしていつしか雲は切れ、一条の月光が差し、荒野に横たわる鎧の残骸が露わになる。

たった一体の例外すらなく砕け、壊れ、破壊されたそれらの内側には……死んだ人間が入っていた。


それは――誰が見ても地獄絵図。


その上空で、音が途切れた。

空中に、左腕をだらりと下げた『くろ』と、大きな両刃剣を振り上げた『あか』。

そして、鈍い金属音と、少し遅れて何かが荒野に落ちる音。

紋様の消えた黒の鎧の右腕が、紅の鎧の両刃剣に斬り落とされていた。


落ちたその腕には無骨な片刃の剣が握られていたが、その意味もすでになく、紅色の鎧は真後ろに後退する黒の鎧に一瞬で追いつき、もう一度剣を上段に構える。


紅色の鎧がその剣を振り下し、紅色の鎧の勝利でこの闘いは決着する。


――筈だった。


「……!?」


鎧の中身が、声を上げる。

爆音とともに雷に撃たれた紅色の鎧の背は白煙を上げ、剣を地面に落としてなおも急激に高度を下げ、墜落する。その残響が止むころ、残された黒の鎧のもとには色違いの鎧が数体駆け付け、気づけば勝敗は逆転していた。


● ● ● ●



――世界は、法則の奴隷である。


その本の冒頭には、そう書かれていた。活版印刷の普及したこの世界では珍しく、手描きのその本は、魔術書。

この世界では当たり前となった、『魔学まがく』の本である。そして冒頭の書き出しの続きには、こう綴られていた。


――そして世界に或る一切をその法則から一時的に開放し、術者の思い通りに作り変える技術を、我々は『魔術』と呼ぶ。


資料室の通路に落ちていたその本は、通りがかった職員に拾われ、閉じられて棚へと戻される。人気のない部屋には蔵書が整然と並び、しかしそこに平和な空気は欠片もない。

『戦争』が始まってはや数十年。

開戦以来『帝国』の侵攻を耐え凌ぎ続ける、不落の前線基地――

その場所こそ、王国、パッヘルバッハの――第7番軍事基地である。


「――っ! はっ、はぁっ!」


そしてこの時、資料室の外、通路の隅で、一人の兵士が青褪めた顔で目と口を大きく開き、壁に手をついて震えていた。見たところ、吐き気を堪えているらしい。


その兵士は一見すれば優男という言葉が似合いそうだが、よく見れば無駄のない筋肉を備えた一人の成人男性だと分かる。

先程黒色の鎧に『乗って』一つの戦闘を終え、こうして帰ってきたばかり。

だというのに汗も洗い流さず、誰もいないその場所で一人、何かに震えていた。そんな彼の脳には、先の戦闘で失った部下達の映像がこびり付いている。

(これが……部下の死、か……)

数刻前に自分を信じ、死地に飛び込んだ部下は一人残らず帰ってこない。今となっては自分が率いた人数も、用いた作戦も、選択した行動の全てが間違いだった事を痛感する。


――だというのに、自分だけが生きている。


人の上に立つ身となって初めての戦闘。そこでこの男は、部下を失うその意味をその身で知った。それは暑い筈の夏の夜を極寒の地獄に変え、寒気と冷や汗は止まらない。そんな彼のもとに、一等兵の階級章をつけた兵士が駆け寄った。


「こちらでしたか、ロッカ部隊長!」


その兵士はロッカと呼ばれた男より若く、被ったヘルメットで表情は読み取れない。振り返ったロッカは、軍服の胸のタグでどこの所属の部下かを知った。

(……確か、三番隊の……)

そこまでは思い出せるが、名前が出てこない。しかし目の前の部下は続けて言った。 


「副長官がお呼びであります!」


聞こえた人物の階級に一瞬驚くが、ロッカは一度大きく息を吸い込み表情を作ってから、


「……了解した」


どうにか、言った。


――そして、十分後。


「ヤーヴェ・ロッカ入ります」


鉄板を仕込んだ木のドアをノックして、ロッカは『副司令室』の札がかかった部屋に入る。壁一面が窓になったその部屋には大きな机と、窓との間に椅子が一つ。そこには、白色の髪を肩まで伸ばした長身痩躯の男が座っていた。


「や、ロッカくんお帰り。御苦労さん」


この男は名をルドーと言い、この前線基地の副司令を国から任されている。

男にしては高い声、長い髪、軍人らしからぬ虚弱な体躯。

しかしその作戦立案能力を買われ、国お抱えの研究職から軍属に転じた異色の経歴を持つ彼は、いつもの調子を崩さずに部下に声をかけた。


「恐れ入ります」


目の前の男に対し、あくまでロッカの態度は固い。その様子を一秒、眼鏡の奥の瞳が分析するように見て、ルドーは言葉を続ける。


「……君に、休暇を上げようと思ってね」

「休暇……ですか?」

「そう。あ、ちなみにこれ、罰でも何でもないからね? 君以外の部下はみんな死んじゃったけど、あの状況なら君がここにいるだけ奇跡なんだし」


軍人らしからぬ口調、そして軽口を叩くようなその内容に、ロッカの表情が曇る。


「お言葉ですが、それでも自分は……」

「そっから先は言いっこなしだよ。結局君は、敵の三倍の兵力を用いたとはいえあの『あか』の師団を撃破したんだ。その君を罰するってことは、君の部下の死も貶めるんだよ?」

