第9話 「過剰であること」のおいしさ
日テレの人気番組「オモウマい店」が「デカ盛り」という文脈で人気を博していることからも分かるように、味はともかく「盛りがよい」ということは、外食における味の構成要素のひとつとして、こんにち広く認められているといってよい。
また、盛りのよさに限らず、例えばクリスピー・クリーム・ドーナツやコメダ珈琲なんかも「甘さ」を全面的に押し出しているあたりが、これに近い。日常の食品であればヌテラやマヨネーズ、酒盗や塩辛なども、こういった文脈に当てはまる食材といえる。
その文脈はつまるところなんなのか?というと「過剰であること」だ。甘かったりコクがあったり、過剰さの種類には色々あるが、とにかく「過剰であること」が重要である。
日本料理の「カツ丼」をして「栄養学的に最悪、快感とカロリーだけを提供する悪魔の料理※1」という主張もあったりするが、こういうのも「過剰である」がゆえのものといっていいだろう。豚肉に溶き卵をつけたのちに小麦粉とパン粉をまぶし、油で揚げただけならまだしも、それをだし汁と溶き卵で煮閉じたものを米飯に載せて食べる※2という、これを過剰と言わずして何をや、と言わんばかりのものだ。
自分がパッと思い浮かぶ「過剰な食品」といえば、やはり海宝漬だろう。たんなる松前漬だけでもうまいのに、そこへアワビといくらを載せるという暴挙に打って出た、三陸の名物お土産である。ごはんのお供にもよし、酒の肴にもよし、まさしく「過剰」といえる一品である。
そも「いくら大盛りカニちらし飯」のように、名前だけで「何がどのくらい過剰なのか」を判断できる料理は特に便利である。まあ、大半の料理はそうなっているのだが、たまにラーメン二郎の「小・野菜マシ」のような、それだけでは過剰と思えなさそうなものもあったりするので、決して油断はできない。
過剰な食品は快楽とカロリーが正比例になりがちで、アラフォーのおれもそろそろ気をつけなければならない身ではあるのだが、それでもうまいものはうまい。たまには過剰な食品を気の趣くままに食べてみるのも、悪くない。
※1 引用: https://twitter.com/tanaka_u/status/519420488775258113
※2 引用: https://www.pixiv.net/artworks/21792328
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