第7話 オードブルのレタス添え一晩置き

 大人数で集まったときに頼もしい食べ物といえば、なんといってもオードブルだろう。最近はアラフォーということもあって積極的に箸、もとい手が伸びることはなくなったが、それでもあの、華やかな皿にギュウギュウと盛られた料理の数々を見ると、心がウキウキしてくる。


 そんなオードブルだが、だいたい大人数であっても、いくつかのセクションは余りがちになる。


 自分の家族のみのイベントでオードブルを準備するとき、大体が「翌日のおかずとして食べること」を想定していることは決してめずらしくない。そのため「オードブルが余る」こと自体は特に問題ない、として良いかと思う。


 なのだが、だとしても、やっぱり、基本的に時間が経った揚げ物というのは、どこか味気ない。


 アメリカンドッグや天ぷらなど、時間が長引くことで新たな味わいを獲得するものに関しては別だが、基本的に揚げ物というのは、提供された段階より、だんだんと本来の旨さから遠ざかっていくものである。コロッケはシナシナになるし、鶏の唐揚げやチキンナゲットはカサカサしてくるし、シュウマイはカチカチになる。なんかオノマトペが多いが、まあそんな感じで、味気はすべからく失われていく。


 ところが、最近この「余ったオードブル」に関してわかったことが一つある。


 オードブルが余ったとき、揚げ物に最初から敷かれていたレタスを、そのまま敷いたままの状態で残しておくと、翌日それを食べても、なんだか「味気が残っている」のである。


 レタスを敷いていると、一晩経って単品で食べても「ああ、確実にオードブル『だった』わこれは」という感じが十分伝わるのだ。


 いちおう断っておくが、これは「オードブルはレタスと一緒に一晩置くと『うまくなる』」ということを言いたいのではない。揚げ物に関して手を加えているわけではないし、そもそも一晩置いたことによってレタスの風味が若干揚げ物に移っているので、少なくとも「うまくなる」とは言いがたい。


 レタスを敷くことに関しても、ぶり大根のようなわかりやすい旨さが現出するわけではない。そもそも「揚げ物とレタスの相性」みたいなところを掘り下げても「彩りがいいから」とか「油を吸ってくれるから」みたいなことしか出てこなく、少なくともレタスが揚げ物に旨味を添えることを目的としていないというのは、わかりやすいほどにわかりやすい。


 そんななのだが、特に一度やってみて欲しいのが、チキンナゲットとシュウマイである。レタスを敷いた状態で一晩置いたものと、そうでないものを食べ比べると、明らかに前者の方が「味気がある」のだ。うまいとか滋味があるとか、そういう表現ではなく、あくまで「味気がある」という表現で、かなり伝わりづらいと思うのだが、そう表現するほかない。


 ただ、積極的にレタスを敷いて一晩置いた揚げ物を食べたいかというと、決してそうではない。そもそも余らないのが一番良いし、余ったら余ったで無駄なく食べるというのが、大前提の話ではある。


 そんなときに、レタスの有無だけで、結構「食べるモチベーション」が変わってくる、というちょっとした発見が驚きであった。それが、タイトルにも記載した「オードブルのレタス添え一晩置き」である。なお一晩置いて食べるときは「レタスを敷いたまま温める」のをオススメする。風味や食味は明らかに出来たてのそれとはかけ離れてしまうが、より「味気がする」ようになる。


 なお、同様に「味気が残る」野菜としては「プチトマト」がある。これも有無によって結構「味気」の差を感じることができる。


 原理はまったくわからないが、とにかくそう思うのだ。誰か学のある人が居たら、ぜひ解明して欲しい。もっとも「個人の好みです」と言われて終了する可能性も、ゼロではないのだが。

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