「…………」

「彼らを、『英雄の部下』でいさせてあげてよ」


返す言葉がなかった。目の前の男は他人の心をよく知って、それでいてそれを正面から利用する。狡猾、と言うよりは強かなのである。


「まあでも、僻みっぽい連中も上にはいるからね、とりあえず自主的に傷病休暇を取ったってことにしといてよ」

「……了解しました」


結局、寒気に変わるほどの罪悪感はロッカの中に残ったまま、状況は好転、というより流転るてんしてしまった。当事者であるはずのロッカの思いは晴れぬまま、事は運ばれて行く。


「ん、悪いね、じゃあその間の部屋だけど、この近くの町に宿が……」

「その前に、伺いたいことがあります」

「何? 遠慮なく聞いていいよ」

「私を助けたのは誰だったのか……それと、『魔女』はどうなったのか、です」

「ああ、やっぱ気になる? じゃあまず『魔女』の方だけどね? 今は尋問室。あ、言っておくけどまだ生きてるからね?」


ロッカが最後に戦った敵の飛行鎧ひこうよろい、通称『あか』。

その独特のカラーリングと類を見ない強さ、そして明らかに国際法を無視した戦法から最近の戦闘において双方に悪名を轟かせていた、飛行鎧とその乗り手。

捕虜と言う最善の形でその乗り手である『魔女』を手にすることができたことにロッカは少し安堵するが、話題が自分を助けた魔術兵士に移りそうなのでまた気持ちを張り詰めたものに切り替えた。


「で、君を助けた兵士だけど……運命的だねえ、あの、シノンちゃんだよ」

「……そう……ですか」

「ちなみに、今回の功績で君と同じ部隊長に昇格したよ。なんたってあの『紅』を落としたんだからそれくらいは普通だけどね」

「そう、ですね」

「あの超遠距離魔術、結局は指向性の雷を作ってるんだよね? どんな呪文使ってるのか知らないし分からないけど、それってなんかもう反則だよねー。おかげでウチはまた有名になっちゃったよ。君だけでも凄かったってのにさー、ホント、有能な部下ってのは何人いても困らないねえ」

「……そう、ですか。光栄です」


薄いリアクションに、興奮するルドーが遅れて気づく。


「あ、ごめん疲れてた? 悪いね、もう帰っていいよ。はいこれ明日からの宿の場所。勿論、くれぐれも情報管理はしっかりね?」

「了解しました。では失礼します」


 蝶番を軋ませて扉が開き、ロッカが敬礼したのち、閉まった。それを見送ったルドーは、深く腰掛けて一人呟く。


「疲れてるねえ……大丈夫かなあ」


大丈夫なはずがないことは、言うまでもない。

それでも、彼は口にせずにはいられない。


「……いつまで、こんなことを続けるつもりなんだろうね……」


その呟きは、夜の闇に消えていった。


● ● ● ●


――魔術が戦争に導入されるようになって、百年がたつ。その間の魔術の進歩を象徴する武器が、『飛行鎧ひこうよろい』だった。

乗り手を魔術で物理法則から『切り離す』。すると中の人間と外側の鎧は完全にリンクし、もとは単なる防具だった『鎧』は兵器となる――という理屈なのだが、今現在、悪寒を堪えて歩くロッカには関係ない話だろう。部下を一度に全員失って、その精神は大きく軋む。


しかしそんな状態でも個室に帰って布団に入ると、いつの間にか朝は来た。悪寒も治まり、ロッカは一人、溜息をつく。


――軍人とは、残酷なものだな。


回復してしまう体調。忘れてしまう、部下の死から得た痛み。


感覚としては一瞬だったので自分がいつ帰ってきてどれだけ寝たのか全く分からなかったが、何にせよ今のロッカは一週間の暇を出された身である。

つまり、ここにいてもやることがない。

それでも、失った部下のことを思うと何もせずにはいられなかった。

しかし半ば習慣で向かった食堂で摂った朝食も味が全く分からず、同僚や部下、果てはそれなりに地位のある上司からどんな賞賛を受けても全く感慨がわかなかった。


ロッカとしても別に責められたいわけではないが、隊を一つ潰しておいて尚、褒められている自分という存在に、感情が追い付かない。


「……はぁ」


部屋に帰り、ベッドに腰かけて、また溜息を一つ。荷物の準備はしたものの、このまま用意された宿へ行く気にもなれなかった。

手に取った書物も全く頭に入らず、死んだ部下の親族の家を回ろうにも一週間では足りない。

現在の緊迫した戦況のことも考慮に入れれば、余計に不可能だろう。

思考の袋小路に陥る中、扉がノックされた。


「誰だ?」

「あ、私です。シノン・マクガフィンです。もしかしてお邪魔でしたか?」


澄んだ、女性の声。かなり若い印象がある。


「いや、別に」

「では失礼します」


普段なら同僚と言えど部屋に人を入れたがらないロッカだったが、今この時ばかりはどうでもよくなっていた。鍵の掛けられていない引き戸が開き、現れたのは一人の女性。まだ表情には幼さが見てとれるが、この国の成人女性であることに変わりはない。


「シノンか……お前は確か、正式な昇進の沙汰があるまで待機じゃなかったのか?」


そこまで言って、自分と同地位になった女性を呼び捨ててかつお前呼ばわりしたことに気づき、慌てて立ち上がる。


「……申し訳ない、貴女はもう私の部下ではなかった」

「いえ、そのままでいいです、じゃなかった、いいよ、ロッカ……さん。あぁだめだ、私も慣れられそうにないです……あの、よろしければ学校の先輩と後輩みたいな感じでどうでしょう? ロッカさんが年上ですし」


と、少し恥ずかしそうにシノンと呼ばれた女性は言った。


「……はあ、成程」


ロッカにも、納得の落とし所ではある。


「じゃあ、決まりですね」


ふふ、と笑むその胸元には青いネックレス。  

シノンはそれを手に握り、少し顔を赤らめた。


● ● ● ●


――シノンにとって、ロッカとは『命の恩人』である。ロッカがシノンを助けたのは彼がまだ新人の、『鎧』が支給されて間もなくのころだった。ある街の防衛戦で、半ば偶然にロッカが民間人だったシノンを助けてから五年後、シノンは軍に入隊した。先程ルドーが『運命』と表現したのは、今回は逆にロッカがシノンに助けられた事実を指してのことだった。


しかしロッカにとって、シノンを助けた時のことはむしろ暗い思い出として心に残っていた。あと少し自分が敵を倒すのが早ければ、シノンは天涯孤独の身になることもなく、家族とともに幸せな人生を送っていただろう。この心優しい女性を戦争に駆り立てたのが自分だと思うと、余計心が重くなるのである。


「で、用件は何だったんだ?」


真っ直ぐ歩く事を意識しながらロッカは言った。妙に廊下が曲線的に感じられる。


「あ、はい。昨日捕まえた『魔女』なんですけど、私たちに面会するまでは何も言わないって叫んでから、完全黙秘なんだそうです」

「……成程な。俺は行くが、お前は?」

「もちろん行きますよ」


その瞳には、強い意志が見て取れた。

ロッカも、それに応えることにした。

その後、二人は連れ立って基地の地下へと向かった。今の時間、他の兵士は訓練か、もしくは座学。最低限の人員しかいない廊下は、奇妙な静けさがある。


そんな基地の、地下の一室。


「……やあ、貴様らが私を叩き落とした輩か。ふん、またつまらないのにやられたもんだな、私も。とうとうヤキが回ったか?」


部下の兵士に連れられて来た尋問室に、魔女と呼ばれた鎧乗りがいた。魔女と言われるだけあって確かに性別は女で、飢えた獣のような眼光をロッカ達に向けている。


炎のように赤いその髪は長く、腰ほどまでありそうだがかといってそれが手入れされている印象はない。放っておいたらそうなった、といった感じだった。二人の背後では書記の兵士が高速で紙にペンを走らせているが、入ったとき彼が退屈そうだったのは、この二人がここに来るまで目の前の女が本当に黙秘していたからだろう。


「……貴女が、『魔女』?」


先ほどとは比べ物にならない眼光を持ったシノンが、魔女に問う。


「ああ、貴様らにはそう呼ばれているようだな。そうだよ。影武者じゃないぞ? 私が魔女なのに影武者だったら面白いかもな」


答えて、くく、と魔女は笑う。それを見てシノンの表情が変わった。


「……ふざけないで。貴方、ずい分と勝手してくれたじゃない。こうして私たちが来たんだから、貴方の持つ情報を洗いざらい吐いてもらうわよ。そうしたら、助命申請くらいはしてあげてもいいから」


今までロッカの前では見せなかった、シノンの別の口調。座学で習った通り、飴と鞭の原則は守っている。


「ふん、知ったことか。私を背後から撃った卑怯者はどっちかと思ってみればそうか、貴様の方か。成程、それらしい眼をしている」

「――!」


言われて、シノンは絶句する。


「貴様、その手で人を殺した事がないだろう?」

「なっ……」


矢継ぎ早に図星を言われて、シノンは言葉を返せない。一方ロッカは、未だ成り行きを見ていた。するとそこで、


「あ、あるわよ! 私が堕とした飛行鎧の乗り手は、みんな死んでるもの!」


机を叩いてどうにかシノンは言い返す。が、


「はっ、お笑いだな。そんなのが殺しか? 戦いか? 小娘、お前はあの鎧を何だと思ってる? 単なる魔術強化兵器か? ああ、お前にとってはそうだろうな、普通の人間にはない『魔法』でこっちだけが死なない遠距離から人を殺すのは、気分がいいか?」


饒舌な魔女は、笑みのような表情でさらに語る。その時ロッカは、率いていた部隊が全滅したにもかかわらず平然としている目の前の女から一瞬目を逸らした。しかしすぐに眼に意志を宿して、その女兵士を見据える。


「貴女ねぇ……!」

「負け惜しみはそこまでにしろ、魔女」

「ん?」

負け惜しみ、と言われ、魔女の顔から余裕が消える。

「確かにこいつはお前を背後から撃った。だがそれが何だ? お前もプロの兵士を気取りたいなら素人めいた言葉を口にするなよ」


素人めいた、と言われて、さらに魔女の表情が変わる。


「……なかなか、弁の立つ輩じゃないか。こっちの琴線を心得てるだけまだマシだな。で、お前が黒かった方だろう? そっちの小娘は話にならんがお前となら色々話せそうだ」


しかし論破されても魔女の態度は変わらず、むしろ会話を求めてきた。応じるはずもなく、ロッカは、


「……黙れ。こっちはお前がお前の情報さえ話せば生かしてやると言ってるんだ。とっとと答えろ。まずお前の名前からだ」


と、凄む。が、魔女は動じない。


「ふん、隠すなよ」

「何?」


そして魔女は笑みを浮かべて、


「お前は、私に悔いて欲しいのだろう? 私が殺したお前の部下と、私が死なせた私の部下を。その気がさらさら無いから、お前は私に憤るのだろう?」


心底からの愉悦を露わに、そう言った。

「!」


その言葉に、書記の兵士すらも顔を上げる。今の魔女の言が当たっているということは、今のロッカの表情から容易に理解できた。


「貴女まさか……心を読めるの……?」

「何だ、貴様らには出来ないのか? この程度、私はガキの頃から出来たぞ? まあいい、面白いのはここからだ小娘。この男は……」

「で、出ましょうロッカさん!」


シノンがロッカの手を引いて外に出て、慌てて扉を閉める。中からは高笑いが聞こえるが、シノンは既に耳をふさいでいた。


「大丈夫か?」

「……ロッカさんこそ」


問われて、お前よりはな、と呟く。

部屋から少し離れた廊下に場所を移しても、シノンの足は少し震えていた。


「一体、何なんですかあれ……本当に私たちと同じ、人間なんですか!? 何か、人の皮を被った別の……何かみたいな……」

「流石は魔女ってところか。凄い奴ってのはいるもんだな、どんな国にも」

「何呑気なことを言ってるんですかロッカさん……心、読まれたんですよ?」

「あんなのは出まかせだろう。魔術は確かに何でもありだが、いくら魔女でも『紋様』無しで魔術が使えてたまるか」


ロッカの言う通り、魔術の発動には『火種』にあたる『紋様』が欠かせない。どれほど威力の強い呪文や思いが存在しようと、紋様が無ければそこから何も起こせないのである。


「え? でも今、凄い奴って……」

「度胸の話だ」

「あ……そっちですか。まあ確かに……」


そうですけど、とシノンは呟き、ロッカは彼女の頭にぽん、と手を置く。


「しっかりしろよ、お前は俺と違って、魔術が使える人間なんだからな。魔術に足をすくわれるなよ?」

「はい、隊長……じゃなくて、ロッカさん!」


シノンの顔には笑顔が戻り、二人はそこで別れた。シノンはそのまま部屋に戻ったが、ロッカは建物の外に出ると、ふと思い至って、鎧の格納庫へ向かう。音からして、修理が急ピッチで行われているようだった。

そしてシャッターを開け、中に入るとその音はますます強くなる。肌を打つような作業場特有の音の激しさが、滅入りきった気分を少しだけ和らげてくれた。


「やー、ロッカさんじゃないですか! 何か御用ですか? 貴方の鎧でしたら丁度修理が終わったところですよ! 見えますか? あの背の筒、あれが今度開発された『エンジン』って代物でしてね、蒸汽じゃなくて燃料の爆発を調節して飛ぶんですわ! これでまた、より一層空中での機動性が……って聞いてます? ねー、ロッカさーん!」


そんな中で、格納庫の長、整備部隊隊長のノーグ・シーヴォルトが大声でロッカに語りかけた。しかしこの大音量の中、人の声などとてもじゃないが集中しないと聞こえない。


「え? ああ、資料は貰った。続けてくれ」

「……本当に大丈夫ですか? さっきから『紅』の方ばかり見てますけどねぇ、アレ、大したもんじゃないですよ? あの……」

「……え?」

「ですからぁ! あれは完全に魔術に頼りっきりの! 鉄の塊もいいところです! 魔術なしじゃ、あんな風に四肢がバラバラになっちまうんですよ! あの! 本当に聞いてます!?」


聞いてなかったが、通じていた。

床から数メートルの高さに架けられた整備用の橋の上で、ロッカの眼前に並ぶ二つの鎧。 片や銀の筒を背負い、片や四肢すらついていない胸部と頭部のみの姿。それを見るロッカの胸に何かの感情が生まれるより早く、それは起こった。


「……ん? おい! お前何やってんだ!」


そこにいたのは、一人の女兵士。下で働く整備兵達は、彼女が誰かに用事があるのかと思い、誰も声をかけなかった。が、許可を得た人間しか入れないこの整備用の橋の上にその女兵士が来た時点で整備隊長が声をかけた。  

この時、狭い橋の上で、ロッカを女兵士とシーヴォルトが挟む形になる。

無言の女兵士に苛立った彼がもう一声かける前に、その女兵士は走り出していた。

鉄を靴底で打つ音が連続して響き、その女兵士の手には、無骨なナイフ。その事にシーヴォルトが気付いた瞬間、


「えっ?」


女兵士の手首は、ロッカに掴まれていた。

ロッカの腹部数センチ手前で止まったそれは、震えながらなおもロッカに迫る。


「ヤーヴェ・ロッカァ! アンタのせいで、リウは……リウはぁ!」


女兵士の目には、涙。しかしそれ以上に、悲しみから生まれる狂気がそこにある。


「何で……何でお前だけ生き残ったんだ!

信じてたのに! 私も、アイツもぉ!」

「…………」


叫ぶが、しかしその刃はロッカによって力のベクトルをずらされ、だんだんとロッカの腹部から遠ざかる。それに業を煮やしたのか、女兵士は舌打ちをして後ろに跳び退り、もう一度仕掛ける、つもりだった。


「な……」


しかし、その下がる動きに合わせる形でロッカは体勢を低くし、彼女の懐に潜り込む。掴まれたままの女兵士の腕は空中で捻られ、彼女の体は橋から空中へと飛び出して、


「あ……ひっ、」


直後、墜ちた。

折れた音と潰れた音が同時にして、作業の音が奇麗に途絶える。そこへ、ロッカに駆けよるノーグの足音。


「だ、大丈夫ですかロッカさん!」

「良いから早く人を呼べ!」

「え、あ、はい!」


慌ててシーヴォルトは階段を駆け下りる。反対側の階段から降りるロッカがふと落ちた女兵士の元へ集まった人の輪に目を向けると、狙い澄ましたかのように、その隙間からロッカとその女――落下死体と、目が、合った。

途端、ロッカの胸に激痛が走る。


「――――っ!」


――その頃、地下の尋問室。


「んー、退屈だな、いい加減」


魔女が、ロッカ達の来訪以来、始めて口を開いた。驚いた記録係の兵士が、慌ててペンを手に取る。


「そろそろ疲れも取れたしな、貴様らにこの魔女のちょっとした秘密を教えてやろう」


聞かれたことだけに答えろ、と怒鳴る向かいの兵士の大声を聞き流し、魔女は言葉を紡ぐ。その表情は、相変わらず圧倒的な余裕に満ちていた。


「おい、そこの記録係。さっきお前は不思議がったよなぁ、私が、紋様もなしに魔術を使ったから」


魔女の髪が屈強な兵士に鷲掴みにされ、顔面を机に叩きつけられる。


「書いてあるんだよ、私には既に」


意に介さず、魔女は笑う。


「私の内臓……一面にな」


そして魔女の内臓に描かれた別の紋様が輝いた次の瞬間、魔女の全身から放たれた魔力が爆散して、部屋にいた兵士二人は戦死した。


――一方、格納庫。


「何だ、今の爆発は!」


警報がけたたましく鳴り響き、誰かが叫んだ。途端に兵士達が右往左往するが、女兵士の死体の近くにいたロッカのもとには音と振動しか伝わらなかった。しかしそれだけで十分に異常を察知したロッカは全力で鎧のある方へ駈け出す。


「あ、ロッカさん!」


驚く整備兵に対してロッカは何かを振り切るように、叫ぶ。


「俺を早く『黒』に乗せろ!」

「え、ええ? 一体何なんですか、『紅』はいきなり消えちゃうし、何が――」


起きたんです? という言葉は格納庫の破砕音にかき消され、光が差しこむ破壊された入口の壁から『紅』が現れた。


『見つけたぞ黒いの!』


そして、大音量で叫ぶ。外に声が伝わるのも魔術なのだろうが、魔女がなぜ今こんな事をするのか意味が分からないのと同時、ロッカは魔女を見た時から妙な安堵を感じていた。


『おい、そこの顔色の悪いお前! ロッカとか言ったな! 今から私と戦え!』

「何だと!? 何が目的で……」

『づべこべ言わずにとっとと乗れ!』

言葉と同時、ロッカの体が鎧の中に転移する。魔女の魔術によって強制的に鎧は起動され、リンクした『くろ』とロッカは鉄の橋を破壊して立ち上がり、前へ向かう。魔女の『あか』はそれを見届けるようにしてから外へと体を反転させ、飛び立った。


魔女を追う形で飛び立ったロッカは、言葉が届くことを確信して叫ぶ。


『何のつもりだ、魔女!』

『何のつもり? はっ、それはこっちの台詞だ阿呆が! 貴様、それほどの腕を持っていながらなぜ自ら死を望む!』

『……何?』

『気づかんとでも思ったか馬鹿が! さっきの格納庫でお前が私を見た時、お前、死を感じて安心しおったな!? ふざけるな! 挙句の果てに貴様、寝てないだと!? この阿呆が! 貴様は、寝たつもりであるだけだ! 死んだ部下どもへの罪悪感? 殺した部下への慙愧ざんきの念!? そんなものは肥え溜めにでも捨ててこい!』


空中で暴かれるロッカの心の内部。しかし心を暴かれたというのに、ロッカの心はむしろ清々しかった。あの戦い以来、本当に久方ぶりに、清々しかった。


『言ってくれるな、魔女風情が……』


何故なら、彼女はこの場で唯一の彼の理解者で、


『おお、やっと火がついたじゃないか。敵に塩を送られる屈辱に目が覚めたか!?』


ロッカもまた、魔女の唯一の好敵手だから。


『ああ、これ以上ないくらいに冴え渡った! 礼は言うが貴様を逃がす気もない!』

『私も同じだロッカとやら! これで私は気兼ねなくお前を、殺せる!』


――その二人の表情は、心底からの笑みに満ち溢れていた。


求めあう二人が再度空で対峙する。

そして、当然のように戦いが始まった。


その戦いは昨夜と同じ荒野の上、頂点まで登りきった太陽がだんだんと沈む軌道を取り始める頃、二本の剣の衝突音が響く。

質量を無視し、力学を嘲笑うような速度と軌道でぶつかる剣同士が火花を散らす。


『ハハハハハハハハハハ! やはり私たちはこうだろう! 戦って戦って、戦って戦って戦って! それでこそ生まれた甲斐があるというものだ! そうじゃないのかヤーヴェ・ロッカァ! だからこそお前はあの時、あの兵士を落として殺した! どうだ? 死線を潜り抜ける快感は! 堪らないだろう!』

『お前……どこまで心が読めるんだ? その感情、奥の方に隠してきた筈なんだがな!』

『はっ、そんなもの測ったこともない!』


魔術によって強化された紅色の剣が、今までよりはるかに速度を増して振り下ろされた。一方それに対し、ロッカもチャージされていた魔力を開放し、それを使って魔女の一撃を受け流す。

魔女によって起動させられたとはいえ、今使える魔力は基地で緊急用にチャージされていた分だけである。魔女の温情とも言える魔術は始めだけで、魔女の体内に供えてあるエネルギー量の差を考えれば、状況は初めから絶望的だった。


『さて、と。今度こそカタをつけさせてもらうぞロッカ!』

退いて、『紅』が距離をとる。ロッカがそれを追うより早く、呪文が唱えられた。


『吹き荒れろ、淫乱なる風の精霊!』


己の血流を高ぶらせる呪文と同時、『紅』から剥がれるように風に舞った輝く紋様は吹き荒れる風を加速させて嵐に変える。

地上では昨夜の屍や鎧の破片が風に吹かれて転がり、最早竜巻に近いそれに捲かれて砂塵とともに宙を舞い始めた。

それにより逃げ場をなくした『黒』と、追い詰めた『紅』。屍肉と骨と血と鉄と砂が舞う竜巻は徐々にその半径を狭め、それらは同時に『黒』の表面に無視できない傷を作る。

「っ!」

竜巻の内部において逃げ場は一つ。上空に罠があると覚悟しつつロッカは舌打ちしてそこへ逃げる。文字通りの上空、竜巻によって集い始めた白い雲の渦を下に見て何事もなくロッカと魔女は対峙した。


『罠もないとは舐めた真似をしてくれるな、魔女!』

『はっ、ここなら誰の邪魔もなく殺しあえるだろう!? むしろ感謝して欲しいな!』


未だどこかロッカを下に見ている魔女。苛立ったロッカは『エンジン』に炎を吹かせて突撃した。その時『紅』は右腕を前にかざし、


はやいじゃないか! でも甘いなァ!』


竜巻を下から呼び寄せた。

暴風の中、突撃した『黒』の動きは止まり、その機を逃すわけもなく『紅』は両刃の剣を振り上げ、その桁外れの威力を竜巻の中に叩きこんだ。しかし『黒(くろ)』がいるはずのその場所に姿はなく、魔女が竜巻を消してもそこには砂塵しかない。


『……そこかぁっ!』


背後だった。

竜巻の流れに逆らわず、その勢いを利用して一周し、背後に回った『黒(くろ)』。晴れ渡った空の上で火花が散る。


『流石に名だたる『鎧』の使い手だなあ! ヤーヴェ・ロッカァ! 私は、お前に会えて本当に幸せだ! 幸せだよ!』

『こちとら……最悪なんだよ! この魔女がぁ!』


魔力を大幅に用いてもなお仕留めきれない魔女と、戦闘的な実力の差を魔術という反則的な力で埋められるロッカ。

彼は呪文らしき呪文も無しに打ち出される炎の弾丸や雷をかいくぐり、弾き、避ける中で、大型の魔術に警戒しながら魔女をあくまでこの場に引きつけておかなければならない。なぜならここはすでにロッカの守るべき『王国』の領土であり、もし魔女が市街地を攻撃し始めたら止めようがない。

状況は、常にロッカが不利なのである。

しかも基地に戻れない以上、『黒』を動かすエネルギーは基地で充填された分しかない。対して魔女はその気になればいつでも自身の魔力を『鎧』に装填できるため、燃料切れはまずない。

このままではロッカが昨晩のてつを踏まざるを得なくなるこの状況で、ジリ貧と知りつつロッカは魔女の攻撃を受け流す。


『基地で見たときとは別人だよ貴様は! 何故あんな所で燻(くすぶ)る!? 貴様、私が来なければ近いうちに死んでいたろう!』


七発の炎弾を同時展開で打ち出す魔女。


『ああそうだな、そうかもしれん! 部下を死なせ、恨まれ、尚殺し、その中で一瞬でも快楽を感じた人間は死ぬべきだった!』


その一つを弾き返し、迫っていた二つをしのぐ。

さらに三つを躱して、残り一つを正面から両断した。

笑えるくらい強いな、という感嘆の言葉を、魔女は口に出さずに飲み込む。


『はっ、だったらなぜ貴様はここにいる!?

死ぬべき人間が、何故!』

『それは貴様も知っているだろう、魔女!』


どこか誤魔化すように魔女は叫んで、次に仕掛けたのは、ロッカだった。エンジンで加速した鎧は開いていた距離を一瞬にしてゼロに近づける。しかし魔女はそれを予見していたのか、真下に避けた。ところがそこで反転すると思われていた『黒』はそのまま軌道を下に変え、魔女を中心に大円を描く。


『――!?』


次の瞬間魔女の眼に映ったのは、一瞬前に『黒』が描いた軌跡。そこに残された、ワイヤーだった。そしてその先には、鈎針。


『しまっ……』


それは『紅』に捲きつき、一本釣りの軌道で下へと加速させる。

白雲を突き破り、下で停止していた『黒』と上下の位置関係が入れ替わる。それでもなお勢いは止まらず、『紅』は眼下の山の頂上へ向かって加速していった。


『な……める……なぁっ!』


叫び、しかし尚落下は止まらず、岩肌に衝突して止まる『紅』。その全体は魔術で強化され、ヒビは無数に入るものの破壊は免れていた。むしろ破壊されたのは、山の岩肌。

岩が砕ける音が辺りに響き渡ると同時『紅』の食い込んだ周囲の岩壁一面に紋様が走り、輝き、砕け、しかし落下せず、『紅』の周りに漂う。

そしてそれらは『紅(べに)』に張り付き、体積を倍加させた。


『巨大化……だと!?』

『どうだ!? まさか出来るとは思わなかったが、やってみるものだな!』


ロッカは、思い出す。

魔女の『鎧』は何のアシストもない、単なる鉄塊だという事を。

人間を取り込む胸部は別にしても、魔術のみでそれをやってのけるその魔力の量に、ロッカは今更ながら恐怖を覚えた。山に立つ岩石の巨人は、神話を知るものでなくとも神々しさを感じるほどの『力』を持っている。

その姿に一瞬慄いてワイヤーを切り捨てるのが遅れた『黒』が今度は先刻と逆に地上へ叩き落とされる軌道をとる。

内部に取り込んだワイヤーを、魔女が下へ振って、超高度から落ちる『黒』。本来なら、両者はここで決着するはずだった。

しかし、自然ではありえない突風が山肌を駆け上がるように吹き上げ、だんだんとその速度は落ち、地面を擦りながらもターンした『黒』は『魔女』のいる高さへ復帰する。両者はそこで動きを止め、上を見上げた。


『最後の最後に……また、邪魔されたな』

『ああ……すまない』

『ふん、やはり貴様は、死ぬことすら許されんらしい……それもまた地獄かな?』

『…………』


二人の上方には太陽を背に立つ、白いカラーリングに女性的なフォルム、右手に大槍を備えたシノンの飛行鎧、『白兎はくと』があった。


『ロッカさん! 大丈夫ですか!?』


シノンの眼下では、自分の上司と基地を破壊した敵国の撃墜女王エースが対峙している。しかし両者は動かず、剣を交える気配もない。


『こうなったらもう無理だな……おい黒いの、早く殺せ。このまま、恥を晒す気はない』

『……悪いが、こっちも限界なんだ。だが……まだいけるだろ?』

『…………』

『死に場所は、選びたいか?』

『ちょ、ちょっとロッカさん!? 何で貴方、魔女と会話して……』

五月蠅うるさい。シノン、邪魔をするな』

『!』

『答えろ、魔女。 死に場所は、選びたいか?』

『……ああ。だがそれは……戦場だ。ここじゃなくとも、別にいい』

『なら、どうする?』

『……死出の旅に、付き合う気があるか?』

『いや、ない』

『なら……』

『ああ』

『『戦おう』』


――勝負は、次の攻防でついた。


大質量の『紅』の腕が高速で『黒』に打ち出され、しかしそれは避けられる。次の瞬間腕は分解され、また空中に大量の岩が漂った。数にして百を超えるそれら全てが背後から『黒』を狙う。だが一瞬遅く背後の『それ』をつかんだロッカは反転して背後に迫る岩の一つに投げつけた。爆発したそれ――エンジンが、爆風で『黒』を前方に加速させる。

その勢いを利用して、岩に守られた『紅』を岩ごと刺し貫いた『黒』。次の瞬間、空中にあった岩が全て落下をはじめ、同様に、剣を刺した『黒』も鎧の破片を散らせながら落下していく。しかし二人が荒野に落下するより早く、『白兎』は自らの腕で包むように二つの胸部パーツを抱え込んだ。


『……ここまで、か』

 

そして、『紅』から一切の紋様が消えた。


 


――夕暮れの荒野に、風が吹いている。死屍累々、という言葉そのままに、昨日の戦いの痕跡が残るその場所の中央で、魔女は脇腹から血を流して横たわっていた。最後の一撃が、内部の魔女の腹部を掠めたのである。


「まあ……楽しかったな。ここに転がるこいつらと比べれば、はるかにマシな人生だ」


そんな中でも矜持を失わない魔女は、今までと変わらない口調で語る。

ロッカとシノンは傍らに立ち、その言葉を聞いていた。


「なあ……一つ訊いていいか?」

「……俺か?」

「私がそこの女に一度でも興味を持ったか? 空気ぐらい読めよ……まあいいか。質問だ。お前、これからどうする?」


問われて、一瞬ロッカは躊躇ったが、


「俺は、まだ戦うよ。……多分、死ぬまでな」


告げたその答えには、意思があった。

部下を死なせようと殺そうと、結局ロッカは変わらない。国を守りたくて兵士になって――いつの間にか、たくさんの死線を越えるうちに、死ぬために、自分に似た誰かに殺される為に戦場に出るようになっていた。そしてそれを、今回のことで受け入れていた。

弱い者は死に、強い者は勝つ。死んだ者は敗者以外の何物でもない。ロッカにもいつか『負け』は訪れるが、それは今ではなかったのだろう。それまで、ロッカはあの格納庫で起きたようなことを何度でも繰り返すのだ。


「ふん……せいぜい、戦争が終わらん事を祈るんだな……けほっ! けほっ!」

血の気の引いた目元をした魔女がむせて、その体が震えだす。王国に……否、味方にすらも恐れられた魔女の死期が、迫って来ていた。


「……俺も、お前に聞きたいことがある」

「なん、だ……? 死なないうちに言え」

「お前……名前はなんて言うんだ?」


その言葉で、一瞬だけ魔女の表情が今まで見たことのないものに変わった。


「……え?」

「魔女、じゃないだろう」


しかし魔女はまた偽悪的な笑みを浮かべて、


「……多分な。だが……忘れた」


と、言う。しかし、その手の震えが止まらない。何かに縋るように空に手を伸ばし、そしてその手で目を覆う。


「忘れた、って……」

「……仕方ないだろ、本当に覚えてないんだ……昔から物覚えが悪くて、な、なのに、さっきから何だこれ、私の、昔の記憶……? 何だよ、みんな燃えてばかりじゃ……」

魔女の体が、震えだす。

空中の何かを掴むように腕を伸ばして、その表情に怯えを浮かべて、自分の顔を手で覆う。


「おい……魔女?」

「あ……」


手の隙間から、涙が、こぼれた。


「……仕方ないじゃん、弱いから死ぬんだよぉ……や、やだ、止めて、お願い、私、そんなつもりじゃ、なかっ……」


そこで、魔女の体から力が抜けた。

夜の帳が降りて、荒野には風が吹く。

その音はどこか寂しげで――人の泣く声のようだった。


● ● ● ● 


――そして三日後、戦争は唐突に終結する。


● ● ● ● 


ノックの音がして、扉が開く。


「ロッカさーん、入りますよ? あれ……ロッカさん? どこですか?」


とある地味な民宿の、一室。町はずれのその場所でも、外では終戦の知らせに沸く国民が大勢いた。


「ロッカさーん? 外なのかなぁ……」


その頃荒野に、男が一人。

鎧と死体が転がるその場所で、荷物も持たず一人立ち尽くしていた。


「…………」


男は銃をこめかみに当てて、劇鉄を起こす。

その目にはもはや光がなく、疲れ果てたその体に生きる意思はもうない。


「……ああ」


そんな男の目の前に、『誰か』が現れる。


「そっか……お前も『そこ』にいるんだな……」


『誰か』はその言葉に応えるように笑みを浮かべ、赤い髪を荒野の風になびかせて、きっと男を待っていた。


「急かすなよ、わかってるから……ああ、わかってたんだ、俺も」


髪で瞳を隠した『誰か』は、体中から血を滴らせて笑う。

まるで遊び相手を待っていた子供のように、満面の笑みで右腕を伸ばす。


それが、何よりも雄弁に全てを教えてくれていた。


と、恋人のように笑っていた。


だから男も、彼女のように笑い、指に力を込めて――

――荒野に、銃声が響いた。


音を立てて、男の体が倒れる。

そして翌朝――


「……なん、で?」


一晩中彼を探した少女のつぶやきに応える者は、世界のどこにもいなかった。


            

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空飛ぶ鎧は荒野に散る ほひほひ人形 @syouyuwars

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